幽霊のいない日常
第40話 数か月後
「ふぁぁ~」
朝、起きて。
カーテンを開ける。
どうやら、今日の天気は予報通り晴れらしい。
梅雨前線も、そろそろ日本からおさらばする頃合いか。
「……さて。今日もなんとかどっこい、生きてるな」
まだ、独り言が多くなる癖は。抜けていない。
桜が散って。
鬱陶しく陰鬱になりがちな梅雨も過ぎ去って。
季節は、初夏。
とある幽霊と初めて出会った季節が、また巡ってきていた。
彼女はもう、いないけれど。
朝の身支度を終えて。
家を出る。
「……いってきます」
誰に言うでもない、出かけの挨拶。
まぁ、これはもう癖みたいなもので。
しばらくは抜けきらないだろう。
駅まで、一人で歩いて行く道にも。ようやく慣れてきた。
馬鹿な話だ。
元々、一人で歩いていた期間のほうがずっと長いというのに。
駅に着き、電車に乗り込む。
電車に乗っている間が、暇で仕方ない。
どんな場所でもずっと会話ができる、便利な相方がもういないから。
なので、今は電車の中ですることはスマホをいじることくらい。
正直、別に楽しくもなんともないのだけれど。
どうやら、一度覚えた贅沢は中々抜けきらないらしい。
以前のように、何もせずにじっとはしていられなかった。
職場に到着して、同僚に挨拶をする。
「おはよ、小山」
「あっ、優人さん。おはようっす」
小山が俺を見る視線は、あの時からどこか心配そうに思える。
凪音が消えたと伝えて、小山がぽろぽろ泣いていた。あの時から。
もしかしたら、俺の被害妄想的気のせいかもしれないけどな。
「しかし、すっかり職場でも名前で呼ぶようになったなぁお前」
「一応、人目がある時は佐藤さんって呼んでるっすよ?」
「まぁな……。バレバレっぽいけど。お陰で、俺と小山が付き合ってるとか思わてるらしいぞ」
「そうらしいっすねぇ。……あの、嫌だったりします?」
俺が、小山と付き合っていると思われるのが? 嫌かどうか?
「いや、別に嫌ってことはないけど。小山は大丈夫なのか?」
「私っすか?」
う~ん……。と首を傾げたあと。
「嫌じゃないっす。ただ、ちょっとこう。申し訳ない気には、なるっすけど」
微妙な表情でそう言った。
「申し訳ない? 俺は別にそういった諸々は全く気にしないぞ」
「いえ、優人さんがそういうの気にしないのはわかってるっすけど。その……」
若干言いずらそうにしている小山の表情をみて、なるほどと思い当たった。
「あぁ、あいつのこと気にしてんのか」
「その……。だって」
「あー、それは気にする必要は。っと、その話は後でな。仕事仕事」
「うっす。じゃぁ、また後でっす」
ふむ。
もう、あいつが消えてしまって。数か月。
やっぱり、小山はどうしてもその辺を気にしてしまうらしい。
まぁ、そういう部分も小山の良いところだとは思う。
俺は……どうだろう?
凪音がいなくなって。
それでも、日々の生活は凪音のいた頃と変わらずに送っているつもりだ。
朝起きて、朝飯も昼飯もちゃんと作って。
仕事を無難にこなして。
帰ったら、夕食もしっかり作って食べている。
休みの日にすることは、あまり思いつかないが。
小山がかなり頻繁に遊びに来るようになったから、一人で過ごす休日というのは実はあまりない。
むぅ……。やっぱり、気を使わせてしまっているのだろうか?
そろそろその辺も、小山とちゃんと話し合うべきなのかもなぁ。
まぁ、今はなにしろ仕事だ。
凪音のいた時みたいな張り合いはないけれど。
俺はまだ、ほいじゃさよならと生きるのを放棄するわけにもいかないのだ。
凪音との約束であり、要望でもあった通りに。
そこそこに生きて、それなりに幸せな生を謳歌したぞと死ななければならない。
――あんまり、長引かないでは欲しいけどな。
いや、この感想も。
凪音にばれたら怒られそうだ。
仕事終わりに、小山を誘って居酒屋まで来ていた。
いつかの、個室がある居酒屋である。
「取りあえず、おつかれー」
「はい。お疲れさまっす」
乾杯などしながら、お互いをねぎらう。
ただし、酒ではない。
「今日は、ちゃんと話終えるまで酒は禁止な」
「は~い。わかってますって」
酒入れると、すぐ色々と怪しくなるからなぁ。小山は。
「でだ。今日はちゃんと話そうとは思っていたんだが……」
「凪音ちゃんの、ことっすか?」
ノンアルコールのカクテルをちびちびと口にしながら、小山がこちらを窺うように聞いてくる。
「……そうだ。あいつのことだけど。別に気にする必要はないよ」
「でも、凪音ちゃんは、その。優人さんの――」
「あぁ、彼女だっただろうし。あるいは親友だったかもしれない。俺が保護者で、あいつは俺の妹分でもあったかもな。なにしろ、俺はあいつが好きで、大切だったのは確かだよ」
そう。俺は、あいつの望むあらゆる意味であいつが好きだったし。
凪音は、俺が望むどんな関係より純粋に俺を好きでいてくれていた。
「そんで、あいつにとって小山は友達だった。だろ?」
「そうっす。だから。私は正直、優人さんとの関係を計りかねては、います」
珍しく、神妙なんだか深刻なんだかわからない表情をしている小山。
「計りかねるねぇ……。その割に、相当頻繁にうちに遊びに来てるじゃねーか」
休みの日は勿論、仕事あがりにそのまま遊びに来ることもある。
「そうっすけど。泊まってはいないっす。遠出で遊びに誘うのも、してないですし」
あぁなるほど、その辺は遠慮してしなかったのか。凪音に。
「だいじょーぶだよ。あいつはそんなことは気にしないから。つか、普通に自分が消えた後は、俺と小山をくっつけようとしてたからなぁ」
自分の後釜の彼女を推薦して消えるとか。いまいち凪音の感性がわからん。
あるいは幽霊に特有の感覚なのだろうか?
