第2話 再会
ギャルのあの子に落とし物を届けてもらって。
俺はお礼にぬいぐるみを彼女にあげて。
その後、俺は久しぶりに気分よく家に帰った。
なにしろ、久々にちゃんと食材を買い込んで、料理をしたくらいだ。
別に、それで次の日まで気分が良くなったりはしない。
けれど、その日は確かに気分よくベッドに入ることができたのだった。
単純に若い女の子にかまってもらったという、どうしようもない理由もあるし。
あんな風に、親切にしてもらって、お礼を言ったり言われたりして。
そんなやりとりをしたのが久しぶりだったから、ということもあるのだろう。
ただ取り合えず、特に意味はなくとも。今まで以上に頻繁にゲームセンターに足が向くことになりそうだなと、意識が夢の世界にいってしまう寸前に思った。
出勤して、職場に向かう。
その時にはもう、昨日の感動もすでに薄れていた。
毎日のルーティンワークには、ちょっとした感動などすぐに打ち消してしまうほどの安定感がある。
俺の場合は悪い意味で、だ。
それでも、薄れてしまうだけで消滅してしまうわけではない。
だから、憂鬱な職場へ向かう電車を待つ時間も、多少はましに思えた。
職場に到着した後は、自分の感情などあまり必要ない。
淡々とやるべき業務をこなすだけだ。
ここで自己の感情を持ち出しても、あまり良い結果にはならない。
別に俺は出世なんて求めていないし、人間関係は表面をなぞる程度で十分だった。
そういう意味では、休憩時間は結構面倒な時間とも言える。
勿論、仕事をずっと続けるよりはいいのだろうが、それなりに同僚との会話もしなくてはならない。
人付き合いがすこぶる嫌いなわけではないが、好きなわけでも得意なわけでもない俺にとっては、若干面倒なのが本音だ。
「佐藤さんって、休日なにしてるんっすか?」
早速、隣の席に座った後輩に話しかけられた。
職場に備え付けられた休憩室は常に解放されているし、席も自由に使えるのだ。
他の席も沢山空いているのに、わざわざ俺の隣に座ったらしい。
この後輩は今年入ったばかりの新人なのだが、臆さずに話しかけてくるタイプの女性なのである。
しかも割とタイムリーな話題。
昨日、人に言いたくない休日の過ごし方をしてきたばかりだ。
ゲームセンターに行ってるとも言いたくなければ、偶々女子高生に親切にしてもらって浮かれてたとも言いたくない。
「んー。家でごろごろしてるだけだよ。特になにもしてないな」
俺がそういうと、後輩のえっと、
小山が、残念な人を見るような目でこちらを見る。
いや、俺の被害妄想なのかもしれないけれど。
「え~。佐藤さん、趣味とかないんすか? どうかと思いますよー。そういう休日の過ごし方って」
被害妄想でもなかったな。
心底呆れられている様子だ。
しかし、そんなこと言われてもなぁ。
人に堂々と言えるような趣味なんて、俺は持ち合わせていない。
「そういう小山さんは? どんな休日を過ごすんだ?」
「え? セクハラですか?」
マジかこいつ。
いや、それともこれって本当にセクハラに該当する質問なんだろうか。
昨今の事情で、この手の問題がやたらめったら繊細なのは知っているが。
こうなるともう、女性と職場で話すこと自体が億劫なことになるなぁ。
「じょーだんですってば。そんな顔しないでくださいよ佐藤さん」
冗談なのかよ。
っていうか、どんな顔してたんだろう俺。
一応、下手に人間関係を悪化させない程度には、表情筋にも気をつかって会話をする癖をつけていたはずだったのだが。
あるいは、小山が人の表情や感情を読むことに長けているタイプなのかもしれない。
実際こいつは、明らかにコミュニケーション能力に秀でた感じに見える。
