愚者の黄金

「ヨセミテに行きたい」 とある日突然母が言い出した。

 テレビでヨセミテ国立公園の特集をやっていたらしい。

「一生に一度でいいから、あんな雄大な景色を自分の目でみてみたい」 とうっとりと語る母。

「別にいいけど」 と言ってから私とジェイちゃんは顔を見合わせた。

「……でもママさんが歩いて行けるような所は、そんなたいした景色じゃないよ? テレビで見たようなスゴイ景色や滝は、足場の悪い山道を上の方まで歩いて行かなくちゃいけないんだよ?」

「ロープウェイとかないの?」

「ナイナイ」


 我が母はそんな歳でもない癖に非常に足腰が弱い。若い頃から車ばかりに頼っていたからだろう。数年前、山形県の山寺へ行った。私とジェイちゃんは競争して下から上まで一気に駆け上ったが、母はなんと四分の一も行かないところでギブアップした。ちょっとビックリだ。もっと白髪のお婆さんとか腰の曲がったお爺さんとか頑張って登ってるよ!

 山寺すら登れないヒトがヨセミテなんぞ行ったら遭難確実だ。巻添えはごめん蒙りたい。遭難しなくても、老人介護は必須だろう。

 そう伝えると、彼女は「失礼な!」と憤慨した。失礼も何も本当のことじゃん。

「じゃあ頑張って少し歩く練習する!」 と言い出す母。

「ハイハイ、がんばってね」

 どうせ三日坊主だろうと思っていた。しかし予想に反し、彼女は大雨の日以外は本当に毎日ウォーキングに出るようになった。年寄りは朝が早い。初めは六時頃だったのが段々早くなり、夏になると四時前に家を出るようになった。それってまだ外真っ暗でしょうが?!

 最初は家の周りを一周するだけでへばっていた母は、徐々に距離を伸ばし、やがて元気が有り余って時々パタパタと駆け足までするようになった。彼女は三浦しをんさんの箱根駅伝青春小説が大好きで、その影響もあるらしい。色々と影響されやすいヒトなのだ。


 そして一年半後、遂に念願のヨセミテに行くことと相成った。


 出発の日の朝。ルンルンと鼻歌混じりに嬉しげな母。しかしここで思わぬ事故が。

 不眠症の私は睡眠薬が手放せず、枕が変わると絶対に眠れない。マイ枕を抱きかかえ、さぁ出発……と思ったところで自分の家の階段で滑って思いっきり尻を打った。枕で足元が見えなかったのだ。尾骶骨を骨折したかと思うほどの衝撃。母と父の筋肉痛に備えて日本から持って来た湿布薬をイキナリ自分の尻に貼る羽目になった。

 うーんうーんと呻いている私に向かって、「まぁイズミは元気過ぎるからね、これでハンデがついて、丁度良かったんじゃない?」 とか言うジェイちゃん。ヨセミテの険しい山路での復讐を心密かに誓う。


 花崗岩の絶壁エル・キャピタンやつるつるの半球形のハーフドームに感動する母。エル・キャピタンにダニのように張り付いたロッククライマー達を見て、「うわっ、あんなところに人間が! 言っとくけどママはあんなとこまでは行けないからね!」

 大丈夫、そんな期待は誰もしていない。


 ミスト・トレイルなどのハードなものは一日目に全てこなした。

 五月だったので雪解け水が豊富で、滝の上から眺める景色は最高だった。夏のヨセミテは連日四十度を超えて死ぬほど暑いが、まだ春なのでそれほど温度も上がらず中々快適ね……と思っていたら、なんとジーンズの下にヒートテックのレギングスを内緒で履いていた寒がりの父。爽やかな春の陽射しの中、人知れずひとり熱中症になりかかっていた。


 翌日全員死亡。

 私は階段で打った尻が痛いし、ジェイちゃんは全員分の食料・水その他を背負って滝の上まで登ったので筋肉痛。前日のはしゃぎようが嘘のようにバテている母。

「今日は川でのんびり釣りでもしようか」 というジェイちゃんの力無い提案に途端にひとり元気になる父。釣りのライセンスも買ったし、我が家から持って来たマイ釣竿の準備も万端。


