第33話 幽霊少女の追憶5  後編

「いつかまた遊びにいこ! また、三人で!」

「……はい! 是非! その時には、もっと二人と仲良くなりたいっす!」


 そう言って、私達三人の初めての旅行は幕を下ろし……ん? 閉じた?

 まーどっちでもいいや。

 帰るってこと。


 楓ちゃんは、やっぱりとってもイイ。

 もっと仲良くなりたいし、なれる。

 私とも、優人とも。

 それも再確認できた。


 そして。私と優人が、お互いほんの少しズレたまま想いあっていることも。

 確認、できたね。








 帰ってきた私と優人の間には、なんとも言えない空気が横たわっていた。

 その空気を、必死に飛び越えるかのように。優人が話しかけてくる。


「なぁ、佐倉」

「ん~?」


 わかってる。


「旅館での、夜の話だけど」


 だよね。


「……うん」


 優人は、再度口を開くまでにえらく時間をかける。

 でも、私はそれを急かすことなく。

 じっと待った。


「佐倉は、俺に。 この先いくらでも幸せになれるはずだって、言ったよな?」


 そう。アナタはなれる。なってもらわなきゃ、私が困る。


「……言ったね」


 優人は、また少し時間をあけて。

 まるで、重病の人の余命を聞くときみたいな様子で聞いてきた。


 いや、そんな状況遭遇したことないけどさ。

 多分、ドラマとか参考にするとそんな感じ。


「佐倉自身は、幸せになりたいと思わないのか?」


 私が、幸せになりたいか?

 幽霊の、この私が? 今以上に?


「――思わないよ。これ以上なんか」


 これ以上なんかない。この先もない。

 あってはならない。


 それをしてしまえば、私は引き返せない。我慢できない。


 幽霊になって、薄れていく沢山の望みの中で。

 たった二つ残る、まるでカルピスの原液みたいに濃い。私の望み。


 この二つは、矛盾している。

 だから、もう一方に固くフタをして。


「幽霊になってから、なんていうか。欲の種類もどんどん減っていくみたいでさ。これしたいあれしたいって、あんまり思わなくなっていくの。でも、それでも消えない望みだって、あるけど」

「だったら、それをすればいい」


 ううん。しないよ。

 私がアナタに望むのは、一方だけでいいの。


「だめ。私はもう幸せなの。なんでかは言わない。でも幸せで、これ以上なんていらない。後は、ちゃんと安心したいだけ。ねっ?」


 私は、幸せ。 だから、アナタの幸せを望んで、願って。

 それだけで。


 この先も、ずっとずっと。


 私が消えた。その後も。


「俺は、お前に消えて欲しくない。俺の幸せ? 恋人? そんなのおまっ」

「黙って」


 言わせない。

 私も言わない。


 優人が居ればいいだなんて。優人とずっと一緒に居たいだなんて。


 どんなに嬉しくても、許さない。


 アナタのこの先の幸せを奪うなら、それが例え私であっても。


「それ以上は、言わないで。お願い」


 優人の傍まで降りていって。

 そっと、優人に寄り添う。


 暖かさも、感触もない。

 アナタはこんなに近くにいるのに。


 それでも私は、アナタに触れてあげることすらできないの。


「ねぇ、優人。私と一緒にいて、楽しい?」


 今だけでもいい。

 アナタが、本当の幸せを掴むまでの。束の間でいい。


 私といて、幸せ?


「あぁ、楽しいよ。佐倉といるのは、楽しい。きっとこんなのは、生まれて初めてだ」


 私も、こんなに心が満たされているのは。初めて。


 でも、そっか。初めてか。

 じゃぁ、私は優人の、初めての相手ってわけだ。


 ふふっ。なんか、笑えるぞこの童貞め。


「へへっ。私も」


 嬉しいよ優人。


「そっか」


 優人は、嬉しそうなような。悲しそうなような。


「うん。だから、楽しくいこう? 二人一緒に居る時も。楓ちゃんがいる時も」

「……あぁ。そうだな」


 不思議な表情で頷いた。


 きっと、私もそんな顔だ。


 ねぇ優人。

 ……もう少しの間だけ、一緒に居ようね?








