第13話 サトウさん?

 汐穂ちゃんから俺に連絡がきたのは、夜のことだった。

 凪音が、倒れたらしい。

 詳しくはよく分からんが、道で倒れていたところを119番で運ばれたのだそうだ。



 すぐに病院に行こうとしたが、今は家族以外面会できないとのことで。

 結局、俺と楓が凪音に会いにいけるようになったのは、汐穂ちゃんの連絡から数日後。

 その時には、凪音はもう目を覚ましているらしかった。




 汐穂ちゃんに凪音と会えるようになったと連絡をもらい、病院に駆け付けた俺と楓。

 その連絡には驚くべき内容も含まれていたが、今はとにかく凪音に会うのが先決だ。


 病院につくと、ロビーで汐穂ちゃんが待っていてくれた。

 いや、汐穂ちゃんだけではない。

 隣に、40代くらいに見える男性も立っている。

 多分、この人が凪音の父親なのだろうな。


「汐穂、こちらの方達が?」

「はい。おねーちゃ……姉さんの、お友達の二人です」


 汐穂ちゃんが、俺と楓を紹介してくれる。


「初めまして。佐藤優人と申します。凪音さんには、いつも大変お世話になっております」

「固いっすよ優人さん……! えっと、凪音ちゃんの友達の小山楓と言います」


 名刺を取り出そうとしていたら、楓に脇でつつかれた。

 だってなぁ。女子高生の友達として紹介されるには、俺はおっさんすぎるだろう。

 怪しさを少しでも払拭できればと思ったのだが。


「初めまして、凪音と汐穂の父で、佐倉幸助さくらこうすけと申します。こうしてお会いするまではピンとこなかったのですが。本当に社会人の方達なのですね」


 やっぱり多少は怪しまれている気がするが、楓も一緒にいるせいか多少ですんでいるようだ。


「あなた方が、凪音や汐穂と仲良くしていただいているのは、正直父親としては不安な点もあるのですが」

「おとーさんっ」


 だよな。特に俺は。


「あ、あの。この人は、こう見えてとても安全な人ですから! それに凪音ちゃんにとっては、大切な人なんです!」


 楓が、必死にフォローをいれてくれる。

 見た目の印象を言ったら楓のほうが百倍くらいいだろうしなぁ。


「わかっています。汐穂から、色々と聞いておりますので。凪音も随分とあなた方を信用しているようだと。私自身、決していい父親でもなかった。今さら私が凪音の交友関係に強く口を挟むようなことは、どの道できないでしょう」

