海苔巻きスナネズミ

「チュチュ、なんかまた太ってきたねぇ」


 ボリボリとお菓子を食べつつジェイちゃんが何やら嬉しげにチュチュのケージを覗き込む。お前が言うな。

 お菓子のお裾分けにあずかろうとチュチュが懸命にジェイちゃんに向かって手を伸ばす。お前もスグなんでも欲しがるな。


 せっかく滑車を買ってあげたのに、喜んで遊んだのは最初の数ヶ月程だった。最近は飽きたのか、時々お愛想程度にカラカラと回すだけ。一時期は肩の筋肉が盛り上がるほどマッチョ化していた砂ネズミのチュチュ君は、またもや真ん丸の脂身の塊となり、カミカミして遊ぶようにケージに入れてやったトイレットペーパーの芯に腹が引っ掛かっている。


「チュチュちゃん、食っちゃ寝ばかりしてるとジェイちゃんみたいになっちゃうよ! ちょっと運動しなさい」

 チュチュをつまんでケージから出し、床に放してやる。

「おおおおお」と黒目勝ちの丸い目を見開いたチュチュが床をトタトタと走り出した。途端にエンジュがソファーから飛び降り、チュチュに近づく。エンジュはチュチュを襲ったりはしない。ただゆっくりと尻尾を振りながら、興味津々にチュチュを見つめ、時々ふんふんと背中の匂いを嗅ぐ。エンジュに匂いを嗅がれてもチュチュは全然平気で、恐れる様子はない。まぁ生後三週間からこの家に来て犬と遊んでいるわけですから。元々あまり生存本能とかなさそうですし。


 ぽてぽてと腹を床に擦りつつチュチュが吹雪のベッドに近付いた。と、のんびりと寝転んでチュチュを目で追っていた吹雪が慌てて立ち上がり、台所へ逃げ込んだ。別に吹雪はチュチュが怖いわけではない。吹雪の馬鹿デカイ足で踏まれたらチュチュなどひとたまりもないだろうと思い、吹雪がチュチュのそばを歩く度に注意していたら、『チュチュ = トラブル』の方程式が吹雪の中で完成し、彼はトラブルを避けてチュチュから逃げ出すようになった。

 ちなみに吹雪は野ネズミにも優しい。

 先日、ソファーに寝転んで本を読んでいたら、目の端に何か動くモノが映った。一瞬チュチュがケージから脱走して走っているのかと思い、驚いてよくよく見ると、なんと野ネズミだった。私に気付いた野ネズミが慌てて彼等の巣があるらしい暖炉の隙間に向かってチョロチョロと走り、吹雪の鼻先十センチを横切った。しかし吹雪はベッドに寝転んだまま、目だけ動かして目の前を走っていくネズミを眺め、ピクリとも動かなかった。野ネズミにも吹雪を恐れる様子は全く無かったので、もしや私の知らぬところでこの様な光景が日々繰り返されているのやもしれぬ。


 チュチュに十五分程床を探検させ、迷子になる前にケージに戻す。

「あ〜、運動してお腹空いた。おやつおやつ!」とカボチャの種をねだるチュチュのケージにダイエット用のセロリの欠片を落としてやる。非常に不服気なチュチュ。セロリを一口噛むと、ポイっと捨てた。齧歯類の癖に食べ物を粗末にするな。

「セロリだっけなんて美味しくないよね。せめてピーナッツバターを付けてあげないと」とか言い出すジェイちゃん。そんな事だから君達は体型が限りなく球体に近付くのだよ。


 そんなある日のこと。

 ごろりんと丸い腹を見せ、仰向けになってぐーすか寝ていたチュチュを眺めていたジェイちゃんがふと首を傾げた。

「ねぇねぇ、チュチュってデベソだったっけ?」

「は?」

 慌ててチュチュを見ると、でっぷりと丸い腹のド真ん中にポツリと直径三ミリ程の黒い突起を発見。恐らく腫瘍だろう。場所から察するに体臭腺の腫瘍だが、ここに出来る腫瘍は良性の場合多いので、しばらく様子を見ることにした。二〜三ヶ月程の間にチュチュのヘソは直径八ミリまで成長し、表面から出血し始めた。だめだ、コレは取るしかない。

