第30話 運の尽き

 ある朝突然、佐倉は姿を消した。


 いつも起こしてくれていた佐倉は、今日は姿を見せず。

 俺は、久しぶりに一人で目を覚ました。


 起きて、佐倉の姿が目に入らなかった瞬間に。

 俺は直観的に悟った。


 もう、俺の傍に。彼女はいない。


 それでも、急いで飛び起きて。

 部屋の中を探したけれど。

 やっぱり、佐倉はどこにもいなかった。


「さ、くら……」


 なんとなく。

 地獄に垂れ下がったクモの糸が切れた時の誰かさんは。

 こんな感じの絶望感だったんじゃないかなとか。

 馬鹿みたいな感想が頭に浮かんで消えた。




 朝の、仕事に出かけるまでのわずかな時間。

 俺は出かける支度の為に体を動かしながら、それ以上に頭を働かせていた。


 いや、空転しているだけだ。働いているとは言いがたい。


 佐倉は、どこに?

 どこでもないどこかへ? 

 それこそ、天国にでもいっちまった?


 わかっていた。

 わかっていたことだろ。

 いつか来ると知っていた。


 知っていたから、彼女は俺に踏み込ませなかった。


 他でもない、俺の為に。


 俺の言おうとした、あの一言を封じ込めた。


 俺はただ、彼女に仮の居場所を貸しただけの。家主にすぎない。

 俺はその程度しか彼女にしてやれず。また彼女もそれ以上は求めなかった。

 彼女はその礼に、俺に友達と。ほんの少しの間の楽しい記憶を残して。

 後はお幸せにとばかりに、何も言わずに消えていった。


 それだけだ。


 なら、俺のするべきことは?


 いつも通りに……。

 いや、今まで通りに生活することだ。


 佐倉が、居なかった頃のように。


 あいつが居なかった頃だって?


 なんだか、遠い昔のことの様に感じる。


 俺の生活は、いつの間にか一変していた。


 三食きちんと食事をとり。

 そこそこ規則正しい生活をして。

 友達すらできてしまった。


 それが、元に戻る。だけ。


 いや、流石に今の生活スタイルを崩すのはないか。

 それこそ、佐倉に申し訳が立たない。

 小山とだって、もっと仲良くなれるはずだ。


 全く、しっかり一人のダメ人間の生活を改善していきやがった。

 大した幽霊だった。


「……まったく。長い夢の中にでもいるみてぇだ」


 出勤の準備を終えた俺は。

 くすりと笑って、外への扉を開けた。




 会社への道を歩く。


 いつもは、佐倉が隣に浮いていて。


『きょーも朝からごくろ~だねぇ。がんば……らないでいいや、優人って下手に頑張ると目が死んでいきそうだし。ほどほどにやんな?』


 とかなんとか。

 励ましてんだが元気づけてんだかわからない事を言ったりして。


 俺も。


『ま、佐倉と遊びに行くのに困らん程度には稼いでくるよ』


 とか返して。


 今日は、そんな道を一人で歩く。


 一人で歩くと、その行程は恐ろしく長くて退屈なものに感じる。


 佐倉が来る前の俺は、どうやってこの道を歩いていけたのだろう?

 サイボーグか何かだったのだろうか?

 この後、電車に乗って。降りて。職場まで歩いて。


 ははっ。

 本当に?


 足が、止まった。


 本当に?


 佐倉が、いない?


 電話を取り出した。


 あいつが、この世界のどこにもいない?


 会社へ電話を繋げた。


 例えよくわからない幽霊だとしても、佐倉が何も言わずに消えられるような奴か?


 どうしても今日は出勤できないと伝えた。


「あーぁ。社会人としては、失格かな」


 呟いて。小山に心配しなくていい、事情は後で話すとだけ連絡をいれておく。


「さて。探すか」


 あの馬鹿家出娘を。








 急に佐倉が居なくなった事で混乱して動揺して錯乱してた。

 冷静になれ。


 佐倉は昨日まで、普通にしてた。

 以前に佐倉の気配が薄く感じた事があった。けれど、俺の見る限りではそんな様子もない。

 それなのになんの前触れもなく消える?

