ミソサザイ

 スウィーリーロー、スウィーリーロー、チリリリリリ。


「あっ! ミソサザイ!」

 夕暮れの空に響く華やかな歌声に興奮してバルコニーに駆け出る私。最近、朝な夕なにミソサザイの歌が聴こえてくる。どうやら我が家のバルコニー近辺をテリトリーにしているミソサザイがいるらしい。しかし声はすれども姿は見えず。とりあえず後ほど楽しむ為に、風に響き渡る澄んだ歌声だけ録音しておく。私はミソサザイが大好きなのだ。

 味噌素材でも味噌サザエでもない。鷦鷯ミソサザイ──日本ではキクイタダキやエナガと並ぶ最小種の野鳥だ。平均体重は九グラム前後で、雀の二十五グラム前後と比べれば如何に小さいかが分かる。

 ミソサザイは世界各地に広く分布する。北カリフォルニアの我が家でテリトリー宣言しているのはシロハラミソサザイ。丸っこい体、薄茶色の翼、白くて太い眉毛、そしてミソサザイ特有のピンと上向きに立てた尾羽が特徴だ。

 滅茶苦茶可愛いので是非写真に撮りたいのだが、ミソサザイは非常に素早く、常に灌木の間をぴょんぴょん飛び跳ねていて中々シャッターチャンスがない。そもそも小さ過ぎて、私のiPhoneのカメラでは落ち葉と同化してしまい、『ウォーリーを探せ!』状態だ。ミソサザイの素敵な写真を撮れる人を常々尊敬している。


「私、ミソサザイが好きで〜」と言うと、大多数のヒトはやや反応に困った顔で私を見る。

「えっと、あの、雀に似た地味な鳥ですよね……?」(全然似てないよ!と私は心の中で叫ぶ)と言うのはまだマシで、我が同僚のSさんなど、「何ですか、それ。サザエのつぼ焼き?」と首を傾げていた。


 確かに頭に鮮やかな黄色の冠羽があるキクイタダキや、白黒のストライプが愛らしく、つぶらな瞳のエナガに比べれば、ミソサザイくんのルックスはやや控え目かも知れない。

 しかし地味なルックスの小さな鳥だからと言って侮ってはいけない。ミソサザイは世界各地の民話や伝説で『鳥の王』と呼ばれることが不思議なくらい多いのだ。アイヌの伝承では、人喰い熊の耳に飛び込んで鼓膜を破って暴れまくり、熊を退治したミソサザイがその勇猛さを神様に褒められている。イノシシの耳に飛び込んでイノシシをやっつけてしまったミソサザイの話もある。何故か耳に飛び込むのが好きな鳥なのだ。これはミソサザイの歌声が余りに大きくよく響くので、アレに耳許で叫ばれたら鼓膜が破れそうだなぁ、というところから話が作られたのではないかと愚考する。いや、もしかしたらミソサザイとは他生物の耳の穴に飛び込むのが好きという、一風変わった嗜好の持ち主なのかも知れないが。


 ところで2014年の年末はエンジュの治療でかなりの出費だった。お陰で私の財布は夏のカリフォルニア並みにカラッカラだ。

「と言うわけで、今年はクリスマス・プレゼントは期待しないように」

 これ幸いとジェイちゃんに宣言する私。私は元々プレゼント交換にはあまり興味が無い。くれると言うなら貰うが、自分から行動を起こす確率はゼロに近い。ジェイちゃんの誕生日も毎年忘れている。

「せめてクリスマスカードくらい交換しようよ!」と言われたが断った。ジェイちゃんの字は汚すぎて、読解するのに無駄な労力と時間がかかるのだ。エジプトの象形文字の方が余程解りやすい。

 そして迎えたクリスマスの朝。

「ジェイちゃん、クリスマス・プレゼントは?」

 自分はあげない宣言をしておきながら、一応ジェイちゃんには聞いてみる私。別に要求しているわけではない。と、ソファーに座ってフットボールを観戦していたジェイちゃんが、ハッとした顔で立ち上がり、無言でバルコニーに走り出た。そしてリビングルームの窓辺に置いてある鳥の餌遣り器に餌を入れている。

「ほら、クリスマス・プレゼント」

 部屋に戻って来たジェイちゃんが、グフフ、と妙に嬉しげに鳥の餌遣り器を指差した。

「……は?」

「ほら、もっとちゃんと近付いて、よく見てみなよ!」

 透明な筒の中にギッシリと詰まった種。よくよく顔を近づけて見れば、何やら黒っぽいソーメンの切れ端のようなモノが混ざっている。

「あっ!」と思わず声を上げた。なんとソレは、全長二センチ程の芋虫だった。

「イズミが前に、『この餌場の中身が種じゃなくて虫や蜘蛛だったら、動物食のミソサザイが来るかも知れないのに』って言ってたから、わざわざペットショップで乾燥芋虫を買って来たんだよ! ね、クリスマス・プレゼント」

