ツンデレ

 私がツンデレなる言葉を知ったのはごく最近のことだ。漫画に出て来たその言葉の意味が解らず、ネット検索して最初に引っ掛かったのはウィキペディアだった。


『「初めはツンツンしている(敵対的)が、何かのきっかけでデレデレ(過度に好意的)状態に変化する」、「普段はツンと澄ました態度を取るが、ある条件下では特定の人物に対しデレデレといちゃつく」』(ウィキペディアより引用)


 こんな訳の分からん造語まで載っているとは、ウィキペディアすっげーと思いましたね。驚きと感動のあまり、思わず五ドル寄付してしまいましたよ。


 ちなみに私が読んでいた漫画だが、ツンデレな彼女に振り回される主人公(♂)の話で、あまり面白いと思えず途中で脱落してしまい、タイトルすら憶えていない。このツンデレ系の男女がモテ役として登場する漫画やラノベは多いようだが、「こんな奴がリアルにいたら、ウザイだけじゃね?」と言うのが私の正直な感想だ。

 ニンゲンも動物も、大切なのは顔よりも性格。他人の好意には素直に感謝し、常ににこやかで愛想が良い方が好感度が高いのが普通だろう……などと言いつつイケメン好きの私はマイダス・ブルックリン・スニッカーズという三大嫌われ者達を愛でているが、それは私の嗜好が特殊なだけで、他の人間は決して我が愛馬達には近寄らない。


 ……とここまで考えてハッとした。

 なんとなんと、よくよく考えてみれば、我が家には元祖ツンデレがいるではないか……!


 我が家の元祖ツンデレとは、無論エンジュの事である。そしてお世辞にも愛想が良いとは言い難い彼女は、我が家に遊びに来る全ての人間達の間で絶大な人気を誇る。その人気の程は、漫画のモテ役達に勝るとも劣らない。


 野生の血のせいか、エンジュは人間に対して酷く臆病だ。見知らぬ人間はおろか、数回出会った程度では懐かず、常に警戒心を剥き出しにして、決して自分を触らせたりはしない。無理に触ろうとすれば茶色い爆弾をボロボロと落としつつバスタブへ逃走する。そして物陰に隠れ、大きく表情豊かな眼で不審者をじーーーーっと観察する。

 多くの動物はヒトや他の動物と長時間目を合わせるのを嫌うが、エンジュは違う。ヒトと目が合っても決して逸らさない。瞬きひとつせず、唯ひたすらじーーーーっと睨んでくる。大体三十秒もしないうちにニンゲンの方が居心地が悪くなり、約一分で睨めっこに負ける。

「ちょっと! なんでエンジュって僕の事を真剣に見つめてくるの?! 」

「それは君が不審人物だからです」

「なんか落ち着かないから止めてって言って!」

「言葉で解り合えるくらいなら、地球上の争いごとは全て無くなっている。まぁコヨーテ犬の眼なんて気にしないでさ、ほら、ワインでも飲んで」

「なんか食べ物が喉に詰まる……」

 今でこそエンジュも歳をとって物腰も多少和らぎ、人に慣れるのに数時間から数週間しかかからなくなったが、若かりし頃は本当に大変だった。ジェイちゃんはエンジュを撫でるのに四ヶ月+多種多様な贈呈品(クッキー、ローストビーフ等)を費やした。賢いエンジュは敵(この場合はジェイちゃん)の臭いのするような毒物には決して手を出さないので、すごく無駄なのだが。

 もしも私が無理矢理エンジュを捕まえて、強制的に友人に撫でさせたらどうなるか。エンジュは半分白眼を剥いて、泡を吹かんばかりの勢いでガタガタブルブルと震える。その余りに大袈裟な様子に声を上げて笑うのは私だけで、普通のヒトは「こんなに怯えてるのに、そこまでして触るなんて可哀想……」と遠慮する。


 エンジュは私の同僚のSさんにはかなり早い時点で気を許していた。刺身と納豆好きのコヨーテ犬は日本贔屓だ。Sさんは日本人で、雰囲気もおっとりしているのでポイントが高かったのだろう。