 それから、私達はいつも通りの日常を過ごす。

 のんびり、ゆったり。

 当たり前で、素敵で、普通で、楽しい。


 楓ちゃんと遊ぶのが楽しい。

 優人とお出かけして楽しい。

 二人で一緒にいると楽しい。


 思えば、私が優人と一緒に過ごし始めてからの時間は。

 まるで夢のようだった。

 覚めない夢を、みているみたい。


 でも、目を覚ます時は確実に近づいてきている。


 夜に、優人が自分の部屋で寝ていて。

 ほんの少しだけ距離の離れた、私の部屋に私がいる時。

 私が「薄く」なっていくのを感じるようになった。


 優人と少しの間、離れていると。

 それだけで、どんどん私が私でなくなっていくのがわかった。


 そう遠くない未来、この生活は終わる。

 もう、私が消えていくのを優人には隠しておけなくなる。


 優人は優しい馬鹿だから。

 私が薄くなっていくのを見ていたら。

 何を言うか、何をするかわからない。


 優人に何か言われたら。

 私自身も何を言い出すかわからない。

 だって、ずっと我慢してるんだもん。


 ずっとずっと、口から飛び出てしまいそうな想いにフタをしているから。


 だから……。


 終わりにしよう。

 そっと、姿を消そう。


 後は、きっといい感じに楓ちゃんがやってくれるでしょ。

 つーか、そうして欲しいなぁ。


 無責任でごめんね優人。

 でも、お願いだから。


 ――幸せに、なってよね?








 優人は、まだ寝ている。

 その枕元で、しばらく彼の寝顔を眺める。


「ふふっ~。これが、疑似彼女の最後の特権だ」


 別に、優人の顔はかっこよくもなんともないけど。

 でも、そんなの今の私には関係ない。

 この世にこんなに愛おしい存在なんて、他にいなくなってしまった。


 幽霊って厄介だ。

 心がむき出しなもんだから、愛することにも愛されることにも純粋すぎる。


 多分、優人は。

 根っこの根っこが純粋に優しい人だから。

 私を見つけられたのだ。


 うん。知らんけど。そう決めた。


「さーてっと。それじゃ、バイバイ。優人」


 幸せに、ね。





 優人の家を飛び出して、私は一人外に出る。


 その瞬間から、「私」がどんどん薄まっていくのがわかる。


 そっか。

 優人が近くにいてくれることで、今まで私を守ってくれていたんだ。

 彼も無自覚なのだろうけれど、多分そういうこと。


 幽霊になってすぐの時襲われた、あの黒くて暗い感覚からも。

 油断すると、酷く恐ろしい方向に心を押し流していくナニカからも。

 どんどんこの世界から、繋がりを失って消えていくことからも。


 みんなみんな。

 優人が近くにいて、私を心配して、思いやって。

「幸せでいて欲しい」って、願ってくれることで。


 守ってくれていたんだ。



「あ~。もー、ちょー好き!! ゆうと大好き!」


 うーん、一人になった開放感っ。

 思わず叫んじゃうね。


 誰にも届かない、私の告白。







 どこへともなく彷徨っていると、気が付いたらあのゲーセンの前にきていた。

 どうやら、私はどうしてもここに縋ってしまうらしい。

 あの時はどうだか知らないが、今の私は絶対優人のせいでここに来てる。


「とはいえ、ここはないなぁ」


 優人は、私が消えたんだと思うはず。

 とはいえ、万が一探しに来られたらいの一番にここに来ちゃいそう。


 かといって、未だに私はなんだかんだ優人憑きの幽霊だ。

 遠くへはいけない。


「あ、そういや公園が近くにあったっけ」


 そこにしよう。

 こういう時は、公共の場所って有り難い!


 案外、公共施設があると助かる幽霊って多いのでは?


 はっ! 発想が公園に住所を構える系の人と同じだっ。

 根なし草はつらいなぁ~。




「お、ジャングルジム。このてっぺんを私の最後の場所としてやろうっ!」


 公園まで来た私は、ジャングルジムのてっぺんにふわりと登る。


 なーんか子供っぽい場所が最後の場所になっちゃったなぁ。

 まーいっか。

 実際、私まだ半分子供みたいなもんだしね。


 いやいや、でも私ってば随分成長したんじゃない?