「おおおぉぉ」と感動する私。得意気に鼻の穴を膨らませるジェイちゃんを、「良くやった!」と褒めてやる。

「でもこんなちょびっとじゃなくて、もっとギッシリと芋虫で埋め尽くさないとミソサザイは来ないかも知れないから、ちょっと入れ直してきてよ」

「それは流石にキモイからヤダ。芋虫1に対して種9の割合が僕の限界だ」


 鳥達は目敏い。雀やヒワ、山鳩、アトリ、シジュウカラ、キイロアメリカムシクイが次々と訪れる。リス君も来た。細長い芋虫を両手で持ち、眼を細めて食べる姿は、何やら麺類でも啜っているように見える。ブルーグレーのカケス君が嬉々として芋虫を突いている。カケスはドングリなども食べるが、実は芋虫の方が好物らしい。


 カケスに新鮮な芋虫とドングリのどちらかを選ばせると、殆どのカケスは芋虫を選ぶ。しかし芋虫とドングリを同時に大量に与えてキャッシング、つまり食べ切れない分を地面に埋めさせたとしよう。ドングリと芋虫を埋めた部屋に三日以内にカケス君を連れて来ると、カケス君はいそいそと芋虫を埋めた場所を掘り返す。(注:しかし芋虫もドングリも意地悪な研究者がすでに取り除いているので、実際には何も見つけられない。)しかしそれ以上日数が経ってから部屋に連れて来られた場合、カケス君は決して芋虫を埋めた場所は掘らず、ドングリを埋めた場所ばかり掘り返す。

 カケス君は自分が「何処」に「何」を「いつ」埋めたかを記憶している。更に、過去に埋めたモノが現在どのような状態であるかも時間の経過によって予測する。つまり、「本当は芋虫が好きだけど、一週間以上前に埋めた芋虫なんて、どーせ腐って食べられやしないから、そっちは無視して、ドングリだけ食べておこうっと」と考えているのだ。もう一度言うが、ドングリも芋虫も研究者に盗まれていて地面の中には無いので、別に「腐った芋虫の臭い」で判断しているわけではない。この様な研究結果を聞く度に、カケス君って賢いなぁ、とつくづく感心する。


 しかしいくら待っても、結局ミソサザイは現れなかった。やはり芋虫と種の比率が良くないのかも知れない。またはこんな半分乾燥したような芋虫ではなくて、汁気たっぷりの新鮮な芋虫でなければダメなのか。よく分からないが、とりあえずジェイちゃんが見ていない隙に筒の中を乾燥芋虫で埋めておいた。


 愛らしいミソサザイ君が現れる日を夢見て、私は今日も窓辺に置かれた透明な筒を飽かず眺めている。



 ♢ ♢ ♢


 突然ですが。


 このエッセイを読んで下さっている方々から、「和泉さんって言動が変わっていますね」と言われることが最近増えているのは気のせいか。一応断っておくが、私は常識的だ。変り者とはジェイちゃんのような人間のことを言う。


 つい先日の事。

「すっごい芸術的な事を思いついた!」と叫びながら、ジェイちゃんが嬉々として私のオフィスに駆け込んできた。

「ちょっとコレ見てよ!」とiPhoneを私の顔の前に突き出すジェイちゃん。

 差し出された写真はプレートで育てられている線維芽細胞せんいがさいぼう。コラーゲンやヒアルロン酸を作り出す皮膚の細胞で、プレートで育てられると特徴的な渦や川のような集合体を作る。

「これね、エンちゃんの細胞なんだけどね」

 遺伝子学者のジェイちゃんは、最近エンジュの皮膚細胞をプレートで育ててコヨーテ犬の遺伝子解析をしている。いずれエンちゃんのクローンを作ろうという目論見らしいが、彼の仕事とは関係無く、単なる個人的趣味らしい。

「これさ、同じプレートで僕とイズミと吹雪の細胞を育ててさ、それぞれの特徴を使って染色すれば、家族写真が出来るよ!」

「……なるほど。つまり犬とヒトの細胞を区別できる染色を使って、更に雄雌の違いを使えば、『犬+オス=吹雪』『ヒト+オス=ジェイちゃん』みたいに細胞が区別出来るということか」

「そうそう! 素晴らしいアイデアでしょ?! すっごく芸術的な家族写真だと思わない?!」

「いや、それは芸術的とは言わんでしょ。もうオタク丸出しと言うか」

「だけどカルロスはすっごく良いアイデアだって褒めてくれたよ! ベータとカルロスと奥さんの家族写真も作って欲しいって!」

 ベータと言うのはジェイちゃんの同僚カルロス君の愛犬だ。そしてカルロス君は実験室で使われる氷のバケツを見て、「イギリス衛兵の帽子に似ている」とか言い出し、バケツを頭に被って敬礼した写真を送ってくるような人間だ。私はそんな愉快なカルロス君の大ファンだが、しかし彼に芸術的センスがあるかは些か疑問だ。

「どうせなら綺麗な色の蛍光色素を使って、華やかな家族写真にしよう!」

「全員分の細胞が仲良く並んでくっついている部分を探してさぁ」

 興奮気味に語り合うギーク達に冷たい視線を向ける私。

「麻酔もなしに直径六ミリの皮膚組織を真皮まで抉るとか、結構痛いよ? どうしてもって言うなら抉ってあげるけど」

「えっ?! 局部麻酔使ってくれないの?!」即座に引き気味になる小心者のジェイちゃん。

「研究そっちのけで遊んでいるようなニンゲンに使う麻酔なんてありません」

「大丈夫! 崇高な目的の為だ! 男らしく耐えてみせる!」


 カルロス君の爽やかな笑顔が目に眩しい。

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