「いや、すまん。どうも最近はそういう話題は洒落にならないからさ」
「あーそうっすねぇ。私も軽率でした。すみません」
ほら、こうやって簡単に謝ってくれて、その仕草や表情で相手を不快にさせない。
まぁ、そもそも変な冗談言わなきゃいいのだが。お調子者でもあるのだろう。
「で、私の休日っすね。そりゃもう、お洒落なカフェ行ったり、パワースポット巡ったりですよ」
なんか、女子のテンプレ行動のように聞こえる。
実際のところどうなのかは知らないけど、俺からすればそう感じた。
別に否定する気は全然ないが。
なにしろ、ゲーセン通いよりはまともだろうし。
でも、小山がそういう行動をしているのはなんとなく意外だ。
セミロングの黒髪に小柄な背丈の彼女は、割と活動的に見える。
もっとスポーティな事とかをしているイメージだった。
とは言え、そんな事を口にして話題を広げる気はない。
「へ~。そうか、流石小山さんは女子力高いね」
俺が適当な感想を述べると、小山は目を細めてこちらを見てきた。
所謂、ジト目と言うやつか。
「女子力って……。佐藤さん、本当にそんなこと思ってます?」
やっぱ、そういうの見抜くタイプなのね。
いいじゃん、褒め言葉なんだから。多分。
適当に受け取っておいてくれよ。
「思ってる思ってる。さーて、そろそろ仕事戻るかな」
「あっ、話はまだっ。 もー、佐藤さんは適当なんっすからー」
その通りだ。
俺は、適当な人間なのだ。
だから、そっちも適当に受け流すくらいのつもりで話してくれよ。
そう、いつものように思った。
今週も、なんとか休みまで仕事に耐え忍び。
再び休日を迎えることができた。
俺は当然のように前と同じ時間帯でゲームセンターに向かう。
勿論、例のギャルの子がまたこの時間帯に来ているとは思ってはいない。
そもそも、仮に来ていたからなんだというのか。
以前に彼女が話しかけてくれたのは、単に落とし物を拾ってくれたからだ。
特に理由もないのに、自分の様な人間に話しかけてくることはないだろう。
実際、そんな期待まではしていなかった。
ただ単に、どうせ行くのだから時間帯を同じにしたほうが少しはテンションが上がるなぁ程度の気持ちである。
ゲームセンターに入った俺は、いつものルートでいつもの筐体に向かう。
両替をして、弾を買ってと、これも一種のルーティンワークじみた動きだが、一応まだこの行動には嫌気が差したり、飽きたりはしていない。
いずれ飽きて辞める時は来るのかもしれないけど、この前のようなこともあったしな。あれでほんの少し延命したかな?
そんなことを思いつつ、銃を握って、パネルに狙いをつける。
呼吸を止めて、引き金を引く。
パンッと爽快感のあるような、あるいは間抜けなような音と共にコルクが飛んでいった。
まぁ、がんばって狙っても所詮はコルクの弾だから、簡単に逸れてしまうのだが。
次の弾を銃にこめて、もう一度狙いをつけて。
引き金を引いた瞬間。
「あ、おっさんまたやってる」
そんな声が聞こえて、狙いがえらくぶれた。
この声って……。
振り返ると、そこにはこの前に出会ったギャルが立っていた。
「あぁ、こんにちは。この前はありがとう」
かなりびっくりしていて、心臓の鼓動も若干早くなっているのだが。
なんでもない風を装って返事をした。
流石にこれで動揺を隠せないようだと、大人としてどうかと思うし。
「いやー、私こそありがと、ちゃんと飾ってるから」
飾ってる?
と、最初は頭のなかで疑問符が溢れたが、あぁあのぬいぐるみの事かと途中で思い当たった。
改めてお礼と報告とは、相変わらず律儀な子だ。
「そんでね、おっさんにちょっと聞きたいことがあるんだけど……。あ、ゲームの中断させちゃったかな? それなら別にいいんだけど」
え?
