犯人
夜、仕事から帰ってきたジェイちゃんが自分のベッドルームに入った途端に何やら喚き出した。
「エンジュッ! エンちゃんッ、ちょっと来なさいッ! エンちゃんッ」
何度も呼ばれ、ソファーでのんびり昼寝していたエンジュが渋々起き上がると如何にも面倒臭そうな顔でジェイちゃんの部屋へ行く。
「コレはなんですか?!」
ジェイちゃんがクッシャクシャになったベッドカバーとシーツを指差す。毛布は上手に丸められ、まるで大型の鳥の巣のようだ。これはエンジュがジェイちゃんのベッドの上で昼寝をした証拠だ。毎朝きっちりとベッドメイキングするジェイちゃんが腹を立てるのもわからんでもないが、それなら何故ちゃんと部屋のドアを閉めていかないのか。奴は詰めが甘いのだ。
証拠品を突きつけられたエンジュがちらりと上目遣いにジェイちゃんを見ると、エヘヘ、どうもスンマッセーンとニヤついた顔で尻尾の先を振る。エンジュは表情筋が異様に発達していて、物凄く表情豊かだ。全然悪いと思っていないどころかジェイちゃんを完全に馬鹿にしている様子がハッキリ伝わってくる。
私が背後で笑っていると、ジェイちゃんが「笑い事じゃない!」と言って軽くキレた。このヒト意外によくキレるのだ。
「エンジュが爪でシーツをバリバリやるから、また破けたじゃん!」
「……え?」
笑いを止めて改めてシーツを見る。このラベンダー色の高級シーツは……!
「ちょっとッ! コレ私のじゃんっ!なんで私のシーツをジェイちゃんが使ってんの?!」
瞬時に思いっきりキレる私。
「だ、だって、僕のシーツは三枚ともエンジュが穴をあけて……」
「だったら新しいの買いに行けばいいでしょっ?! ヒトの物勝手に使うとか最悪ッ」
「エ、エンちゃんが悪いんだ!」
私にジロリと睨まれ、雲行きの怪しさを察知したエンジュが尻尾を巻いてふるふると震えだす。大袈裟に言ってるわけではなくて、この子ホントにガタガタフルフルと全身で震えるのだ。
「いいや、ヒトのお気に入りのシーツを勝手に使った上、ドアをちゃんと閉めなかったジェイちゃんが悪い」
神は依怙贔屓なのだ。ジェイちゃんが不服気に口を尖らせ、エンちゃんが露骨にホッとした顔をする。ちなみにこういう時、吹雪はとばっちりを避けてヒトの目につかない所にひっそりと隠れている。
「ったく、ドアくらいちゃんと閉めなよねっ」
「……閉めたはずなんだけど」
「言い訳するなっ」
何やら口の中でぶつぶつ言っているジェイちゃんに軽く蹴りを入れてから自分の部屋に入る。ふと何か違和感を感じて自分のベッドをじっと見る。私の毛布はピシッと綺麗なままだが、なにやら羽根枕が妙な具合に潰れている気がする。
むむむ……と枕に顔を近づけ、突如和泉怒りボルテージMAX。
「エ〜ン〜ジュ〜〜〜」
エンジュがこめかみを引き攣らせ、ぴったりと耳を伏せ、匍匐前進でソロソロと部屋に入って来た。
「ナンですかコレはッ?!」
ベットリと目ヤニの付いた枕を指差し怒鳴り散らす私。それをドアの陰からニヤニヤと笑いながら見物するジェイちゃん。
なぜか、エンジュは仔犬の頃から毎朝必ず私の枕に顔を擦り付けるのだ。一度でも叱られた事は決して繰り返さないエンジュだが、コレだけは何度叱ってもやめない。隙さえあれば必ずやる。私に怒られることが分かっていてブルブル震えている癖に、なんで君はやめないのかね?
よく分からないのが、ジェイちゃんの枕には決してやらないということ。あれだけ毛布グチャグチャにしてるんだから、ついでに顔もジェイちゃんの枕で拭けばいいじゃん! それなら神は何も言わないよ!