 死期を悟った猫じゃあるまいし……。


 いや、ある意味まさにそのノリが近いっちゃ近いのか。


 あいつは、自分自身でどう思ってるのか知らないが。

 俺に一言も。何も伝えずに消えていける様な奴じゃない。

 消える兆候を直前まで隠しておける奴でもない。


 だったらこの状況は?


 佐倉が意図的に、本当に消えてしまう前に。

 俺から離れたんだ。


 今のあいつなら、俺からもある程度は離れて動ける。

 家出も可能ってわけだ。


 集中しろ。

 あいつと俺は、今でも繋がっているはずだ。


 考えろ。

 あいつは、俺から離れる為にどこに行く?


 走って自宅に戻りながら。

 考える。想う。信じる。


 あいつはまだ。俺に憑いているはずだ。


 自宅に荷物を放り込んで、また走り出す。




 まだ、他にも考えるべきことはある。

 だから、走りながらも考えた。


 探し出して。あのバカになんて言う?


 佐倉が突然出て行った理由は見当がつく。


 本当に消えてしまう前に。

 俺が、一歩あいつに踏み出すのを我慢できなくなる前に。

 そしてもしかしたら。

 自分が、一歩踏み出すのを我慢できなくなる。前に……。


 その前に、離れようとしたのだろう。


 例えお互いが、どんなにひどい傷を負っても。

 致命傷になる前に離れるべきだと。

 佐倉はそう判断したのだ。


 ――気に食わない。


 ものすごく気に食わない!

 なんだそれ。


 致命傷?

 上等だろうが。


 お前はもう幽霊じゃねぇかっ!


 そんで俺は、幽霊に惚れてる男だぞっ。


 惚れてる?


 惚れてるよ!

 あぁ、惚れてるとも!


 身の程知らずでも。

 正直迷惑でも。

 ただの勘違い野郎でもいい。


 俺は、あいつに惚れてる。

 だから、このまま別れてはい終わり。

 なんてのは絶対に許せない。


 致命傷を負っても構わない。

 とっくに、俺の心臓はあいつに握られてる。


 俺の生きる意味を持ち去っておいて、今更致命傷なんて気にしてなんの意味があると思ってんだ佐倉!!


 あぁもう我ながら重い!

 こんなだから童貞だって佐倉に馬鹿にされんだっ。

 拗らせすぎかっ!


 でもいい。

 それでいい。


 重くていい。

 軽いよりかずっといい。


 俺のスカスカの人生の中で、唯一の重みくらいあってもいい!


 あとは、佐倉にとって俺が一歩踏み出すことが迷惑だったらだけど。


 そん時は、謝る。

 ゴメンっていう。

 それでも、佐倉はきっと許してくれるから。

 あーもうなんて甘えたことを……。


「っていうか! 自転車乗ってくればよかったっ。はぁ……はぁ……。運動不足なんだよこっちは!」


 自転車忘れるくらい混乱してたんだな俺っ。

 息もたねーよっ。

 足もあがらねーしっ。


 よく漫画とかドラマで、ヒロイン探して駆けずり回る主人公を観て。

 あー大変そうだけど、青春してんなぁとか思ってたけどっ。


 実際やると、まじで辛いぞおい!


 そういうイベントはさぁ!

 もっと若い学生の頃にやらせてくれよっ。


 もうすぐ三十路のおっさんに変な労働させんなさくらぁ!!