 昔の私だったら、こんな時はもっと泣いて喚いて、絶望してたはず。

 でも、今は違う。


「ゆーとー! さびしー! あいたーい!! でも絶対くんなー!」


 来るな。二度と顔見せんな。

 私は幸せだったから。

 とっとと私のことなんか忘れちまえ。


 ほら、これくらいのことは言えるようになった。思えるようになった。


 いや、嘘。忘れたらイヤ。

 別に、私に遠慮したりはしなくていいけど。

 でも、忘れないで。


「……はぁ。やっぱ、あんま成長してないかも」


 思わず膝を抱えて縮こまる。


 私のこと、忘れない程度に幸せになって。

 優人。








 今の私は、時間間隔が凄く曖昧だけど。自分の体がどんどん希薄になっていくことで、少しばかり時間が過ぎていることを自覚した。


 あの……ばか。


 わかる。やっぱり優人は、来てしまった。


 ここには来てはいけないのに。

 心のどこかで。……きっと、アナタは来てしまう気がしていた。


 ほら、もうここまでよろよろの足で走って来てる。


「あーあ。来ちゃったかぁ」


 くんなよ! 私の決意返せバカ!


「この、馬鹿家出娘。 帰るぞ。家に」


 バカは、そっちでしょ。

 もう、ここまでなんだよ。


「……私が言いたい事は、わかるでしょ?」

「俺が好きだってか?」


 ……今なんて言った?

 優人、だよね?


 スキ――?


「バッ……ちがっ……このっ! アホ!」


 この期に及んでなにを!!


「ばっかじゃないの!? 違うでしょっ。もう終わりにしようって言ってんのっ。これ以上は、お互いがいつか辛くなるだけでしょ!」

「なんで?」


 優人は全くの真顔のままで聞いてくる。


 なんで、じゃないよ。

 わかってるくせに!


「……優人、私と居たいんでしょ? 私も優人と居たいでも」

「居たらいい」

「でもっ!! わかるのっ。そう遠くなく、私は消える!! 優人と離れてる時っ。夜に一人のふとした時間! 自分の存在が薄くなる瞬間がわかるっ!! だからっ……」


 だから……もう。


 気が付いたら、私は立ち上がって拳を握りしめていた。


「スカートの中みえてるぞ」


 このボケナス……。


「……っ勝手にみなさいよ」


 今までは、はしたないからやめなさいとか言ってた癖に!


「実は、俺も癌でさ。余命あと一年って言われてんだ」


 ……!?


「……はっ? え、ほ、本当に!?」

「嘘に決まってんだろ」

「――!? あ、あんたね……!」


 こ、のぉ……!!


「俺がもうすぐ死ぬって言われて、姿を消したら。佐倉ならどうしてた?」


 わかる。優人の言いたいことはわかる。

 私が悪い。無責任だ。酷いことしてる。


 でも……! それでもわかってよっ!


「……っ変な例えはヤメテよ! 違うでしょっ。私は幽霊なの! もう、終わってる人間なのっ」


 アナタの隣に、居たいけど。もう居られない!!


 居ていいわけがないっ!


「佐倉」


 優人が、ぽつりと私の名を口にした後。大きく息を吸い込むのがわかった。


「大人をなめんなよっ!!!」


 ――!?


 優人が、こんなに大きな声で叫ぶのを。

 初めて聞いた。


「俺はな、お前よりずっとダラダラ長い時間かけてつまらん人生過ごして! 何度も何度も失望して絶望して! 終わってる? そりゃ俺だ! 俺の人生こそ終わってるっ!!」


 そんな。

 そんなの。


 私に言わないで。


「お前と出会ったら、また始まっちまったじゃねぇか! お前だけが俺のくそったれな人生の中で唯一の意味になっちまったじゃねぇか! 責任とれとは言わねぇ。でも責任くらいとらせろ!」


 そんなことを言われたら。


 本当に、私は我慢ができなくなってしまう。


 アナタに縋り付いてしまう。


 最後の、最後まで。


「演劇の練習中です!!」


 優人が、散歩中の人に大声で叫ぶ。

 最初に会った時は、もっと人の目だって気にしていたのに。


 今の優人は、私しか見ていない。


 そんな目で……見ないでよバカ。


「……この、ばか。もう、やめて。 私は嫌なの。私はあんたに幸せになって欲しいの。私は……それを最後まで果たせないもん」


 アナタの幸せを奪う存在に、私はなりたくない。


 最初に優人に会った時みたいに。私は、涙がこぼれた。


「ばかはお前だ。大人になりゃなぁ。最後までなんて、言えなくなるんだよ。誰だって一緒だ。人は、死ぬとき一人なんてザラだ。最後に幸せにしてくれるのが、そん時隣にいる人間だなんてのはただ運がよかったやつさ」


 ……それなら私は間違いなく幸運だ。


 だって、幽霊になってまで。隣に大好きな人ができてしまったのだから。


「俺にとっては、お前に憑りつかれたのが運の尽きなんだよ。それで使い切った。だが十分だ。佐倉に最高に幸せだって消えてもらえたなら、俺だって最高に幸せな人生だったって死んでみせる! 約束するっ」


