砂金とカワウソ
「ダディーーーーーーッ!」
ジェイちゃんの怒り混じりの悲鳴が山にこだまする。
ワッハッハッハッハ、と豪快に笑い、草やら藪やらがの生い茂った山中の道無き道をRVで転がるように下って行く中々ハンサムな銀髪のおじさん。その隣でRVから振り落とされまいと頭上のハンドルバーに掴まり、ただひたすら喰い入るように前方を見つめる私。こんな古くてボロいRV、ブレーキなんかあってないようなモノだ。そしてガタガタの急坂をブレーキ無しで突き進むRVの三メートルほど手前を走るのは我が愛犬、ド阿呆の吹雪だ。
吹雪よ、なぜオマエは前を走ろうと思ったのだ? エンジュを見よ。賢いコヨーテ犬はちゃんとRVの後ろを走っている。血統書付きシェパードの癖に、オマエは馬鹿すぎるぞっ!
麗かな春の日に、何故このような命賭けの大疾走をする羽目になったのか。
私達が住んでいるところから三時間半程の山の中に、ジェイちゃんのパパ(以下ジェイパパと呼ぶ)が十五エーカー程の土地を買い、何故こんな山の中に? と首を傾げたくなるような小洒落た南スペイン風の家を建てた。
「家がついに建ったぞ! 今週末遊びに来い!」 と電話が来たのが一昨日。
「え〜、犬がいるからヤダ」 とつれないジェイちゃん。単に片道三時間半の運転が嫌なのだろう。
「犬も連れてくればいい! もうイズミ用にキングサイズのベッドも用意してあるから! お前には革張りのソファーを使わせてやるから!」
なんでイズミはキングベッドで僕はソファーなの? とぶつくさ言うジェイちゃん。
「どうする?」 と意見を求められ、ムムム、と唸る私。まだ春先とは言え、ジェイパパの住んでいるところは暑いんだよね。暑さにヤられて吹雪が下痢とかしたらメンドイなぁ。
「ちょっとイズミに電話代わって!」 とジェイパパに言われ、電話に出る。
「あ、イズミ? 今ね、雪解け水がいっぱいだから、僕の土地を流れる川で魚釣りが出来るよ! 昨日は野生の豚が十匹くらい子豚を連れて庭に来たよ! 可愛かったなぁ〜、イズミにも是非見て欲しいなぁ」
「イキマスイキマス」
かくしてやって来ましたジェイパパの家。
本当に山の中の一軒家で、隣の家まで歩いて二~三十分はかかる。夜になるとコヨーテの遠吠えが聞こえ、窓から見える遠い山の斜面に明かりがつくから、あ〜、あんな辺鄙な所にもヒトが住んでるのね、と思うくらい。相手も同じ事を思っていると予想される。この人界から離れた棲家、隠れヒッキー気質な私としては実に羨ましい。
とにもかくも、着いた早々にランチや釣道具を古びたRVに積み、家の建っている山を下って谷川を目指すことになった。RVの運転席にジェイパパ、その隣に私、後ろにジェイちゃんが乗り、いざレッツゴー。
辺りをウロついていたエンジュと吹雪に「ついて来い」と口笛を吹いた。
ここで話は最初に戻る。
RVがガタガタと走り出すと、エンジュは即座にその後ろを走り始めた。
しかし吹雪は何を思ったか突如横の藪に駆け込み、止める間も無くイキナリRVの前に躍り出た。そのままチラチラと後ろを見つつ前を走る吹雪にジェイちゃんが悲鳴を上げた。
「ダメだッ、バカッ、フブキッ! 前を走っちゃダメだッ」
最初はジェイちゃんが何を焦っているのか解らず、のんびり構えていた私。しかし道が険しくなってくるにつれ、ようやくその理由がわかった。
山中の道とは名ばかりのケモノ道。両脇は急斜面の上に藪や灌木が密生していて逃げ込む隙間もない。枯葉と泥でズルズル滑る急坂で、もし吹雪が立ち止まれば、真後ろを走るブレーキの効かないRVに一瞬で轢き殺される。しかしジェイパパは一点の曇りもない笑顔でワッハッハ、と楽しそうだ。ジェイパパ心配してなさそうだから、案外大丈夫なのかな、と一瞬思ったが、直ぐに考え直した。ジェイパパは恐らく何も考えていないだけだろう。