 ヨセミテ渓谷を流れる川の支流に車を停める。

 澄んだ流れの中に大きなマスを見つけて大興奮する父。早速お手製のフライを振り回し始める。一方、私と母は水際の木陰に座り心地の良い岩を見つけ、おにぎりをパクつく。大自然の中で食べるモノはなぜこんなに美味しいのか。しかしじっとしていると結構陽射しがキツくて暑い。靴を脱いで水に足を入れてビックリ。さすが雪解け水、痛いほど冷たい。慌てて足を水から上げる。たった十秒程で足の指が痺れた。


 ふと隣を見ると、水際の藪の隙間に巨大なトカゲ発見。尻尾は途中で切れているが、しかしがっちりと太い胴だけで十六~七センチ以上ある。このくっきりと綺麗な焦茶のシマシマ模様はアリゲーターリザードだ。アリゲーターリザードって結構気が強いんだよね。ちょっかいを出すと、指にパクっと噛み付いたりして面白いのだ。(噛まれても別に痛くない。)

 ちょっかいを出したくてウズウズする私。しかしトカゲくんは全身に緊張感を漂わせて何やらじっと考え込んでいる。どうも水際をふわふわと飛んでいる糸トンボが欲しいらしい。糸トンボがトカゲくんの隠れる枝の端にとまった。目にも留まらぬ素早い動きで糸トンボに飛びつくトカゲくん。見事獲物を捕えて満足気にゴクリと飲み込む。自然界での捕食シーンは見ようと思って見れるものではないので、私も大満足だ。


 と、父の魚釣りの相手をしていたはずのジェイちゃんが何やら蒼ざめた顔で息を切らして走ってきた。

「大変だっ! 向こうにパンツと靴を脱ぎ捨てて走り回っている老人がいるっ」

 なんだそれは? どこぞの老人ホームからボケたお爺さんでも逃げ出してきたのか?

 驚いて見に行くと、凍えるような水の中に腰まで浸かって竿を振り回す父発見。

「ちょっと何やってんのっ?!」

「いや〜、魚のいる良さそうなポイントまで石を伝って行こうとしたら滑っちゃってさ。もうどうせ濡れちゃったし、ズボンなんか暑いからすぐ乾くと思って」

 いやいやいや、その水って雪解け水ですよ? 私の足の指は十秒で痺れましたよ?

「パパさんが流されたら困る」

 緊急事態に備えて下流で待機するジェイちゃん。


 後ろを振り返ると、母が地面に屈み込み、何やら真剣に拾い集めている。

「何やってるの?」

「見て見てっ! コレってもしかして金じゃないっ?!」

 ジェイパパの土地を流れる川で砂金採りをした話がものすごく羨ましい我が母。手の平一杯に淡黄色の小さな石の欠片を集めている。確かに金属的な光沢だが、でもなんか違う気がする。

「これどう思う?」 と聞かれ、母の手の中の欠片を見た途端にププっと吹き出すジェイちゃん。

「コレはね、“Fool's Gold”だよ」

 つまり鉄と硫黄で出来た黄鉄鉱パイライトだ。

「愚か者の黄金だってさ」 と教えてあげると、露骨にムッとする母。

「まっ、失礼ね! せっかく一杯あると思って喜んだのに!」

「こんなところでそんな簡単に金が採れたら、今頃ここはママさんみたいなヒトで一杯だよ」 と涙を流して笑うジェイちゃん。そりゃそーだわな。

「ああ、でも黄鉄鉱によっては少し金を含むモノもあるはずだよ」

「えっ、ホント?!」

「うん、確か0.3%とかそれくらい……」

「そんなちょびっとイラナイ」 と膨れっ面の母。


 魚を求めて雪解け水の中に突っ込んでいくヒトと夢を求めて金色の欠片を拾い集めるヒト。子供じゃなくても呆けていなくても、お守りはナカナカ大変なのだ。

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