 運の尽きって……。

 良いんだか悪いんだかわからない言い方しないでよ。もうっ……。


 私が幸せだって、消えたら。か。


 そっか。

 幸せって。死んでくれるのか。


 本当に、そうなら。


 私が、いても。

 優人が、幸せなままでいてくれるなら――。


 私……。


「……約束、できるの?」


 私は、最後まで。

 とことんまで。


 アナタを……。


「する。ていうか、既に俺は幸せなんだ。後は、佐倉に最後まで幸せでいて貰えれば。それでもうこの人生に文句はねぇ」


 って、優人もかっ。

 あんたはあんたで、私の幸せばっかり。

 私は私で、優人の幸せのことばっかり。


 ったく。

 大体、根本的に優人は生き方が後ろ向きすぎるのよ。

 こんな小娘の幽霊に出会ったくらいで、人生満足してんじゃないわよ。

 もー、困ったなぁ。


 困ったけど。

 でも、もういいかぁ。


 優人は、きっと私との約束。守ってくれるもの。


「まったく。やっぱりどこか優人の人生観は後ろ向きなんだよねぇ。でも、いいわ。私もいい加減、我慢の限界」


 ん、いいや。

 私も、優人を信じるよ。


「我慢のしすぎはよくねーぞ?」

「ははっだよね」


 ジャングルジムから飛び下りて、優人の目の前に。

 別れる前にも見た。

 愛しいアナタと、今は目が合う。


 さぁ。

 今こそ私のもう一つの方の望みを。

 アナタへの想いを……。


「私ね、優人のことが好き。今の私は、心の塊みたいなもんだからさ。きっとすっごく純粋に、とんでもなくまじりっけなしにアンタが好き。男女とかもうそういう次元じゃないかもしれないくらい」


 アナタへの想いで。私の世界は洪水を起こしそう。とか。

 ちょっと詩的すぎるかな?


 でも、多分そんなん。


 いっぱいいっぱいで、もう無理無理。

 優人に受け止めきれるかなー?


「お前が望むんなら、恋人だろうが夫婦だろうが保護者だろうが。どんな関係でも俺はいいよ」


 ありゃ。大盤振る舞いじゃない。

 さっすが、優人。

 こいつ私のこと大好きだな。


「うへへっ。よりどりみどりかー。ん~優人がお兄ちゃんとかもいいけどさ。やっぱ恋人っぽいのがいいかもね? それが一番ロマンがあるよねやっぱ」

「そうかもな」


 そらそうよ。

 だって、お互い初めての相手でしょ?


 本当に「心から」好きになる相手なんて、さ。


「佐倉。俺は、お前のことが」


 あ、それはアカン。


「ストップ!!」


 優人がはしごを外されたような顔をしているけど。


「ダメ。それ言われちゃうとさ。マジで本格的に私。今すぐ成仏しちゃう可能性あるから。言わないで」

「え~……?」


 いや、まじで。

 今、アナタの声で「好き」だなんて聞いてしまったら。

 文字通り昇天しちゃうぞあたしってば。


「いや、ここで言われてス~って消えるのも、それはそれでいいんだよ? ただほら、どうせだったらもっとこう引っ張ってさ。優人とあれこれ楽しみたいでしょ?」

「ま、そらそうだな」


 もう、ここまできちゃったからには。ねっ。

 もっと、も~っと。

 楽しもうよ!!


 私と優人が一緒なら。幾らでも……。


「じゃーそれでいいよ。俺の気持ちは変わらない。どうあっても佐倉の幸せを願ってる」


 そかそか。

 じゃーその第一歩だ。


 簡単に、もっと幸せになれちゃう方法おしえたる。


「うん! 私もっ。だったら一つ命令」

「命令?」

「そ。 いい加減、名前でよべ!!」


 私の事を、もっと好きになれ!


 私もアナタを、もっと好きになる!


「あー。えっと……。 ナオ……」


 今さら照れんな!!


「もっとはっきり呼べ! 愛をこめて呼べ!」

「凪音!! 帰るぞ!!」

「うんっ!! 帰るっ!」


 大好き!! 優人!


 優人に思わず飛びついた。


 お互い、熱も、感触もないだろうけど。


 間違いなく、私はアナタを捕まえた。


 間違いなく、アナタは私を抱きしめた。


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