 週末に仕事場に連れて行き、手術してやった。病理組織検査は曲がりなりにも癌研究をしているジェイちゃんが担当。やはり悪性腫瘍だったが、癌としてのレベルは低かったので、転移していないことを祈る。流石にチュチュのように小さな動物相手に抗ガン剤はやりたくない。


 チュチュのような小動物、特に体が柔らかく、よくグルーミングをする動物の手術をした時、いつも悩むのはどうやって彼等が術後の傷口を触らないようにするかだ。

 場合によっては手作りの小さなエリザベスカラー(犬猫が手術跡を舐めないように首につけるプラスチックのコーンみたいなヤツね)を使うのだが、チュチュはなんと頭蓋骨よりも首が太く、和泉特製エリザベスカラーが抜けてしまう。デブここに極まれり。

 仕方無い。腹巻き状態に巻いた柔らかいガーゼの包帯の上に、噛んでも引っ掻いても破れにくい硬めの特殊な包帯を巻いた。なるべく苦しくないように巻いてやったのだが、太り過ぎていて肩の脂肪がハミ出て盛り上がる。どう見ても具が多めのネズミの海苔巻きにしか見えない。

 麻酔から醒めたチュチュは、しばらくボンヤリとして意味もなくケージを行ったり来たりしていた。しかし頭がはっきりしてくると、「なんだこりゃ〜」と包帯を後ろ足で引っ掻きはじめた。しかし少々引っ掻いた程度で破れるような甘い巻き方はしていない。

 何やらイライラしているチュチュくん。次第に表情が険しくなってくる。膝に乗せてシリアルやカボチャの種を食べさせてやると、ようやく大人しくなった。包帯を取るのを諦めて私の膝で眠る海苔巻きをエンジュが飽きもせず、ひたすらじーーーっと見つめる。その表情が物語るモノは唯一つ。

「コレ喰いたい……」


 三日程すると、段々とチュチュの元気が無くなってきた。鬱々として目に力が無い。何やら不貞腐れているようでもある。包帯が嫌なのだろう。

 腫瘍の手術は転移や切り残しを避ける為に、基本的にかなり幅広く切らなければならない。おまけにデブのチュチュは腹肉が凄くて皮が足りず、縫い跡がピンピンに張っていた。包帯を巻く期間を最小限にする為に細心の注意を払って丁寧に縫っておいたが、しかし三日ではまだ傷口が完全に塞がっていないので包帯を取ってやるわけにもいかない。


 五日目。チュチュがカボチャの種を食べるのをやめた。甘いシリアルも一口食べて捨てた。私の膝の上で寝るばかりで動こうともしない。具合が悪くてぐったりしている、というよりは、何処と無く『不貞腐れてます』感が満々なのだが、しかし呼んでも撫でてもあまりに反応の無いチュチュを見ているうちに、なんだか自分の判断に自信が無くなってきた。もしやチュチュは死にかけているのでは……?

 仕方無い。どうせ死ぬなら包帯を取って楽な状態で逝かせてやろう。

 そう思い、涙ながらに軽く麻酔して抜糸してやった。


 麻酔から醒めた途端、チュチュはカボチャの種に向かってダッシュした。

 皿の中の種を食い尽くすと、「もっともっと!」と水槽の上に向かって伸びをして追加を要求する。貰えそうにないと分かると、「チッ」と舌打ちでもしそうな顔でボリボリと固形食を食べ、満腹になると仰向けになって腹を出し、グーグーと午睡を貪った。


 その太々しい姿につくづく感心した。

 ジェイちゃんはおろか、エンジュですらここまで見事に私を騙すことは出来ないだろう。


 砂ネズミの演技力、恐るべし。

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