第29話 消えない望み
温泉宿での一幕から一夜明け、朝には佐倉はいつもの調子に戻っていた。
「おっはよ~優人」
「あ、あぁ。おはよう。昨日は」
「ストップ。昨日の話は、まだしないで」
「……わかった」
とはいえ、いつもの調子とは言っても。
いつも通りというわけではないようだ。
まぁ、当たり前か。
「優人さん、凪音ちゃん。すみませんでした……私、その」
小山が、申し訳なさそうに俺達に謝る。
恐らく俺達が気まずい雰囲気になったのが、自分のせいだとでも思っているのだろう。
酒が入ると、気が大きくなるタイプだったりもするのかもしれない。
だが。
「別に小山が悪いわけじゃないさ。なぁ?」
「そだね。楓ちゃんは、何も悪くないよ」
「佐倉も小山は何も悪くないってさ」
「そ、っすか……」
俺たちの言葉に、小山が一応の納得を示す。
そう、別に小山は悪くない。
恋バナに乗って話を始めたのも。小山にえげつない質問をぶつけたのも佐倉だ。
そしてなにより。
佐倉にそんな質問をさせてしまったのは。俺が、本質的には原因なのだから。
これは、俺が今まで見ないふりを。気づかないふりをしていた問題が表面化しただけだ。
佐倉は幽霊。いつ、どうなるのかわからない。
そんなのはわかりきっていたこと。
だが俺は、それに向きあわずに先延ばしにしてしまっていた。
最初は、俺は佐倉に居場所を提供するだけの存在でいるつもりだった。
でも、一緒に暮らすうちに。そんな境界はあっという間に踏み越えて、俺は俺自身が。
佐倉と一緒にいたい。
そう、願うようになってしまっていた。
佐倉といるのは楽しい。嬉しい。
もっと幸せでいて欲しい。
もっと……俺の隣で、笑っていて欲しい。
だから、怖かった。
佐倉がいつか、いなくなってしまうのが。
何よりも、怖い。
人生の中で、こんなに底のない恐怖を感じたのは。生まれて初めてで。
俺は……。
完全にその未知の「感覚」を掌から持て余してしまっていたのだ。
「いつかまた遊びにいこ! また、三人で!」
佐倉はそう言って、俺もそれを小山に伝えて。
「……はい! 是非! その時には、もっと二人と仲良くなりたいっす!」
小山はそう答えた。
俺も、小山とはもっと仲良くなりたいと心から思う。
確かに今回、気まずい話にもなったが。
これは、俺と佐倉にとって必要な話だった。小山は、それをちゃんと見ていてくれて。
それを伝えてもくれたのだから。
そうして、俺達三人の初めての旅行は終わりを迎えたのだった。
自宅に戻ってきた俺達は、表面上はいつも通りの空気を保っていた。
「楽しかったねー! 温泉気持ちよかったし!」
「そうだなぁ。また疲れたら行ってみてもいいかもなぁ」
旅行から帰ってきたので、荷物の後片付けをしながら佐倉と話す。
なんだか、こんなに短い間なのに自宅の空気を久々に感じた。
「なぁ、佐倉」
「ん~?」
佐倉は、荷物や衣服を片付ける俺を空中から見ている。
「旅館での、夜の話だけど」
「……うん」
話を振ったのに。
言葉が出てこない。
何を言えばいい?
佐倉が俺に望むこと。
俺が佐倉に望んでいること。
その二つはひどく近い距離ですれ違っていて。
交わっていない。
佐倉は、俺の幸せを望んでくれているらしい。
なんという贅沢で、出来過ぎた話だ。
俺はただ彼女に仮の居場所を提供したにすぎない。恩義なんてさして感じる必要も責任もない。
なのに。なんで佐倉は……ここまで俺の為に?
簡単だ。
彼女が。「いい子」だから。
佐倉は俺のことを「いいヤツ」だと言うが。とんだブーメラン発言だ。
「佐倉は、俺に。 この先いくらでも幸せになれるはずだって、言ったよな?」
「……言ったね」
幸せに、なって欲しい。
あの日の彼女の言葉。
正確には、「好きな人には、幸せになって欲しい」だった。
なら、俺を?