 アメリカに来た当初は単身赴任だったSさんはジェイちゃんとよく気が合い、来る日も来る日も我が家で酒盛りしていた。私は朝五時起きで乗馬に行く為、彼等には滅多に付き合わないのだが、しかし私が混ざると日本酒・ワイン・ラム・ウォッカ・ブランデーのちゃんぽんで明け方まで飲み続ける事になるので、Sさんは記憶が飛ぶほど正体不明になる。しかし記憶が無くなるだけで翌日にはちゃんと仕事に来るので、なんだかんだ言ってもSさんもかなり酒には強い。

 ところで私は幾ら飲んでも顔色が変わらないのだが、何故か腹だけがマダラ模様に赤くなる。その話をしたら、「あ! 俺も!」とSさんが叫んだ。ちなみに色白のSさんはビール一杯で顔が真っ赤になる。

「凄いんですよ。アルコールで腹がマダラ模様になった時に日焼けサロンにいくと、ヒョウ柄に日焼けするんですよ」と嬉々として若かりし日の体験を語るSさん。マダラ模様の日焼けなんて、まるで皮膚病のようではないか。酔いが醒めた時の後悔のレベルは、記憶喪失どころの騒ぎではない気がする。

「エンちゃ〜ん♡ ぐふふ」などと言いつつ酔っ払って絡んでくるヒョウ柄のSさんをジロリと睨むエンジュ。ランコムの香水を好む彼女にとって、赤ら顔のSさんの酒臭い息など敵でしかない。

「ふ〜ぶ〜♡」

 エンジュが相手にしてくれないので、諦めて吹雪に絡み始めるSさん。吹雪だって酔っ払いなんて好きではない。しかし日本人気質でNOと言えないシェパードは、情けない困り顔でアルコールの匂いからそっと顔を背けつつ、Sさんの抱きつき攻撃を甘んじて受けている。


 ところで、Sさんはエンジュと仲が良いことを心密かに自慢に思っていたらしい。しかし彼の『選ばれし者』という幻想はSさんの奥様の登場によって呆気無く打ち砕かれた。

「エンちゃんは僕のことは好きだけど、ヒト嫌いで気難しいから、たとえ君から逃げ出しても気にしないほうがいいよ」などと言いつつ奥様を我が家に連れて来たSさん。しかしドアを開け、一目奥様を見た途端にエンジュは盛大に尻尾を振って奥様に飛びついた。Sさんのことはガン無視。エンジュは日本人女性が大好きだ。ほっそりと小柄で若いSさんの奥様は、ドンピシャにエンジュの好みだったのだ。

「エ、エンちゃん……」と震える声で呼び掛けるSさんをチラリと肩越しに振り返り、「あぁ、お前いたのか」と軽く尻尾を振り、即座に奥様の方へ向き直るエンジュ。その余りに露骨な態度に、完全に言葉を失って立ち竦むSさんの傷付いた顔が忘れられない。この一件以来、Sさんが微妙に吹雪に肩入れするようになったのは気のせいだろうか。

 それでも優しいSさんは、私とジェイちゃんが日本へ旅行に行っている間、我が家に住み込みで犬共の面倒を見てくれた。しかし私に会えないエンジュの機嫌は日増しに悪くなり、とうとう私のベッドルームに立て籠って出て来なくなったらしい。そんな彼女の為にSさんはわざわざ奥様を家へ呼び、エンジュに「日本人女性による癒しタイム」を与えたそうな。効果は抜群。日本ではもふもふに癒しを求めるニンゲンの為の猫カフェなるものが流行っているそうだが、我が家ではヒトと動物の立場が逆なのだ。


 物心つく以前より私に飼われている癖に野性味を失わず、決定的に社交性を欠く愛想最悪なエンジュの正反対は人類の親友、超お人好しの吹雪くん。彼はその並外れた体格と美貌にもかかわらず非常に腰が低く、愛想が良く、人間は誰でも大歓迎する。

