喋る猫

 ヒトも動物も、持って生まれた性格は千差万別。特に躾けなくても従順でのんびりした子もいれば、気難しい女王様気質の子もいる。

 女王様気質と言えば、猫のあのプライドの高さってのは一体何なのだと言いたい。他の動物、例えば馬にだってプライドが高い子は多いが、しかし女王様気質率は猫の足元にも及ばない。おまけに一日の睡眠時間が二時間という働き者の馬に比べ、猫は十六時間。お前ら日がな一日のんべんだらりとしている癖に、妙に態度がデカイんだよ! プライドばっかり無駄に高いんだよ!

 しかし世の中には「あの猫くんの誇り高さが堪らない」と言うヒトがいる。あぁ、Mなのね、と思う。別にいいんですよ。私は趣味嗜好でヒトを差別したりはしない。飼い猫の衣食住を保障するため一日中働き、疲れ切って家に帰り、癒しを求めてモフモフの腹に顔をうずめた途端に猫くんの不興を買い、頭に猫キックを喰らう。そういうのが好きなヒトも世の中にはいるのだろうし、私はどんなヒトでも生温かい目で見守ってあげる主義なのだ。などと言っていると、「ではお前は猫が嫌いなのか」とか言われそうだが、それは違う。アレルギーが酷くて飼えないだけで、私は猫が大好きだ。


 中学の頃、シャロンという名のターキッシュアンゴラの雑種を飼っていた。シャロン君のお母さんは海外から輸入された純潔美貌のターキッシュアンゴラだったのだが、いかんせん尻軽で、ひょっと外に脱走した隙に妊娠してしまった。そして産まれたのがシャロン君。母の血を受け継ぎ、シャロン君は純白の毛皮とオッドアイ(左眼が青で右眼が金色)のイケメンだった。彼は賢く、やんちゃで、やや我儘。そして非常にプライドが高かった。


 シャロン君は毎朝五時半に母に朝食を貰い、六時ぴったりに私を起こしに来た。にゃーにゃーと甘い鳴き声の猫の目覚まし時計は仲々メルヘンで楽しい。まぁ子供の頃から低血圧で寝起きの悪い私は、足に噛みつかれるまで起きないのだが。

 そんなある日の事。いつものようにシャロン君のにゃーにゃー声に目覚めた私。しかし何だかいつもより早い気がする……と思い、眠い目をこすりつつ枕元の時計を見た。5時45分だった。たった十五分と言って馬鹿にしてはいけない。朝の弱い人間にとって、早朝の十五分は黄金一キロ分の価値がある。

「シャロンの馬鹿ッ! 十五分も早いじゃんっ! バカッ」

 瞬時にブチ切れて喚く私。と、シャロンが不意に不機嫌そうな顔になり、ジロリと私を睨むと低い声で「うにゃにゃにゃにゃ」 と言った。

「ふざけんな、俺様がわざわざ起こしに来てやってんのに、たかが十五分くらいでグダグダ言ってんじゃねーよ」

 そのまま部屋を出て行ったシャロン君は、それ以後二度と私を起こしに来なくなった。

「シャロン、イズちゃんを起こしておいで」と母が言っても、プイっとそっぽを向く。

「シャアちゃんゴメンね」と幾ら謝っても許してくれなかった。いつも通り一緒に遊び、私が学校から帰ってくると嬉しげに駆け寄って来るのだが、朝だけはガンとして部屋に来ない。まぁ私も怒鳴ったりして悪かったけどさぁ、でもこの私が猫撫で声まで出して、した手に出てるんだから、過ぎた事は水に流してくれたっていいじゃん。などという理屈は猫には通じない。君達、そんなことだから日本昔話で「執念深い」だの「化け猫」だのって言われちゃうんだよ?


 乗馬用のレベルの高い馬には、「おまえみたいな下手糞、誰が乗せてやるか!」みたいな子が多い。当たり前だ。私だって勝手に背中によじ登っておきながら、無闇矢鱈と脇腹を蹴ってきたり、意味も無くくつわを引っ張るような輩はごめんだ。私だったらうっかりした振りをして、棘の出たフェンスに擦り付けて落としてやる。

 馬は仕事をしているので多少のことは仕方が無い。馬にだって仕事上のストレスがあるのだ。彼等は賢く、往々にして真面目で、仕事にプライドを持っている。変な客や分からず屋の上司(かいぬし)に苛々もするだろう。しかし最近の日本では仕事をしている家猫は珍しい。殆どの猫、特に室内飼いの猫くん達はネズミの捕り方すらろくに知らないのではないだろうか。