「いや、別に大丈夫だよ。それより、俺に聞きたい事?」
なんだろうか。
俺と彼女は初対面ではないが、かなり薄い関係性だ。
なにしろお互いの名前すら知らないのだから。
そんな俺に聞きたいこと、というのは、なんなのか。
全く予想できない。
「う~んと、なんっつたらいいのか……」
彼女は、少し俯いて言いにくそうにしている。
言いにくそうというか、言葉にしにくい内容なのかも知れない。
しかし、彼女はすぐに顔をあげた。
「あのさ、おっさんて社会人だよね? 大学生だったりする?」
「あぁ、社会人だな。大学は結構前に卒業したよ」
別に老け顔ではないだろうが、童顔でもないはずなのだが。
まだ学生に見えるのだろうか。
まぁ、今は普段着だしな。年齢はわかりにくいかもしれない。
大学生にも老けたやつはいるしなぁ。
「そっか。じゃぁ聞くけどさ。おっさんて今、楽しい?」
心臓が凍り付いた気がした。
全く予想していなかった。
そんな質問は。
今が楽しいか?
当然、「いいえ」だ。
だが、「今」と限らず、俺はいつなら楽しかったのだ?
親の庇護のもとで何も考えずいられた幼少の頃以外で、いつ。
「えっと、まぁ普通、かな。すごく楽しいわけじゃないけど」
しかし俺は、そんな曖昧な返事を彼女に返していた。
何故だか、彼女に対してまったく楽しくない、と言い切るのは躊躇われたのだ。
自分の安いプライド故か、あるいは彼女の将来への影響を心配してなのかは、自分でも判然としないが。
彼女は、納得したような、そうでもないような。
微妙な顔をしていた。
「そっか~。ん~。私もそのうち受験生だからさぁ。でさ、私ってこんなんだし、将来のこととか凄い色々言われてんの。だから、実際大人ってどんなかなぁって思って」
なるほど。
彼女の言葉を聞いて、少しだけ得心がいった。
なぜこんな薄い関係の自分に質問などするのか。
それは、薄い関係だからなのだろう。
彼女は身近な人間や親しい人間からはでてこないような、後腐れのない率直な意見を欲したのではないか。
それならば、俺は、もう少し素直に答えるべきなのかも知れない。
大人としてのプライドは、脇に置いておいて。
そう思って、俺は口を開いた。
「なるほど。俺は、正直そんなに楽しい生活はしていないよ。たしかに、不安になるような要素が沢山あるのは事実だしね。でも、すぐ死んじゃうようなことは滅多にないし」
言いながら、周りを見渡した。
「今日は、友達と一緒じゃないの?」
「えっ? 一緒だよ。おっさん見かけたから、また違うゲームして待っててもらってる」
あぁ、友達を待たせてまで俺に質問しにきてくれたのか。
じゃあ、ますますちゃんと答えないとな。
「そうか。なら友達大事にするとか、趣味を持つとかすれば、それで結構違ってくるよ。確証はないけど、君なら社会に出ても楽しい生活ができるんじゃないかな」
本当に、確証のない話だった。
確かにこの子は良い子だろうが、この世はだからといって楽しく過ごせるという世界では、残念ながらない。
それでも、この子には楽しい生活を送ってほしいものだと。
なんとなく思ったのだ。
だから、祈りというか、願いをこめて。
そう言った。
「なーる。友達とか、趣味、ね。わかった。ありがと、おっさん」
俺の言葉を聞いて、それに答えた彼女の声は、恐らく本当に納得したものではない。
様々な悩みが彼女にはあって、それが俺の言葉一つで解決したりはすまい。
それでも、少しは考えごとの足しになれば良いのだが。
このたいして役に立たない俺の助言にも、笑顔でお礼を言う、彼女の不安が。
少しでも、解消されたら嬉しいのだが。
そんなことを思いながら、予想だにしていなかった彼女との二度目の邂逅は終わった。
因みに、まだ景品を取る前だったので、彼女にもう一度プレゼントをあげることはできなかった。
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