まさか。
と、いう思いと。
もしかして。
と、いう思いが交錯する。
だが、今はそれよりも。
「佐倉自身は、幸せになりたいと思わないのか?」
俺には、そちらのほうが重要で。
聞くことすら、恐ろしい質問でもあった。
あぁ、怖い。
脳の芯から怖い。
なんで、こんなに恐ろしいのか。
「――思わないよ。これ以上なんか」
わかっていた、予想してた。そんな答えに頭が真っ白になる。
そう、俺が恐れていたのは。きっとこの答え。
ここが事実上の「終点」なのだと、彼女の口から聞く。この答え。
「幽霊になってから、なんていうか。欲の種類もどんどん減っていくみたいでさ。これしたいあれしたいって、あんまり思わなくなっていくの。でも、それでも消えない望みだって、あるけど」
「だったら、それをすればいい」
もうすっかり荷物の片づけなんて投げ出して、立ち上がって彼女と向かいあっていた。
最も、佐倉は浮いているから、少し目線は上がる。
「だめ。私はもう幸せなの。なんでかは言わない。でも幸せで、これ以上なんていらない。後は、ちゃんと安心したいだけ。ねっ?」
彼女の視線や声に含まれる、慈しみにも似た感情は。
聞き分けのない子供に諭すかのような響きにも似て。
あぁ、俺はいま彼女に我儘を言っているんだと。思い当たった。
彼女は幽霊で。
それゆえの悩みも悲しみも、俺には解決する術なんてなくて。
なのに、俺の隣で笑っていろ?
それは、どれほどの我儘なのか。
だけど、それでも……!
「俺は、お前に消えて欲しくない。俺の幸せ? 恋人? そんなのおまっ」
「黙って」
俺の言葉を遮った佐倉の声は、平坦ながらも断固とした響きを持って。
それでも彼女は俺を突き放しきることもなく。
「それ以上は、言わないで。お願い」
俺のすぐ傍らにまで降りてくると、頭を預けるかの様にそっと寄り添った。
当然、感触も暖かさも感じない。
でも、彼女は。間違いなく今俺のすぐ目の前にいる。
いるけれど。
彼女を抱きしめる事も捕まえてしまう事も、俺にはあるゆる意味でできやしない。
「ねぇ、優人。私と一緒にいて、楽しい?」
佐倉の囁くような言葉に込められた意味も感情も、やっぱり俺には察する事ができず。
ただ。
事実だけを返した。
「あぁ、楽しいよ。佐倉といるのは、楽しい。きっとこんなのは、生まれて初めてだ」
俺の言葉を聞いて、佐倉は顔を上げた。
凄く近くで、目線が合う。
「へへっ。私も」
とても、嬉しそうな笑顔だった。
「そっか」
「うん。だから、楽しくいこう? 二人一緒に居る時も。楓ちゃんがいる時も」
「……あぁ。そうだな」
楽しく。
二人で、楽しく暮らして。
いつまで?
どこまで?
俺達は、いられるのだろう。
それから、俺達の生活はいつも通りだ。
毎日、佐倉と一緒に仕事に行って。飯を食って。
休みになったら遊びに行って。
偶には、小山とも一緒に遊ぶ。
三人でカラオケなんかに行った事もあったな。
佐倉はマイクが使えないから、カラオケの音量を調節して歌ったりなんかして。
小山は、ちょっと歌が下手だったけど。佐倉は随分上手かった。
俺は、まぁ論外として。
カラオケの後は、夕焼けの街を歩いて。
佐倉のよく使っていたというファーストフードの店や喫茶店に寄って。
佐倉には慣れたものなんだろうが、俺と。多分、小山には。
まるで、体験した事のない。いつかの放課後のようにも感じた。
そんな生活をしばらく続けて。
寒さが体の芯まで染みわたるような、そんな季節になり。
佐倉は、唐突に居なくなった。
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