青い鳥

 我が家に幸せを呼ぶ青い鳥が来た。インコのピーター君(♀)である。


 ピーター君はジェイちゃんの同僚の愛鳥なのだが、彼が一週間のハワイ旅行に入っている間、我が家でお預かりすることになった。無論、鳥アレルギーの酷い私が自ら名乗り出たのだ。一週間くらいなら薬を飲んで寝室さえ別にしておけば大丈夫だろう。ここ一年ほど巣立ちに失敗したヒナに巡り会えず、鳥愛に飢えているのだ。

 ピーター君のパパとママはトルコの方で、ピーターの発音も『ぴてぃあ』という感じで、最後のRの巻き舌がめちゃくちゃ難しい。スペイン語の巻き舌よりはフランス語のRに近い感じで、最初の「ぴー」以外は誰も正確に発音出来ない。従って我が家では「ピーちゃん」とお呼びすることにした。そもそもメスだしさ。

「じゃあ、よろしく。一週間後に迎えにきます」

「うん、一週間後でも一ヶ月後でも一年後でもいいよ。いってらっしゃ〜い」と快くピーちゃんのパパを送り出す私。今週は家から仕事をしているので、たっぷりピーちゃんと遊べるのだ。

 パパがいなくなると、ピーちゃんはピィピィピィと三度ほど不安気に甲高い声で叫んだが、私が冷蔵庫からイチゴを取り出すと、いそいそと肩に乗り、期待に満ちた目で私の手許を見つめている。イチゴの魅力の前ではパパの事などどうでもいいらしい。


 ピーちゃんはイチゴとブラックベリーが好き。ブルーベリーは嫌い。正確には、イチゴやブラックベリーの表面にある小さな種が好きなのだ。凄まじい勢いで頭を振り回して汁を飛ばしながら食べるので、テーブルにタオルを敷いてやる。それでも汁は絨毯まで飛び散っていた。淡いピンク色のピーちゃんの嘴も汁で何やら赤黒く染まり、果物というより肉食系のお食事でも楽しんだかのように見える。

 イチゴを食べ終わったピーちゃんは早速私のラップトップの上に止まり、嘴についたイチゴの汁をネシネシとモニターに擦りつけてくる。ヤメロ。手を出せばサッと指に乗る。そのまま肩に移動させ、何やらチッチッとお喋りしている彼女に「そうかいそうかい」などと適当に相槌を打ちつつPCに向き直る。

 私の注意が自分から逸れたと気付いた途端に素早くモニターの上に移動して、ネシネシとやり始めるピーちゃん。日本の駅などにある鳩除けのトゲトゲが我がモニターの上にも欲しい。

「ピーちゃん!」と叱ってモニターを払えば、今度はキーボードに攻撃を仕掛けてくる。彼女はどうも私の手が触れるモノに嫉妬しているらしく、その証拠に私の手の中のマウスにも襲いかかってくる。仕事にならん。しかし小鳥相手にイライラしても仕方無い。気分転換に台所に行って紅茶を淹れて帰ってきたら、Tabキーが毟り取られていた。


 構って欲しくて仕方無いピーちゃんの顎やクチバシのきわ、目の下などを掻いてやる。右を向いたり左を向いたり、更には頭をぐるりと百八十度回転させて、掻いて欲しい部分に私の指がくるように自分で調節するピーちゃん。いかにも気持ち良さげに頭や首の毛をぽわりと逆立て、目を瞑ってうっとりとしている。

 お礼のつもりか、ピーちゃんが私のグルーミングを始めた。いそいそと寄ってきて、半開きにしたクチバシと舌で指先や手の甲を軽く触る。または頬や耳許で何やらコショコショしている。ちょっとくすぐったいが、可愛いので放っておく。と、私の荒れた指先が気になったのか、硬くなった皮膚や爪の甘皮の手入れを始めてくれた。

 むぎゅむぎゅと独り言を言いつつ、甘皮を丁寧に取っていくピーちゃん。マニキュアサロンのお姉さんより丁寧で上手じゃん。このまま全部やってもらおうかしらん。取った甘皮を食べているのがやや気になるけど、まぁそれは動物同士のグルーミングでは割とよく見る光景だし……と思ったところで、いきなり手首にある直径1ミリにも満たないホクロを酷く毟られた。

「イタタッ! って血が滲んでるじゃん! アンタ、お腹空いてるだけじゃないの?!」

 餌の入った皿を仕事机の上に置いてやると、慌てて食べ始めるピーちゃん。やはりお腹が空いていたらしい。餌皿は二メートルもはなれていないテーブルの上及びケージの中にあるのだから、人喰いインコと化す前に自分で食べに行って欲しい。


