第29話 ひまわり畑

『ここの景色きれーじゃない!? 行ってみたいなぁ。ロケ地どこなんだろう?』

『北海道らしいな』

『うわっ、夏の北海道かぁ! 夏、うん、北海道に夏に行って、このひまわり畑を見る。決めた!』


 当時、幽霊の凪音と映画を見た時にした会話。

 正確には覚えていないが、確かこんな内容だった。


 元はといえば北海道に行くと言い出した切っ掛けはとあるジュースを飲むためだったのだが、最終的な理由はこれになったのだ。


 だから、来た。


 夏の北海道。一面のひまわり畑。




「ふおおぁああああ!? すげー!? なにこれ! なにこの景色ー! やばい!」


 うん。

 取りあえず、佐倉のテンションを上げることには成功したようで何よりだ。


 本来の目的は凪音とこの場所にくることと、それによって佐倉の記憶を戻すことだったわけなのだが。


 こいつの嬉しそうな顔を見ていると、そのへん抜きにしてもこっちが嬉しくなってくるな。


「二人きりで何処に行くつもりなんかなぁって思ってたけど、こういう所とはね~。ゆう君、偶にセンスあんね!」


 偶にで悪かったな。

 ついでに、ここに来たのも俺のセンスではないけどな。


「いや~、こんな景色を見るの初めてで……はじめて……あれ? 初めてだよねぇ? なんかデジャブって……んや、景色に見覚えとかねーな? なんつーか、ゆう君とここにくる約束とか、前にしてたっけ?」


 佐倉が急に首を捻りながらぶつぶつと唸りだした。


 これは……。

 やはり、記憶は徐々に戻りつつあるのかもしれない。


「あの、さ。佐倉」

「んー? なぁに?」


 記憶が戻ったら、佐倉も今の佐倉ではなくなる。


 別に佐倉凪音が一人に戻るだけで消えてしまうわけじゃない。

 けれど、俺は彼女を「一人の女の子」として見ると言った。

 それならば。


「今から俺の言うことは、とても信じられないことかもしれない。でも、聞いてもらえるか?」

「はぁ?」


 いきなり何言ってんだこいつ? みたいな表情だ。

 当たり前だが。


 しかし、意外にも佐倉は素直に頷いた。


「そりゃ、ゆう君の言うことだったらなんでも聞いてやんよー。信じるかどうかは知らんけどな」


 相変わらず変に素直というか、色々心配になる子だなぁほんと。


「……あ~。佐倉はさ、記憶が戻るってなったら、どうする?」

「はぁ?」


 再び、何言ってんだこいつ? という顔。

 当然だな、これも。


「どうもこうもなくね? 戻るなら、戻るんっしょ」

「そうなんだけど。こう、あれだ。記憶がなくなって佐倉は佐倉になったわけだろ? 逆にいえば、記憶が戻ったら今の佐倉は……」


 いなくなる、とは違うのかもしれないが。

 今のままではいられないはずだ。


「あー? あ~。まぁなんとなく言いたいことは分かる、気もしないでもない? もしかしてあれか? ゆう君、あたしがいなくなるの心配してる的なこと?」

「い、いや。記憶が戻ったらいなくなる、とまでは思っていないが……」


 記憶が戻るとはつまり、佐倉凪音という元の一人に戻るだけのことなのだから。

 そもそも、戻らないと佐倉の体はすぐに限界がきてしまうのだから、実質選択肢など存在しない。


「なーんだ。ゆう君からの遠回しな告白かと思ったのに~。このままのあたしでいて! みたいなー?」


 にやにやとした笑顔でこちらをのぞき混んでくる。


 このままの佐倉で、か。


「告白ってお前な。それにしちゃー遠回り過ぎるだろ。そもそも、俺は佐倉のこと大切な相手だと思ってるよ」


 割と最初からな。


「ん~? ま、佐倉凪音にはそうなんだろーなぁってのは分かってるけどな。でも、それは前のあたしのことだしねー」


 佐倉は、ほんの少しだけ、口惜しそうにそういった。


 そういえば佐倉は「前のあたしがちょっとだけ羨ましい」と言っていたか。

 俺が彼女を一人の女の子として見る、ということができていなかった証拠だな。


「あ、もしかして北海道来る前に言ってた、あたしのこと一から考えるとかなんとかってそういう意味? 前のあたしとは別に考えてくれるってこと?」


 今になって気づくんかい。

 その通りだけども。


「あぁ、そうだよ。まだ完全に頭が切り替えられたわけじゃないけどさ」

「そりゃー仕方ないだろー。元が同じ人間なんだし、顔も同じだしねぇ。でも、そんなことまで考えてくれてたんだ~?」


 また、にやにやとした顔に戻る佐倉。


「な、なんだよ?」

「ん~? べっつにぃ。なんか嬉しかっただけー。あたしは記憶ないから、自動的に出会った時から新鮮な気持ちでゆう君と接してるかんね! これで対等って感じじゃん?」


 対等って。

 どういう意味の対等なんだろうか……?