「イズミがドアをちゃんと閉めてないから〜」とジェイちゃんが嬉しげにニヤつく。
「私は閉めたよっ! どうせジェイちゃんがなんか取りに私の部屋に入って、ドアを閉め忘れたんでしょっ」
「む、無実だ! 冤罪だ!」
「いいや、今朝、私のiPhoneのチャージャー貸してとか言ってたじゃん」
「で、でも……」
モゴモゴと口ごもるジェイちゃんに枕カバーを投げる。
「責任持ってちゃんとソレ洗っといてよね!」
それにしても何故エンジュは私の枕で目ヤニを拭くのか。忌々しいったらありゃしない。しかし何度叱ってもやめないから、すでに叱る気も失せた。何かもっと他のアイデアはないものか……。
しばらく考えてハッと閃いた。そうだ、躾の基本。叱ってダメな子は褒めて伸ばそう!
翌朝。
朝シャン派のジェイちゃんがバスルームに入ったのを見計らって、エンジュをジェイちゃんの部屋に呼び込む。
「エンちゃん、Up on the bed!」
エンジュが素早くジェイちゃんのベッドに飛び乗る。よしよしと大袈裟に褒めてやる。神に褒められエンジュが興奮する。そこでジェイちゃんの枕を指差す。エンジュがガバッと枕に飛びつく。よし! そのままソレで顔をコシコシするのだ! メッチャ褒めてあげるから……!
しかし神の期待を裏切り、エンジュは不意にハッとした表情で枕から顔を上げた。そして我に返ったようにジェイちゃんの枕を数秒見つめ、ふんふんとソレを嗅ぎ、くしゅんと鼻を鳴らした。そして何やらフガフガ言いながら鼻面を前足で引っ掻くとベッドから飛び降りた。
「……エンちゃん、これで顔拭いていいんだよ?」と言って枕を差し出すと、エンジュは露骨に嫌な顔をして目を逸らした。
エンジュのこの表情。コレはもしや……、とジェイちゃんの枕を嗅いでみた。
……臭い。メッチャ臭い。
ジェイちゃんは朝シャン派だ。つまりべっとべとの汗臭い汚い頭で毎晩寝ている。必然的に彼の枕にはその臭いが染みつく。異臭を放つ枕をベッドに投げ捨て、自分の部屋に駆け込み、枕の匂いを嗅いでみた。いい匂いだ。シャンプーとコンディショナーと柑橘系ボディーソープの爽やかな匂いがする。当たり前だ。私は夜シャン派なのだから。
ふと下を見るとエンジュが期待に満ちた表情で私の枕を見つめている。
「……ナルホドね」
エンジュと暮らし始めてから八年目にしてようやく合点がいった。エンジュは枕で目ヤニを拭こうとしていたわけではない。私の枕の匂いを自分に付けようとしていたのだ。
多くの犬は自分の好みの匂いを身体に擦り付けるが(例:乾燥ミミズ、他所の犬のフン、動物の死体)エンジュは「いい匂い」が好きなのだ。香水、シャンプー、石鹸、乾燥機に入れる柔軟剤、私の友人のデオドラントを気に入って彼女の脇に体を擦り付けた事もある。数年前のエンジュのクリスマスプレゼントはランコムの香水だった。タオルにシュッと香水をひと吹きして床に投げてやると、大興奮して体を擦り付けまくる。そしてちゃんと全身香水の匂いになる。私は香水は使わないが、しかし私のシャンプーの匂いがエンジュのお気に召していたらしい。ジェイちゃんの腐臭漂う枕なんぞお呼びではなかったのだ。
シャワーから出てきたジェイちゃんに嬉々としてこの世紀の大発見について報告すると、彼は非常に複雑な顔をした。
「……それってつまり僕の枕で目ヤニを拭くように教えようとしてたってこと?」
「いいじゃん別に、そんな細かいところはスルーしようよ」
「全然良くない! イズミってヒトとしてどうなの?!」
「私の人間性を疑う暇があったら自分の枕を洗いなよ。犬も嫌がるような臭いの枕で寝てるってヒトとしてどうよ? ってかさ、夜シャワー浴びなって言ってるでしょ。皮脂で毛穴が詰まってハゲるよ? デブでハゲとかもう最悪だよ? もしジェイちゃんが犬だったら、保健所で貰い手つかなくて速攻ガス室送りだよ?」
「……大丈夫、僕はイズミと違って性格が良いから、誰かイイヒトがきっと愛してくれる」
後日。
閉められたドアを器用に鼻を使って開けていた犯人は吹雪だと発覚した。
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