ジェイパパはとても明るく磊落なお人柄。三人息子で娘がいないせいか、私を非常に可愛がってくれる。しかし私が言うのもナンだが、かなり子供っぽく、トンチンカンなところがある。
初めてジェイパパに出会った時のこと。その頃はまだ獣医学生だった私に、ジェイパパは、「獣医か! 動物が好きなんだね! そんな君に是非見せたいモノがある!」 と言って実に得意気に納屋の壁に飾られた立派な牡鹿の首の剥製を見せてくれた。
「凄いでしょ? これね、僕が自分で撃ったんだよ! 今まで撃ったなかでも一番角が立派だったからね、友達に頼んで剥製にしてもらったんだ!」
ものすご〜く嬉しそうに狩の様子を語り、更に何丁もの猟銃やらショットガンやらのコレクションを見せてくれるジェイパパの隣で、蒼ざめて硬直するジェイちゃん。
「常々僕のダディはアホだとは思っていたが、まさかあそこまで大バカだとは思わなかった」と後に彼は語った。
「一体何がどうしたら動物好きの人間が、殺された動物の干からびた頭なんて見て喜ぶとか思うんだっ?! おまけに鹿の殺害シーンを細部に渡って語るとか、どーゆー神経してるんだっ?!」
ジェイちゃんは、これでイズミとは終わったな、とか覚悟を決めたらしい。しかし私は鹿の生首くらいで驚くほどデリケートではない。そんな甘いこと言ってちゃ獣医なんぞやってられん。ジェイパパってめっちゃユニークなヒトだなぁ〜、とは思ったが、トンチンカンなりに私を必死で喜ばせようとしているのが窺えたので、「へぇ、スゴイですねー」などと適当に相槌を打ってにこにこしておいた。一緒に猟に行かないか、というお誘いは丁重にお断りしましたが。
まぁそんな訳で、ジェイパパとは一般常識の通じないヒトなのだ。
「フブキーーーッ」 と喚いてRVの前を走る我が愛犬を必死で呼び戻そうとするジェイちゃん。馬鹿め、そんなことして吹雪が立ち止まったらどうするつもりだ。ここは避ける隙間すらない細道なんだぞ。
吹雪の名前を連呼するジェイちゃんを殴って黙らせ、私は吹雪がスピードを落としたり後ろを振り返ったりしそうになる度に「GOGOGOGOGO!!!!」 と怒鳴った。もうここは、平地に到着するまで吹雪を走らせ続けるしかない。
突如目の前に倒れかけた木が出現。
「伏せろっ」 と楽しげに叫ぶジェイパパ。RVの後部に立っていたジェイちゃんが慌ててしゃがむ。天井のないRVの上をバサバサと倒れた木の枝が掠める。あと三十センチ低ければフロントガラス直撃じゃん。吹雪の心配をする前に自分達が死ぬところだった。
十分後、ようやく川に到着。叫びすぎて喉が嗄れた。実に長い十分だった。
ぜえぜえと荒い息を吐きつつRVを降り、ニコニコ顔のジェイパパにちらりと目をやって、ジェイちゃんに囁いた。
「あのさ、ジェイパパすっごい落ち着いてるんだけど、このRVって古そうだけど実はブレーキ効いたとか……?」
「んなワケないでしょ。あのヒトは単に何も考えて無いだけに決まってるじゃん」
まぁ終わり良ければすべて良し。いそいそと釣道具を取り出していると、ジェイパパが網目の細かなザルのような物を私に見せた。
「砂金採りの方法を教えてあげるよ」
「砂金?!」
「うん、この辺は昔はゴールドラッシュで有名だったからね。今でも砂金が採れるんだよ。滅多に無いけど、小粒の金も採れるんだ。こんなやつ。」
ジェイパパがポケットから二センチ弱の楕円形の金の塊を出して見せてくれた。いやいや、コレって全然小粒じゃないですよ?! すっごい大粒ですよ?!