 私もお腹が空いた。冷凍庫から私の最近の楽しみ、冷凍タイ焼きくんを取り出す。隣町の日本食品店で見つけたのだ。

 トースターで熱々に焼いたタイ焼きを手に持った途端、ピーちゃんがイソイソと肩から腕、そして手首まで移動してきた。そして私が食べようとする横から自分も顔を突き出し、当たり前のようにタイ焼きをついばもうとする。この馴れ馴れしい様子、さては実家ではいつもそうやってヒトの物を食べているのだな。

「ピーちゃんはコッチにしときなさい」

 テーブルの上のイチゴの皿を差し出すが、ピーちゃんは納得しない。ピーちゃんもタイ焼きが欲しいのだ。

 ヒトの食べ物は味が濃すぎる。まぁタイ焼きの皮を一口二口食べるくらいどうってことは無いが、しかし鳥と食べ物をシェアするのはヒトの健康に良くない。例えばオウム病の原因になるバクテリアは、糞だけでなく、気管分泌物の中にもいるのだから。

 これは鳥だけでなく、他の生き物でも同じだ。犬猫ハムスター爬虫類等の普通のペットから牛馬羊ヤギまで、動物からヒト、そしてヒトから動物にうつる病気は多い。当たり前だが、生き物は種族によってそれぞれ体内に飼っている細菌や寄生虫が違う。猫の口内にいるのは当たり前のバクテリアでも、ヒトの口内に入れば病原となるし、反対もまた然り。

「動物は汚いからさわっちゃいけません!」みたいにアホかと言うほど神経質になる必要はないが、やはり触ったら手を洗いましょう。そして動物と同じ皿から飲み食いするのはお互いの健康の為に止めましょう。ってか、同じコップから水を飲むとか、私はヒト科のジェイちゃん相手でも嫌なんですけど。


 話を戻そう。

 私の口から直に毟り取る勢いでタイ焼きに襲いかかってくるピーちゃんに根負けして、餡子のあまり入っていない背ビレを千切ってテーブルに置いてやる。一応断っておくが、皮しかあげないのは私がケチなのではなく、熱い餡子でピーちゃんが火傷するのを防ぐためだ。そもそも砂糖たっぷりの餡子なんて鳥には良くない。そして私だって本当は餡子よりもタイ焼きの皮が好きなのだ。

 しかしピーちゃんも餡子はあまり好きではなかったらしく、嘴に付着した餡子を目を離した隙に私のマウスに擦りつけてくれた。


 夜、ジェイちゃんが仕事から帰って来ると、ピーちゃんは何やらそわそわとした様子でジェイちゃんの頭にとまる。しかしジェイちゃんが手を出すとギャギャギャッと怒って、指をつついている。

 ジェイちゃんにピーちゃんを任せて食事の支度の為に台所へ行くと、ピーちゃんも慌ててついて来る。そして私の肩に座って物珍しげに辺りを眺めている。沸騰している鍋の中に飛び込んだりしたらどうしようかと思ったが、火を扱っている間は肩で大人しくしている。問題は包丁だった。

 肉や野菜を刻み始めた途端に目を輝かせてまな板の横に舞い降りたピーちゃん。恐れげもなく、まな板の上に首を出してくる。

「アブナッ! 首チョンパになるよっ」

 叱っても追い払っても諦めないピーちゃんは、とうとう捕獲されてケージ行き。

 牢屋に入れられたピーちゃんは非常に憤慨して、ピーピーギャアギャアと大騒ぎ。ケージのドアを自分で開けようとしてガチャガチャと上下させ、餌箱を引っくり返し、ベリーを咥えて振り回し、汁をケージの外まで飛ばしている。我が道を生きるチュチュでもここまで傍若無人ではなかったぞ。