 久々に走っているせいで。

 吐き気はしてくるし、冷や汗も噴き出してくる。


 でも、足は止まらず動く。

 走って、歩いて、また走って。

 体がアホみたいに辛いのに動く。

 さっきまでの、佐倉のいない場所に繋がっている道より。

 それでもよっぽど楽だから。


 まだ、そこそこ青春っぽいことができる程度の体力は俺にも残されているようだった。

 ここまで青臭い行動をおっさんにさせたのだ。


 これで、やっぱり消えていませんでしたー。

 等と言う事があったら神が許しても俺が許さない。

 っていうかそんなことあるわけがない。








 頭の中の地図を引っ張りだして。

 俺が佐倉がいそうな場所だとあたりを付けたのは。


 とある公園だった。


 そこはそこそこの広さがあって、多少の遊具と、多少の緑があり。

 そして、あのゲーセンから。そう遠くない。


 ゲーセンにはいないだろう。

 なんだかそう思った。


 かと言って、あのゲーセンの近く以外には。多分佐倉は行かない。

 とも思った。


 なら、あの公園が一番。いそう。


 俺も一度しか行ったことはないが、佐倉もあのゲーセンに通っていたなら。

 あの公園の存在は知っているはず。



 息を切らせて、がくがくする足を叱咤しながら。公園にたどり着いた。


 いる。

 ここにいる。

 確信した。


 やっぱりまだ俺達は繋がっている。

 なんとなくだけど、ここにいると俺にはわかる。


 公園の中を歩いて行く。

 まばらに人が歩いている。

 朝の散歩をしている人達なのだろう。


 公園のはずれのほう。

 散歩のコースからは外れた、古臭い錆びた遊具。

 それらのなかで、ジャングルジムの上に。


 佐倉は膝を抱えて座っていた。



「あーあ。来ちゃったかぁ」


 あいつも俺の気配をなんとなくわかっていたのだろう。

 こっちを見て、そう言った。


「この、馬鹿家出娘。 帰るぞ。家に」


 ジャングルジムの頂上に座っている佐倉を見上げながら話しかける。

 佐倉の体は、最早透き通って感じるほどに気配が薄くなっていた。


「……私が言いたい事は、わかるでしょ?」

「俺が好きだってか?」


 俺の言葉に、佐倉はポカンとした顔を見せた後。


「バッ……ちがっ……このっ! アホ!」


 キレた。


「ばっかじゃないの!? 違うでしょっ。もう終わりにしようって言ってんのっ。これ以上は、お互いがいつか辛くなるだけでしょ!」

「なんで?」


 再度、佐倉はポカンとした顔を見せる。


「……優人、私と居たいんでしょ? 私も優人と居たいでも」

「居たらいい」

「でもっ!! わかるのっ。そう遠くなく、私は消える!! 優人と離れてる時っ。夜に一人のふとした時間! 自分の存在が薄くなる瞬間がわかるっ!! だからっ……」


 佐倉は激高してジャングルジムの上で立ち上がり。

 そのまま黙り込んだ。


「スカートの中みえてるぞ」

「……っ勝手にみなさいよ」


 いいんだ。

 ラッキー。

 いやまぁ、割と見た事あるけどさ。


「実は、俺も癌でさ。余命あと一年って言われてんだ」

「……はっ? え、ほ、本当に!?」

「嘘に決まってんだろ」

「――!? あ、あんたね……!」

「俺がもうすぐ死ぬって言われて、姿を消したら。佐倉ならどうしてた?」

「……っ変な例えはヤメテよ! 違うでしょっ。私は幽霊なの! もう、終わってる人間なのっ」


 終わってる、ねぇ。


「佐倉。 大人をなめんなよっ!!!」


 俺が絶叫すると、佐倉がびくりと体を震わせた。


「俺はな、お前よりずっとダラダラ長い時間かけてつまらん人生過ごして! 何度も何度も失望して絶望して! 終わってる? そりゃ俺だ! 俺の人生こそ終わってるっ!!」


 大切なものを何一つ見つけられず。手に入れられず。

 狂ったように平坦な日々を死ぬわけにもいかずに毎晩越して。


 それでも死は、いつも隣に選択肢としていた。

 いつだって肩を叩いてた。


 振り払う気力もなく。

 その手を取らなかったのは、ただ俺が臆病だったからに過ぎず。


 終わってた。

 終わっていたのに。


「お前と出会ったら、また始まっちまったじゃねぇか! お前だけが俺のくそったれな人生の中で唯一の意味になっちまったじゃねぇか! 責任とれとは言わねぇ。でも責任くらいとらせろ!」