いや、多分その両方が合わさったことで生じる感覚なのかもなぁ。
「私と、優人さんを、っすか。う~ん」
コップに視線を落として悩む小山。
「おいおい、それはあいつが勝手に言ってたことだから。別に真剣に取り合う必要はないぞ?」
「あぁいえ、それはわかってます。優人さんが私を女としてはあんまり意識してないのもなんとなくわかりますし。私も、今のところ大切な友人以上には思っていないっすから」
「そうだろうな。好みのタイプじゃないんだし」
「……根に持ってます?」
あの旅館で勝手に振られたみたいになってたことを?
「いんや。気にしてないよ。俺は、なんだかんだ小山のことは結構タイプだけど」
「――はぃ!?」
あれ? そこまで驚くようなことか?
小山になら、とっくに見抜かれていると思っていたが。
「なんだよ」
「い、いえ。まさか優人さんからそんな言葉が出るとは……」
「ん~。まぁそうかもな? でもまぁ、俺みたいなのが好みでもない人間とずっと一緒にいられるはずもないだろ?」
「いや、男女のソレと、友情のソレは別物と思うっすけど……」
そうだろうか。
いや、そうだろうな。
凪音との関係が、ある意味特殊で。ひねくれ過ぎて、純粋過ぎたせいで。
どうにも感覚が狂っているのかもしれん。
それ以前の俺の感覚なんて死んでいるようなものだったし。
「なんにしろ、好意的には思ってるってことだよ」
「それは私もそう思ってるっす。恋情と友情は別……って言いましたけどね。正直、二人の関係を聞いたら、憧れました。そういう、枠に取らわれない。特別な情ってやつには」
二人の関係。
俺と、凪音の。種類のない、愛情。
でもそれはきっと、あいつが恐ろしく純粋であったからで。
そしてそれは、凪音が幽霊であったことと無関係ではない。
人間と人間。
男と女が、そうそう簡単に。歳も性も血も超えた愛情なんて、手に入れられるわけもないのだ。
しかし。
「俺らは、幽霊じゃないし。俺も、あいつを想うみたいには、他の誰かを想ったりはきっとできない。でも、お互い大人だからな。適切な距離と関係を、見つければいいんだと思うよ」
そう。
俺は、凪音に……。
凪音は、俺の人生の意味とかそういったものを。持ったままでいってしまった。
それはもう、取り戻せない。
だから、後はそれなりに生きるしかないのだ。
大人として。
どれだけ胸に穴を穿たれようとも。
淡々と。平凡に。
生きていくしかない。
人間関係だって、同じことだ。
「……そうっすね。じゃぁ取りあえず私は、優人さんの親友を目指します。お互い、ずっと遊び友達には困らないような。ずっとずっと気軽に付き合えるような。そんな存在が欲しいっすから」
それはまた。
「贅沢で困難な関係だなぁ。そういうのは、あんまりうまくいかないって聞くぜ?」
実際のところは知らんけどな。
「だから、価値があるんじゃないっすか。それに、私は結構自信ありますよ? 私は自分には自信ないですけど。人を見る目には自信あるんで」
それは、眼科にでもいけ。
等と、以前の俺なら言ったのだろうが。
凪音曰く、俺と小山は相性がいいらしいしな。
「そうか。じゃぁこれからも気楽によろしくしてくれ。でも、徹夜でゲームにはほどほどにしか付き合わんぞ?」
「あ~。はい。大丈夫っす。ほどほどにっすね!」
こいつ、平気で泊まって徹夜でゲームしていったからな。凪音がいた時は。
「じゃぁ、話はこの辺で。酒でも……」
「優人さん」
「ん?」
どうしたのだろう、真面目な顔して。
「私からも、聞きたいことあるっす」
「なんだ?」
「優人さんは……その」
小山は、迷っているように見えた。
多分、言葉を探しているのだろう。
何が言いたいのか、そんなに言葉を選ばずとも。俺には手に取るようにわかるけれど。
「大丈夫、なんっすか?」
迷った挙句に、出てきた言葉は。酷く曖昧でシンプルなものだった。
大丈夫……ね。
意味は、勿論わかる。
ありがたいことだ。
きっと、これも。
小山の、俺との関係を構築する為の新たな一歩。
わかってる。
「……あぁ、大丈夫だよ」
それでも、そう口にする。
大丈夫。
俺は、大丈夫。
「――そっすか」
小山は、笑顔を浮かべること無く答えた。
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