「ちょっとジェイちゃん、吹雪用の分厚いシーツをケージの上にかけてきてよ!」

「え、でも、ピーちゃんはケージにカバー掛けられるの嫌いだってジョンが言ってた……」

「暗くなったら寝るのは鳥の本能だよ! コツは光が漏れないようにケージを完全に覆うことだよ! ジョン達は絶対にその辺が下手なだけだから!」

 案の定、カバーを掛けた途端に嘘のように大人しくなるピーちゃん。

「おお、マジックみたい!」と喜ぶジェイちゃん。マジックじゃなくて本能です。


 ところで、ピーちゃんがバサバサと飛んで肩に乗るたびにジェイちゃんは妙に驚いている。

「鳥を飼うのは初めてだけど、予想外過ぎて慣れないことが三つある」と不意にジェイちゃんが言った。

「ひとつ、空を飛ぶ。ふたつ、ピーピーという甲高い鳴き声。みっつ、『NO』が通じない」

 NOが通じないのは単に飼い主の躾によるものだと思うが、しかし最初の二つは鳥類そのものを否定している気がする。家に飼われている鳥は床を走るとでも思っていたのだろうか。まぁ中にはそんな子もいるが、インコの足は雀や鶏などに比べて地面を歩くのに向いていない。ピーちゃんのように爪が伸びている子は尚更だ。

「あ、それから四つめ。鳥にも睫毛がある……!」


 鳥はお喋りの多い生き物だ。怒ってギャーギャー喚いたり、甘えてピーピーと鳴くだけでなく、何やら引っ切り無しにピチュピチュ独り言を言っている。いわゆる囀りだけでなく、鼻の奥でブブブ、と微かな音を立ててコミュニケーションを取ったりもする。脳理学では言語と脳内の発達を鳥を使って研究することが多いのだが、身近で見ていると本当に鳥って言語の発達した生き物だなぁ、と感心する。

 そんなピーちゃんに Youtube でインコのビデオを観せた。別に鳥の言語学を研究したいと思ったわけではなく、彼女のiPadへの絶え間無い攻撃に辟易として、ちょっとからかってやろうと思っただけだ。

 先ず、「むか〜しむかし、おじ〜さんと、おば〜さんが」と間延びした調子で昔話を語るセキセイインコのビデオを観せた。ピーちゃんは数度首を傾げただけで全く興味を示さず、モニターの前で毛繕いしている。つまらん。

 続いて、セキセイインコが求愛の囀りをしているビデオを観せた。ピチュピチュピチュ、と甘い囀りが聞こえてきた途端にハッとした顔でiPadを見つめるピーちゃん。次の瞬間、彼女はスクリーンに映る黄色いセキセイインコに猛然と襲いかかった。

 カカカカッと物凄い勢いで iPadをつつかれ、慌ててビデオをストップする私。

 やはり「むか〜しむかし」などと極東民族の言語で語られてもトルコ人の両親を持つピーちゃんには意味がなく、反対に鳥同士の求愛の囀りには意味があったのだろうか。それにしても求愛の何がそんなに気に障ったのか。鳥の心理は中々フクザツなのだ。


  我が家の犬達は小動物を襲ったりはしない。ピーちゃんさえ怖がらなければ、友好的な関係が築けるだろうと密かに楽しみな私。青い鳥と白い犬が戯れているファンタジーな写真が撮りたいのだ。しかしここで思わぬ誤算が。

 ピーちゃんはとにかく文句が多い。気に喰わないことがあると鼓膜が破れそうな高音でビービーと喚く。と、テレビの上に陣取り雄叫びを上げるピーちゃんをジッとみつめていたエンジュが、何やらふるふると震え出した。

 歳をとって聴力の落ちているエンジュだが、火災報知器のアラーム音のような周波数の高い音だけは聞こえるらしい。そしてピーちゃんの甲高い叫びを火災報知器と勘違いして怯えているのだ。

「火災報知器=ピーちゃん」であると気付いた彼女は、ピーちゃんが肩に乗っている時は私に近付かなくなった。大声で呼んでも気付かないフリをして、そっと階段の陰に隠れている。無理矢理捕まえると、ものすごく嫌そうな顔をしてピーちゃんから目を逸らし、こめかみを引き攣らせている。

 ピーちゃんも最初の二日程は犬には近寄らないようにしていたが、三日目には慣れて、エンジュの背中に乗せても平気で寛いでいた。コヨーテ犬より神経の太いインコ、ピーちゃん。


 明日、ピーちゃんは家に帰る。この一週間、乗馬にも殆ど行かずにピーちゃんと遊び続けた。中々充実した日々だったが、そろそろアレルギーで身体が限界だ。乗馬に行かなかったのは、実は軽く発熱しているせいもある。

 それにしても、やはり鳥はイイ。言語が発達していて、感情豊かで、愛情深い。そしてその分、嫉妬深い。それがまた可愛い。


 ピーちゃんに襲われて顔から流血しているジェイちゃんを眺めつつ(頬っぺたのオデキを突かれたらしい。ホクロ等の目立つモノをついばむのは鳥の本能だ)、束の間の幸せを噛みしめた。

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