 例えば我が家で昔飼っていた雄猫のミルクくん。彼が獲るのは精々台所に出没するゴキちゃんと金魚鉢の金魚、そして焼き立てのパンくらいだった。甘党だったミルクくんは隣家に工事に来ていた大工さんのトラックに忍び込み、メロンパンを獲ってきたことがある。獲ってきた、というよりは盗ってきたのだが、その違いの解らない彼は非常に得意気だった。獲物を咥えてピンと尻尾を立て、意気揚々と家に帰って来たミルクくんを見て、慌てた母が代わりの品を持って大工さんに謝りに行ったところ、「えっ?! 猫の癖にメロンパンって、スルメや干物とかもあったのに」 と苦笑されたそうな。

「メロンパンを盗んだ事よりも、横のスルメを盗まなかったことが何だか恥ずかしい……」 と母は力無く呟いていた。

 一応ミルクくんの名誉の為に断っておくが、消化に悪いスルメよりもメロンパンの方が良いチョイスだ。そもそも猫には意外に甘党が多い。車の不凍液に使われる甘いエチレングリコールをペロペロしちゃって急性腎不全になる猫くんは多い。因みにスプーン一杯分で猫の腎臓は完全に壊れちゃうんで、道端に零れた不凍液はきちんと始末して下さい。


 このミルクくんを連れて田舎へ遊びに行った時のこと。

 田舎だからネズミやイタチがやたらと多い。冷蔵庫の下へ逃げ込んだネズミを見て、「ミルクに獲らせたれ」とトモユキ伯父が言い出した。都会派のミルクくんはネズミなど恐らく見たこともないと思われるが、しかしやはり本能をくすぐられるのか、開き切った瞳孔でジッと冷蔵庫の下を見つめている。そこへネズ君が飛び出してきた。モグラ叩きのように真上からバシリとネズ君の頭を叩こうとするミルクくん。ミルクくんの爪の下をかいくぐり、あっという間に逃げ去るネズ君。

「チガウッ」 と突如トモユキ伯父が叫んだ。

「なんやおめえは、猫の癖にあかん奴やのう。鼠は上から叩くんやない、こうやって横殴りにするんやっ」と懸命に猫に向かって狩猟方法をデモンストレーションする野生児トモユキ君。しかし何度やらせてもモグラ叩きでネズ君を取り逃がすミルクくん。

「アホな猫やのう。あんなもん、幾らやっても鼠なんて獲れれへんど」と呆れるトモユキ伯父を尻目に、ミルクくんがふわ〜っとひとつ大アクビした。

「そんなに言うならお前が獲れや」と思っているに違いない。


 見知らぬ土地で迷子になっても困るので、田舎にいる間、ミルクくんは外に出る時は首輪と細い紐で繋がれていた。そして風通しの良い内庭で時々日向ぼっこをさせていた。おっとりとした性格のミルクくんは紐で繋がれることにも抵抗を見せず、いつものんびりと昼寝をしていた。

 そんなある日の事。ミルクくんが外にいることなどすっかり忘れ、私と母はぺちゃくちゃとお喋りしながら台所で寛いでいた。と、不意に何やら嗄れた子供の声がした。田舎の家は広く、隣の家は遠い。そもそも近所に子供はいない。

「なに今の声?」

 二人で首を傾げ、耳を澄ませた。数秒後、今度はハッキリと嗄れた声が聞こえた。

「タ、ス、ケ、テ」

 息を飲んで母と顔を見合わせた。家の前には川がある。子供が溺れているのかと思い、二人で外に駆け出した。するとそこには、柘植の木から首吊り状態になってぶら下がるミルクくんの姿が……。

 ミルクくんは猫の癖に木登りが下手だった。しかし目の前の低い柘植の木くらいならイケると思ったのだろうか。登り始め、あちこちに紐が絡み、身動き出来なくなったところで足を滑らせたらしい。まさに間一髪。あと数秒遅かったら彼は死んでいただろう。

「……今さ、ミルク、絶対喋ったよね」

「うん、タスケテ、って聞こえた」

 母と二人、やや呆然としつつ、ぜぇぜぇと荒い息をつくミルクくんを抱きしめていると、祖母が畠から帰ってきた。

「あんたらけえな? 今なんやおかしな声したやろ? タスケテやら言わへんかったか?」


 この話を他人にしても、誰も信じてはくれない。しかし私と母は知っている。

 猫は喋れるのだ。だけどヒトに知られたら色々と面倒だ。ヒトのくだらない仕事を押し付けられたり、素晴らしい人語理解力をみせるイルカくんやアシカくん達のように軍役に使われたりしたら堪らない。猫くん達にとって、命の次に大切なのはプライドと昼寝の自由を守ること。


 だからこれは猫族の極秘事項なのだろう。


 命惜しさに猫族最大の秘密を漏らしたミルクくん。しかし暗殺者の爪が彼に伸びるようなことは無かった。猫族が基本的に怠け者の集まりでヨカッタネ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る