「んで、記憶が戻ったらだっけ。それはそれでいーんじゃん? 戻った後どうなるか知らねーけど、どっち道ゆう君は傍にいてくれんでしょ?」


 それは、当り前だ。

 俺が凪音の傍にいるのは当り前だし。

 それに……。


「あぁ。傍に居るよ。佐倉と一緒に居るのは、好きだから」

「ぷっ、はっははっ! なにそれ、ゆう君やっぱあたしに告白したいんじゃないのぉ?」

「俺のお前に対する感情は複雑すぎるから、簡単に告白なんてできねーよ」


 一人の女の子として彼女を見るのなら、尚更だ。


 彼女が「佐倉凪音」だから、当然好きなのだと。

 今まではそうだと思っていた。


 でも、俺は――「佐倉」をどう思っているのだろう?


「あはは~。ほんっと、ゆう君は小難しく考えるの好きだよなぁ。でもさ、実際こうして記憶のないあたしの傍にいてくれてるし。信頼してるぜ? あたしは」


 信頼か。

 本当は、傍にいたいのは俺の方なんだけれどな。


 佐倉と、凪音。

 彼女の傍にいたいのは、俺の。


「あ、でもそうなったら、ちょっとだけ残念かなー?」

「記憶が戻ると、ってことか? 何がだ?」


 佐倉はこちらから視線を外して、ひまわり畑を眺めながら答えた。


「段々、今のあたしにもゆう君の良さが分かってきたところだったから、さ」

「……佐倉」

「おっと、あくまで段々だからな? 別に今、あたしデレてないからな?」


 そんな念を押さなくても分かってるっての。


「へぃへぃ。俺もちょっとだけ残念だよ」


 今の、記憶のないままの佐倉と一緒に居続けたのなら。

 一体、どんな関係になっていたのだろう?


 それを知ることなく終わってしまうのは、少しだけ勿体ないことのようにも思えた。


「あはは、なにそれー。まるでもうすぐあたしの記憶戻るって分かってるみたいなノリじゃんか~」


 もうすぐ、どころか。


「戻るかもしれないんだ。今」

「今? ……って。い、今ぁ!? え? マ!? そんなこと…………あるん……? 戻んの? なんで?」


 混乱している様子の佐倉。

 というか、よくこんな突拍子もない発言を即座に信じるなぁ。


 俺自身、確証があって言っている訳じゃないのに。


「戻るかもね。なんとなく分かるよ」


 だが、凪音は、そう口にした。


「きっと戻ると思う。今の佐倉に、私が取り憑いたら」


 佐倉の横にどこからともく、凪音がふわりと舞い降りる。

 どうやら、姿は見せていなかったが会話はきちんと聞いていたらしい。


「そうしたら、佐倉とも、私とも、こういう状態で会話できるのはこれが最後だけど。言っておきたいことはある? 優人」


 ――言って、おきたいこと。


 沢山あるような気もするが、言葉にしようと考えると何も纏まらなかった。

 大体、彼女が元に戻ってから言えばすむようなことばかりだ。


 だから、全く意味のないような。

 それでいて、どうしても今、言っておきたいことだけが口からこぼれ出た。


「あー……。佐倉、凪音。ひまわり、凄く似合ってるよ」


 うわ、言った瞬間めっちゃ恥ずかしくなってきた。


 でも俺の言葉を茶化したりすることもなく、佐倉と凪音はそれぞれに笑顔を返す。


「ふふっ。本当に見に来れたもんね、ひまわり。次は佐倉凪音として、また一緒に見よっ。ね?」


 凪音の優しい微笑みも。


「あははっ。いきなりフルネームとか、どーしたよゆう君? でも、嬉しい! ゆう君にはあんまそういうセリフ似合わねーけどな~」


 佐倉の悪戯っぽい笑みも。


 一面のひまり畑と、夏の青空と一緒に、目に焼きついたようで。


 次の瞬間。


「――あ、れ?」


 凪音が、佐倉に向かってふわりと一歩踏み出した。

 

 二人の体が完全に重なり。

 佐倉の頭が、ぐらりと揺れる。


「…………ゆう、くん? あたし」


 慌ててダッシュして、彼女の体を抱きとめた。


「なんか、急に……眠く……」


 佐倉の手が、俺のシャツをきつく握っている。

 ただの眠気ではないことが、なんとなく分かったのかもしれない。


「大丈夫だ。俺は、ずっと傍にいる」


 俺の言葉を聞くと、佐倉はゆっくりと手の力を緩めて。


「――あははっ。んじゃ、安心だ……な」


 完全に意識を失った。


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