恋の季節
季節は春。牝馬の発情期の始まりだ。しかし彼女達は発情期だからと言って、牡馬達にいい顔を見せるわけではない。特に冬の無発情期を終えて春の繁殖期に入る直前は、やけにイライラとして荒れる馬が多い。ヒトで言うPMSってヤツだろう。
ヒト嫌い馬嫌いの女王ブルックリン。春になると、ただでさえ気難しい彼女は性格の歪みに益々拍車がかかり、遠くに馬の影がチラリと見えただけでガチガチと前歯を鳴らして威嚇している。そして騎乗中もいきなり興奮してギャロップしたり後脚を跳ね上げたりするので油断ならない。
私の通う牧場には個人の持ち馬を含めておよそ二百頭前後の馬がいるが、その全ては牝馬か去勢馬で、種馬はいない。種馬と去勢馬、または去勢馬と牝馬の組み合わせは仲良く暮らしていけるが、種馬x牝馬は揉め事の種にしかならないからだ。
発情している牝馬に興奮するのは種馬だけではない。去勢馬達も、美女たちが撒き散らすフェロモンが気になって浮き足立つ。オスメス一緒に暮らしている放牧場では、発情中のガールフレンドに他のオトコが近付くのではないかと、ボーイフレンド達はレッスン中でも気が気ではない。ガールフレンドを巡り、去勢馬同士の喧嘩に発展することもしばしば。全く意味も実りも無い喧嘩なのだが、恋に目の眩んだ彼らにそんな理は通じない。
ブルックリンを連れてマイダスの放牧場を通りかかると、マイダスを含む四〜五頭の馬達がいそいそと駆け寄ってくる。ここは牡馬オンリーの放牧場なので、皆ブルックリンに興味津々だ。特に若い栗毛のサラブレッドはブルックリンに御執心で、彼女の気を引こうと懸命に嘶いている。マイダスくんはどちらかと言うとブルックリンよりも私のポケットの中のクッキーが本命のようだが、それでもやっぱり少しは気になるらしく、クッキーを食べつつ横目でブルックリンをチラ見している。
しかし肝心のブルックリンは、オトコ達の熱い視線にもこめかみをピクピクと引きつらせ、耳を寝かせ、隙あれば誰かの尻を噛んでやろうと歯を剥き出している。彼女は大の馬嫌いだし、そもそも発情期の牝馬は種馬にしか興味を示さないのだから仕方無い。
そんな無愛想なブルックリンを連れて洗い場へ行き、尻尾をシャンプーしてやろうとした時のこと。濡らした尻尾の付け根を泡立てようとすると、ブルックリンがグッと尻尾を持ち上げた。フンでもするのかと手を離したが、いくら待ってもその様子はない。しかし尻尾の付け根に手を伸ばすと、再び尻尾を持ち上げる。
「……まさか」と思ったが、そのまさかだった。
後脚を軽く広げて立ち、尻尾を斜め上に持ち上げ、尻を突き出すこのポーズ。そして極め付けのウィンキング……これはちょっと説明し辛いモノがあるので、興味のある方は「牝馬 ウィンキング」でネット検索して下さい。
とにかく、これら複数の行動が示すところは唯ひとつ。
「交尾OK♡」
「…………」
肩越しに振り返り、何やらキラキラした眼差しで見つめてくる愛馬から無言で目を逸らす私。彼女の尻の真後ろに立つことを避けて、斜め後ろに移動する。と、ブルックリンはツツツ、と動いて再び私に尻を向けてきた。
……ブルックリンよ。私も君を愛している。
でもコレって、もう色んなレベルで完全にアウトだからっ!!!
愛馬の激しい勘違い行為に何やら居心地の悪さを味わった、爽やかな春の朝でした。
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