「僕の結婚指輪もここで採った砂金で作ったんだ」 (注: ジェイパパは離婚歴数回。最近また若くて素敵な奥さんと結婚した。)
「やり方は簡単だよ。これで川の砂をすくって、水の中でサラサラやっていると、時々キラキラした直径二~三ミリの砂金があるからね」
ナルホドナルホド。
キラキラを求め、喜んでサラサラし始める私。十分で飽きる。だってジェイパパが見せてくれたようなイカニモ金って感じの塊ならヤル気も出るが、直径二ミリとかつまらん。一体どれほどサラサラしたら指輪分の砂金が採れるのだろう。こんな所でサラサラするより、普通に働いた方が早い気がする。
「おーい、ジェイちゃーん」
ジェイちゃんの釣竿を取り上げ、ザルを渡す。
「コレでサラサラやっといて。採れたブツは山分けね」
私には釣りの方が性に合っている。もっと良いポイントを探して上流へ向かう。
と、川岸の岩の上に動物の糞発見。こんな所でフンをする動物ってなんだろう。この辺はコヨーテも多いが、でも用心深い彼らがこんな所でフンをするとは思えない。枯れ枝で乾燥した糞をほぐす。種とか植物性のものは入っていないから、肉食の動物かな。クーガーにしては小さすぎる。ボブキャットか、もっと小さいモノ……。
ふと視線を感じて顔を上げた。川の中ほどに大きな岩があり、その出っ張った岩の影に黒っぽい動物がいた。
お互い身動きひとつせずじっと見つめ合い数秒。不意に黒い影が水に飛び込んだ。そしてすらりと細長い体を流れにくねらせると、あっという間に消えてしまった。
「カワウソーーーーッ」
絶叫していると、背後からジェイちゃんが現れた。
「今ねっ、カワウソ君いたっ! ほらっ、コレってカワウソ君のフンなんだよっ!」
枝でほぐした糞をジェイちゃんに見せる。カワウソ君の座っていた石の近くまで行くと、岩の上に魚の残骸発見。博物館の骨の標本のように小骨ひとつ傷つけず、箸でも使ったのかと思うほど綺麗に身だけ食べてあった。カワウソは歯が強く、魚は骨まで砕いて食べると聞いたが、そんな子ばかりではないらしい。
おおおお、と唯ひたすら感動して絵に描いた模型のような骨を眺める私。手先が器用な動物はこんな面白い食べ方が出来るのか! 砂金なんかより余程面白い。この綺麗に食べられた魚の骨と糞を記念に持ち帰りたいと思ったが、ジェイちゃんに猛反対された。
私は何故か、子供の頃からやけにカワウソが好きだった。
駄目だろうなぁとは思っていたが、日本カワウソが遂に絶滅危惧種から絶滅種に認定されたとニュースで聞いて、酷くがっかりした。秒間隔で多くの生き物が地球上から失われている。普通のヒトなら誰でも知っている事なのに、なんで止めることが出来ないんだろう。考える度になんだか体の芯からぐったりする。
夕方、再びRVに乗り込み出発進行!
急な坂道を苦しげに登っていくRV。時々枯葉で滑ってタイヤが空回りし、ずずず、と後退する。アブネーっと思っていると、不意に後ろを走っていたエンジュが道の横の急斜面を駆け登り、RVの前に回った。エンジュは普通の犬では決して登り下り出来ない崖などでも平気で飛び降り、そして飛ぶように駆け登る。ちらりと私を振り向き、そのままRVの十メートルほど前を軽々と走っていくエンジュ。どうやら後ろを走るのは危ないと判断したらしい。賢い。
エンジュを見ていると、コヨーテが絶滅どころか狼を徐々に押し退け、シカゴやニューヨークの近郊にまで勢力を伸ばしているのも頷ける。
私はコヨーテが大好きだ。
ヒトによる迫害にもめげず、賢い彼らには益々頑張って貰いたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます