金色の馬

 スニッカーズを失って傷心の私。どの馬に乗っても鬱々として気が晴れない。

「私、もし孤島で独りで生きていく事になって、スニッカーズかジェイちゃんどっちか一方を連れて行くとしたら、迷わずスニックを選ぶ」

「ふ〜ん、僕別に孤島なんか行きたくないからイイけどさ、じゃあエンジュとスニッカーズだったら?」

「…………エンジュ」

「エンちゃんっ、今ママってば、五秒くらい悩んだよ! エンちゃんももうすぐ捨てられるかもね! そしたら僕と一緒に生きていこうね!」と何故か嬉しげなジェイちゃん。


 そんなある日のこと。私の元へマイダスをリースしないかというオファーが来た。

 マイダスはクォーターホース。大柄で、肩の高さは165センチ前後とこの馬種にしてはかなり高め。クォーターホースとは北アメリカで移植後に作られた馬で、ガッチリと筋肉質で胸板が厚く、体が丈夫な上に精神的にもタフで、乗馬用からカウボーイの仕事用まで幅広く使われる。瞬発力が半端なく、短距離レースのスピードではサラブレッドを上回る。


「マイダスか……」

 むむむ、と唸る私。スニッカーズとの相性が良すぎた為に他の馬にはどうも食指が動かなかったのだが、マイダスなら話は別だ。


 何故か。


 端的に言えば、マイダスは超絶イケメンなのだ。


 マイダスはパロミーノいう毛色。キラキラと輝く柔らかな金色の毛、銀白色のタテガミと尾、明るい薄茶の瞳、そして均整のとれた抜群のスタイル。まさにギリシャ神話のMidasミダス、触れたものを黄金に変える力を持つ王の名に相応しい美貌の持ち主だ。百頭近くいるこの乗馬クラブで一番綺麗な馬なのだ。そしてマイダスはルックスだけでなく、障害ジャンプや馬術の技術も優れている。才色兼備とは彼の為にある言葉なのだ。

 ……しかし私は知っている。

 私にマイダスのオファーが来たもうひとつの理由を。


 マイダスは農場イチの荒くれモノだった。


 ヒトを噛んだだの蹴っただのという話は数え切れず、それどころか彼はあるインストラクターの肩を咥えてフェンス越しに放り投げたという武勇伝さえある。農場のオーナーですら蹴られたのだ。ブルックリンなんてマイダスに比べたら可愛いものだ。ルックスの良い動物ほど性格が悪くなるという反比例の法則にのっとり、彼はホント性格最悪なのだ。


 かくして私はマイダスに乗ることを承知しました。何故かって? そりゃあ勿論、私が自他共に認めるイケメン好きだからだ。ルックスさえ良ければ多少の性格の難には目を瞑る。美人は三日で飽きるとか言うが、あれは嘘だ。ブサイクの僻みだ。私はイケメン動物達を磨きに磨いて、芸術品のような彼等の姿にうっとりと見惚れるのが趣味なのだ。きっと世の中にはこーゆーヒトが多いから、ルックス・性格反比例の法則が成り立つのだろう。


 そして迎えた第一日目。

 マイダスは牡馬ばかりが十二〜三頭集められた小さめの放牧場に住んでいる。放牧場の柵の中に入った私を見て、カウボーイ君がイソイソと駆け寄ってくる。カウボーイ君は気立ての良い赤毛のクォーターホースで、過去に何回か乗っただけなのだが、やけに私に懐いている。

「ボク? ボク? ボク乗るの?」と鼻を擦り付けてくるカウボーイの首を撫でてやる。

「今日はキミじゃないんだよ」

 マイダスに近付き、穏やかな声で話しかけながらホルター(無口頭絡)を付けて柵の外に引き出す。

「誰だコイツ?」とでも言いたげなムッツリとした顔で私の後について歩くマイダスくん。ここまでは特に問題無かった。問題はグルーミングだった。


 噛む・踏む・蹴ると三拍子揃った引っ切り無しの攻撃で、全然グルーミングが進まない。ブルックリンも昔は似たようなものだったが、彼女は叱れば二〜三分は大人しくなった。マイダスは叱っても逆効果。返って猛っちゃって、本気で両後脚蹴りとかしてくる。

「鞭で思いっきり叩け! 私達は鞭無しでは絶対にマイダスには近寄らないよ! グルーミング中も片手に鞭持ってないと!」とか言ってくるヘルパーさん達とインストラクター達。一人のヘルパーさんが鞭を持って近づいてきた瞬間、マイダスの眼に走る殺意と狂気の光。こりゃダメだわ。


 私はマイダスを連れてひと気のない場所に移動し、干草を一束持ってきた。デカイ体に相応しく、マイダスは食い意地が張っていた。急に大人しくなり、一心不乱に干草を食べるマイダス。私が首をグルーミングしても気にする余裕がない。イイ事だ。

 勿論鞭を使って調教することも必要だ。だけどマイダスはすでに二十歳近いのだ。鞭なんかで今更この歪みきった性格が直るとは思えないし、ならば飴を使ってどこまで仲良くなれるか試してみるしかない。とりあえずグルーミングだけは心穏やかに楽しくやりたい。馬にとっても気持ちイイことなのだから、慣れれば好きになってくれるハズさ……と楽観的な私。なんとか無事グルーミングを終える。


 鞍上げもまた大騒動だった。

 この時はデカイ体で私を壁に押し付けて潰そうとしてきたので、久々に本気で怒った。私が怒ると怖いのだ。本気で「私に逆らったらコロス」とか思って怒りますから。しかしマイダスは私にド突かれてもショボンとすることなどなく、むむむむ……と不貞腐れた顔で私を睨んでいた。まぁ仕方無い。馬だって、好きでもない知らない人間に叱られても痛くも痒くもないだろう。しかしこれで私を甘くみると痛い目にあう事くらいはわかっただろう。


 乗り心地はまぁまぁ。

 しばらく馬術などで使うヒトがいなかったらしく、なんとなくギクシャクしている上に関節が硬かった。もう十八歳だしね。馬の十八歳はそんなに年ってわけではないのだが、大きい馬は関節に負担がかかって関節痛などを起こしやすい。こういう子は丹念にウォームアップして、関節が硬くならないように毎日三十分から一時間程、激しすぎない運動をさせた方がいい。

「ちょっとギャロップさせてみて〜」とインストラクターに言われ、中腰になり軽く鞭を入れる。おおおおっ! はやっ! 流石クォーターホース、スニッカーズ君にはないスピード感。ってか、以前は元競走馬のサラブレッドに乗っていたが、最近はスニッカーズやブルックリンにかまけていてスピードのある馬に乗っていなかった。はっきり言ってコワッ! このスピードで馬がコケたりしたら私普通に死ぬわ。(馬って結構自分の足につまづいて何もないところで勝手に転んだりするんですよ……。)


 しかしそんな惨劇は起こらず、私とマイダス君は軽くジャンプなどを試し、無事第一日目のレッスンを終えた。


 汗をかいたマイダスを洗い場に連れて行き、その日は暖かかったので丁寧にシャンプー&リンスしてやる。

 私は馬をシャンプーするのが好きだ。『馬のように汗をかく』と言うが(これって日本語でしたっけ?)、馬は本当に全身びっしょり、塩の泡を吹くほど汗をかく。そのままにしておくと皮膚が痒くなり、木の幹やフェンスなどに擦りつけたり自分で噛み噛みしたりして、毛が抜けハゲになったりする。夏場は運動直後の水洗いは必須だ。冬は流石に風邪をひくので、汗をかかないように一部または全身の毛をバリカンで剃る。そして馬房ではブランケットといって、馬のコートのような物を着せておく。


 シャンプー中、マイダスはまぁまぁ大人しくしていた。時々前足を上げて私の足を踏んでやろうと狙いをつけていたりするが、「その足、下ろしておきなさい」と静かに注意すると、渋々足を下ろす。濡らしたタオルで顔を拭いてやろうとしたが、イヤイヤと騒いで激しく頭を振り立てた。だと思って用意していた人参を差し出す。マイダスが慌てて頭を下げ、人参を食べる。その隙に額や耳の後ろなど、一番痒そうなところをタオルでコシコシする。ヒトを近寄らせぬマイダス君の顔は汗でカピカピで、すんごく汚かった。タオルが一瞬にして真っ黒どころか、溶け出した塩でヌルヌルして泡が立つ。キタナ過ぎてチョットある意味感動した。

 人参を食べ終わったマイダスが再び頭フリフリ。次の人参を差し出す。頭を拭く。

 これを辛抱強く繰り返しているうちに、『頭コシコシ = 気持ちイイ』という方程式が出来上がり、マイダスは私が顔を触っても頭を振り立てなくなった。それどころか何やらうっとりと眼を細めて頭を私の胸に押し付けている。カワイイとこあるじゃん、と気を良くする私。ここまでに一時間ほどかかったが、頭を触られるのに抵抗の無い馬はハミを噛ませるのも楽なので、やる価値はある。そもそもオデコに塩の地層が出来てるような馬には乗りたくない。


 洗い場を出て日の当たるところで体を乾かしてやる。

 タテガミと尻尾にブラシの通りを良くするジェルを塗り込み、首やお尻に艶出しスプレーをかけ、蹄の手入れをする。モグモグと干草を食べるマイダス。久し振りに綺麗になって、君も気持ちイイだろう。首を撫でても殺気立つこともなく、落ち着いている。これなら上手くやっていけそうだ。農場イチ美貌の馬と私……。ムフフ、と独り笑いする私。マイダスの金色の馬体には白と黒が似合う。馬具を幾つか買い足そう。


 シャンプー・リンスしたての艶やかな金色の背中に抱きついてみた。馬って本当にいい匂いがする。(注: 私の馬だけね。)ツルツルの毛並み、筋肉質でプリプリのお尻、癒されるねぇ……と思ったところでビリビリと殺気を感じて顔を上げた。

 マイダスが干草を食べるのをやめて私を睨んでいる。薄茶の眼に浮かぶ狂気の光。

「……あんたはアッチ向いて、干草食べてなさい」

 マイダスの首を軽く押してやる。ふん、と鼻を鳴らして干草に顔を埋めるマイダス。実に太々しい態度だ。


 私は癒されたいのだ。スニッカーズがいなくなって傷心気味なのだ。癒しを求めて再びマイダスに抱きつく私。マイダスが顔を上げて歯を剥き出した。


 あのさあ、アンタさっき私に顔を洗われて喜んでたじゃん。うっとり目なんか瞑って、私にもたれかかってたでしょ?! もう忘れたのか?! お前の記憶力はチュチュ並みか?!



 ……私はその時まだ知らなかったのだ。

 私とマイダスの戦いは始まったばかりだということを。

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