 吹雪とエンジュを見た人は必ず最初に吹雪を指差し、「うわあ」と歓声を上げる。

「凄い! 大きくて綺麗な犬! 狼みたい!」

 頭を低く下げ、尻尾というより腰全体を振り回すようにして愛と歓びを惜しみ無く撒き散らす吹雪を楽しげに撫でる人々。しかし初めの感動が過ぎ去ると、大き過ぎる吹雪は厄介者扱いされ始める。あの太い尻尾でバシバシと殴られると、結構痛いのだ。

「吹雪、OFF」と言われ、良い子の吹雪くんは部屋の隅に置かれた自分のベッドの上に大人しく引き下がる。

 そしてこの頃になってようやく、人々は壁の後ろからニンゲン共の様子をジト目で窺うエンジュの存在に気付く。

「アレ? もう一匹いたんだ? 気配が無いから気が付かなかった。撫でてもいい?」

「別にいいけど……でもエンジュはニンゲン嫌いだから、触れないと思うよ?」

 おいでおいで〜と猫撫で声でエンジュに呼び掛ける友人達。ぶっ飛んで逃げるエンジュを見て、「ならば僕が代わりに……」と吹雪が立ち上がる。しかし「あ、君はもういいから」とか言われて再び部屋の隅にスゴスゴと引き下がる吹雪くん。背中に哀愁が漂っている。


 若かりし頃のエンジュは見知らぬニンゲンが家にいる間は決してベッドの下から出て来なかったが、ここ数年はちょっと違う。宴もたけなわになった頃、そろそろと壁の後ろから顔を出し、これぞと決めたニンゲンの側にそっと近寄って来る。

「あ! エンちゃんが出て来た!」と興奮するニンゲン達。しかし彼等が身動きすれば、エンジュは一瞬にして逃げ去る。ニンゲンがジッとしていれば、エンジュは再びそろそろと顔を出し、そして手が届くか届かないかくらいの位置で止まり、数十分かけて相手をしげしげと観察する。そして人々が彼女の存在を忘れかけた頃、じわりと一歩近付く。

「あ! エンちゃんがこんなに近くまで来た! 触っても大丈夫だと思う?」

 エンジュを脅かさないように、恐る恐る手を伸ばす友人。しかしエンジュは絶妙な間合いをはかり、毛先が指に触れるか触れないかの距離で相手を焦らす。そしてたっぷり時間をかけて、ようやく肩の毛を触らせてやる。

 エンジュはアンゴラウサギのような、柔らかくツルツルとした不思議な手触りの毛皮を持つ。ハイブリッドのせいか、体臭線が無いので決して脂っぽくも犬臭くもならない。しかし毛があまりにも柔らかく、皮脂がないので、雨に濡れると一瞬にして毛の中までビショビショになる。雪山に連れて行くと、吹雪は雪の中で何時間遊んでいても大丈夫だが、エンジュは三十分もしないうちに皮膚まで濡れて、凍えてガタガタ震えだす。人間界を嫌うわりには、野生では決して生きていけない似非エセ野生なのだ。

「すっごーい! ツルツルでふわふわで超柔らか〜い!」

 エンジュを撫でることに成功した友人は、その手触りに興奮しつつ、他の友人達に自慢する。よくよく考えれば我儘なコヨーテ犬を撫でれるかどうかなんて実にくだらないことなのだが、しかし誰でも『選民』になるのは嬉しいものなのだ。