「そんな……お父さんは」


 何かを言いかけた汐穂ちゃんの頭を、くしゃりと撫でる。


 父親、か。


 多分、俺と比べて物凄く年上なわけじゃない。

 なのに、随分と遠い世界の存在に見えた。


「今の凪音の状態は、汐穂から?」

「えぇ。聞いています」

「そうですか。では、そのつもりでお願いします」


 俺たちは、幸助さんの後ろについて、凪音の病室へと向かった。




 病室に入ると、ベッドで体を起こして座っている凪音が目に入った。

 服はパジャマみたいなものだが、見た目はいつも通りの凪音だ。


「おねーちゃん、お兄さんと楓さんが、来てくれたよ」


 汐穂ちゃんが、ぼーっとしている凪音に語り掛ける。

 凪音は、それに反応して俺と楓の方をみた。


「……お兄、さん……お兄ちゃん?」


 ――なるほど。

 記憶喪失、ね。




 凪音が意識をしばらく失って、起きたら記憶がなかった。

 精密検査もしたらしいが、結果は、異常なし。

 医者は、「原因は分からないが、恐らく事故の後遺症だろう」と言っていたらしい。


 検査で異常がないのだから、いつ戻るのかも分からない。

 ただ記憶がないといっても、例えば「汐穂ちゃんが自分の妹だ」ということはなんとなく理解したということなので、完全に何もかも忘れたわけではないらしいが。


「違うよ、お姉ちゃん。この人は、佐藤優人さん。こっちは小山楓さん。お姉ちゃんの、お友達」

「さとうゆうと……ゆうと……かえで」


 汐穂ちゃんの言葉を、ぶつぶつと繰り返す凪音。

 そんな彼女に、なんて声をかけたらいいのか咄嗟には分からなかった。


 ショックは、当然ある。

 あたり前だ。


 でも、凪音はこうして目の前に、無事な姿で生きている。

 死にそうなわけでも、消えそうなわけでもない。

 今はそれで、十分だとも思えた。


「よう、凪音。調子はどうだ?」

「元気、だと思う。――サトウさん?」

「……なんだ?」


 佐藤さんときたか。

 なんか、新鮮な気分だな。


「さとう、サトウさん……違う。ゆうと、ゆうとさん?」

「あ、あぁ。好きに呼んでくれていいよ」


 やはり彼女は、完全に記憶がぶっとんでいるわけでもないらしい。

 まるで、どこかからあるべき記憶を引っ張りだそうとするようにして、俺と話す。


「ゆうとさんの傍にいないと、いけない気がする」

「え?」

「分かんないけど、でも……」


 凪音がぼーっとしたままブツブツと喋っている。

 どうやら、まだ意識がはっきりとはしていないらしい。


「……凪音。今はゆっくり休め。また、いつでも会えるから」

「また、会える?」

「あぁ。必ず」

「――ん。わかった」


 凪音は素直に体を倒した。


「凪音ちゃん、私も、また来ますね」

「ん……?」

「小山楓。凪音ちゃんの、お友達です」

「かえで、さん。カエデ。うん」


 そうして、俺たちは凪音の病室を後にした。







「凪音は、これからは?」


 幸助さんに聞いてみたが、彼は困ったように溜息をついた。


「検査では異常なしですからね。すぐに退院はできるでしょう。でも、記憶がいつ戻るか分からない以上、日常生活にどれだけ戻れるかどうか。学校の方はあと少しすれば夏休みでしたから、しばらく休んでもいいのかもとは思うのですが」


 そうか、もうそんな時期だったのか。

 凪音が帰ってきたのが春。


 あれから、毎日凪音に世話を焼かれて。

 休日にはデートだなんだと出かけて。

 楓と凪音で泊まったりして。

 汐穂ちゃんもそこに加わるようになって。


 いつのまにか、そんなに時間が経っていたのか。

 

「ただ、私は仕事で中々家に戻れなくて。今回も、出張先から急遽戻ってきたもので……」


 そういや、家にあまりいないと言っていたな。


「お父さん、結城ゆうきさんは?」

「あぁ、来てくれるよ。ただ凪音は元々、あまり結城さんとは打ち解けていなかったからね。今の状態だと、どうかな」

「結城さんとは?」

「あぁ、私が今お付き合いをさせていただいてる女性でして。凪音が目を覚ましたら、正式に結婚を、と話していたのですが」

「そうでしたか……」


 結城さん、つまり、再婚の相手ということか。


 この辺の話を少し整理してみると。

 凪音が事故にあうちょっと前に、父親に再婚の話が持ち上がった。

 その後に、凪音が意識不明になってしまう。

 再婚は当然見送ったのだろう。


 ただ、凪音が意識がない間も、結城さんは幸助さんや汐穂ちゃんを支えていたに違いない。今も家に度々来ているくらいだからな。

 結果、二人とはだいぶ打ち解けたが……。


 凪音からすれば、目を覚ましたら、ほとんど知らない人が家族に加わっていたような感覚だったはず。

 浦島太郎みたいな状態とでも言えばいいか。


 ――そりゃ、簡単には打ち解けられんわなぁ。


「なるべく、私も凪音さんに会いにいってもいいでしょうか? 私のことも記憶の片隅にはあるようですし。症状を改善させる役にたつかもしれませんので」

「…………そう、ですね。お願いいたします」


 彼は、父親として色々と葛藤はしたようだったが。

 結局、俺の訪問を認めてくれた。


 凪音の記憶、か。

 

 一体いつ戻るのか。

 いや、そもそも戻るのだろうか……?



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