 あんまり俺が叫ぶものだから、散歩をしていた人が何事かとこっちを見ている。

 別に構わないが。

 気が狂ってる人間がいたー。とか通報されたら困る。

 なので。


「演劇の練習中です!!」


 そう、思いっきり叫んでおいた。


「……この、ばか。もう、やめて。 私は嫌なの。私はあんたに幸せになって欲しいの。私は……それを最後まで果たせないもん」


 とうとう、佐倉はぽろぽろと涙をこぼし始める。


 あぁ……なんでお前が泣くと。

 俺は、場違いにも感動してしまうのだろうな。


 その涙も泣き顔も、とても。綺麗。


「ばかはお前だ。大人になりゃなぁ。最後までなんて、言えなくなるんだよ。誰だって一緒だ。人は、死ぬとき一人なんてザラだ。最後に幸せにしてくれるのが、そん時隣にいる人間だなんてのはただ運がよかったやつさ」


 俺は、そんな運よりも。


「俺にとっては、お前に憑りつかれたのが運の尽きなんだよ。それで使い切った。だが十分だ。佐倉に最高に幸せだって消えてもらえたなら、俺だって最高に幸せな人生だったって死んでみせる! 約束するっ」


 そうだ。俺は最高に運がいい男だ。

 こんな形で、佐倉に出会っていなかったら。

 俺の人生は、山も谷もなく。ただ沼に沈んでいくような人生だったはずだ。


 例えいつまで生きようと。

 人生を何度やり直そうと。


 佐倉に会えないそれに価値なんて、ありはしない。


「……約束、できるの?」


 佐倉の表情は、まるで縋るようだった。

 俺になら、どんな風にでも縋ってくれて構わない。


「する。ていうか、既に俺は幸せなんだ。後は、佐倉に最後まで幸せでいて貰えれば。それでもうこの人生に文句はねぇ」


 泣き顔の佐倉は、泣きながらも酷く呆れた顔で笑った。


「まったく。やっぱりどこか優人の人生観は後ろ向きなんだよねぇ。でも、いいわ。私もいい加減、我慢の限界」

「我慢のしすぎはよくねーぞ?」


 佐倉は、「ははっだよね」って力の抜けた表情になって。

 俺の目の前までふわりと降りてきた。


 とても近くで、視線が交わる。

 

 あの時と違って。今の佐倉は涙目だ。

 でも、あの時より、ずっとキラキラした目に見えた。


「私ね、優人のことが好き。今の私は、心の塊みたいなもんだからさ。きっとすっごく純粋に、とんでもなくまじりっけなしにアンタが好き。男女とかもうそういう次元じゃないかもしれないくらい」

「お前が望むんなら、恋人だろうが夫婦だろうが保護者だろうが。どんな関係でも俺はいいよ」


 俺は、お前が幸せでいてくれさえすれば。それだけでいい。


「うへへっ。よりどりみどりかー。ん~優人がお兄ちゃんとかもいいけどさ。やっぱ恋人っぽいのがいいかもね? それが一番ロマンがあるよねやっぱ」

「そうかもな」


 だったら、俺も伝えないといけないことがある。


「佐倉。俺は、お前のことが」

「ストップ!!」


 なんでやねん。

 ここは言わせろや。


「ダメ。それ言われちゃうとさ。マジで本格的に私。今すぐ成仏しちゃう可能性あるから。言わないで」

「え~……?」


 ここまできておいて、それかい。


「いや、ここで言われてス~って消えるのも、それはそれでいいんだよ? ただほら、どうせだったらもっとこう引っ張ってさ。優人とあれこれ楽しみたいでしょ?」

「ま、そらそうだな」


 本当に成仏しちゃうのかどうかは知らんが。

 佐倉が望む通りでいいと言ったのは俺だ。


「じゃーそれでいいよ。俺の気持ちは変わらない。どうあっても佐倉の幸せを願ってる」


 佐倉は、最高に可愛い笑顔で頷いて。


「うん! 私もっ。だったら一つ命令」

「命令?」

「そ。 いい加減、名前でよべ!!」


 あ……。

 そうね。そうだね。


「あー。えっと……。 ナオ……」

「もっとはっきり呼べ! 愛をこめて呼べ!」

「凪音!! 帰るぞ!!」

「うんっ!! 帰るっ!」


 やっぱり最高の笑顔で凪音は俺に飛びついた。


 勿論、感触なんてないけど。


 確かに、俺は凪音を抱きしめ返した。



 ……すり抜けないように調節するのが難しいなこれ。

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