「ちょっとどいて。僕も触りたい」などと言って非選民が手を伸ばせば、エンジュはサッと立ち上がって逃げる。

「お前が手を出したからエンちゃんが逃げちゃったじゃないか! 非選民はそっちで大人しくしてろ!」

「エンちゃんは間違っている! ヒトを見る目がない! 僕の方が撫でるのが上手い!」

 かくして選民と非選民の間で紛争が勃発する。

 こうして数時間かけて人々を焦らした末、不意にエンジュが数人掛けのソファーに飛び乗る時がある。選民達の興奮MAX。

「この劇的瞬間の写メ撮って! 写メ!」などと騒いでケータイを私に投げてよこす。

 かくしてエンジュはニンゲン共を完全に手玉に取り、ゲストを押しのけるようにして堂々とソファに寝そべり、腰をマッサージさせている。なんて得な性格だろう。


 しかしエンジュがこの様に人間を手玉に取るのは、ある程度安心出来る家の中だけかと思っていた。


 舌癌の放射線治療の為に一ヶ月間毎日病院に通い続けたエンちゃん。普通の犬は数日で諦めがついて、嫌々ながらも大人しく病院に行くものだが、彼女は勿論そんなしおらしさとは無縁だった。

 病院通いが始まって三日目で、車から降りることを拒否するエンジュ。ムッとした顔で後部座席に座ったまま、ジェイちゃんがいくらリードを引っ張ってもガンとして動かない。痺れを切らしたジェイちゃんが首輪を掴んで引っ張ったら、頭を振り回して首輪が抜けた。

 翌日からは、後部座席のドアを開けた瞬間に前へ飛び、運転席の下に隠れるようになった。無理矢理引っ張り出せば、病院の廊下にボロボロと茶色い爆弾を落とす。

 この調子では、病院内でもガタガタフルフルして大変なんだろうなぁ、エンジュは心臓が強いから連日の全身麻酔にも耐えられるだろうと思ったけど、もしかしたらストレスで突然死するかもなぁ、などと密かに思っていた飼い主。彼女は完全に間違っていた。


 病院にエンジュを迎えに行くと、「ちょっと聞いて聞いて!」とやけに嬉しそうにエンジュ担当の看護師さんが駆け寄ってきた。

「今日ね、治療が終わった後、エンジュちゃんの麻酔が切れるまでコンピューターの前で仕事してたのよ。そしたらね、起き上がったエンジュちゃんがイキナリ私の膝の上に飛び乗ってきたのよ〜♡」

「……飛び乗ってきたって、ケージに入れてなかったんですか?」

「エンジュちゃんはイイコだから、ケージには入れずに足元で寝かせてるの。起きても部屋の隅とかテーブルの下でジッとしてるし」

 放射線治療室は他の治療室に比べて動物が少ないのかも知れないが、それにしてもバックルームで患畜を自由気儘に歩き回らせるなんて、聞いた事ナイゾ。

「それでね、クッキーをあげたら半分だけ食べて吐き出したの。だからピル・ポケットをあげたらね、それは気に入って食べたの♡」

 ピル・ポケットとは、中に錠剤を隠して犬に食べさせる為に使う柔らかいオヤツだ。多少薬の匂いがしても犬が喜んで食べるほど美味しい。そして普通のオヤツに比べて割高。(ちなみにエンジュはピル・ポケットを使っても、器用に薬だけ吐き出す。)エンジュは決して薬を飲まされていたわけではなく、美味しいピル・ポケットだけを貰っていたのだ。

「でもね、私があげれば食べるけど、他のヒトだと食べないのよ〜♡ エンジュちゃんは私のことが一番好きみたいなの♡」

「あら、そんなことないわよ。私の手からだって、腎臓病の猫用缶詰めを食べたもの!」と横から口を出す看護師さん。

 腎臓病の猫は食欲が落ちるため、ものすごく高価で美味しい専用の餌がある。エンジュの気を引く為に、彼女達はそんなモノまで濫用しているらしい。

 結果、エンジュはたった三週間で1.3キロも体重が増えた。体重十七キロの犬の1.3キロは大きい。抗ガン治療中に体重が増える動物なんて、初めて聞いた。口腔内の放射線治療は口中が火傷したようになり、水疱が潰れて潰瘍を起こし、ものすごく痛い。餌が食べれなくなり、体重が減るのが普通だ。


 小説や漫画の世界だけでなく、この世はやはりツンデレが得するらしい。彼女のスキルの高さ、ちょっと見習いたいものだ。

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