モカ&ラテ(前半戦)

 大学卒業直前の頃の話だ。


 週末の早朝、保健所からの電話に叩き起こされた。

 まだ朝の七時ではないか。私は週末は十一時頃までグダグダしたいんだよ! とメッチャ不機嫌な私。電話に出る声もドスが効いて低くなる。

「お願い! 仔犬がミルクを飲まないから来て!」


 仔犬と聞けば放ってはおけない。私に電話をかけてくるということは、余程状態が悪いのだろう。ボランティアで時々仔犬や仔猫の世話をしているのだが、私には他のボランティアの方では面倒をみきれないモノだけをまわすという取り決めがある。

 保健所で出会った仔犬はオスとメスの二匹。私の見立てではボクサーとピットブルの雑種。早朝のスーパーマーケットの駐車場に箱に入れて捨てられていたらしい。

「生後二〜三週間くらいだと思うんだけど、どう思う?」と言われて手の平より小さな仔犬を受け取る。首の後ろを軽く掴むと仔犬達がキュッと足を縮めた。

「う〜ん、生後二日。良くて三日かな。五日は絶対経ってない」

「えっ?! 本当?!」

「首の後ろを掴むと足を縮めるでしょ。コレって屈筋反射なんだけど、生後五〜七日くらいから伸筋反射が出てきて、反対に足を伸ばすようになるんだよね」

 目も耳も開いていない仔犬達を見て溜息をつく。せめて生後三週間くらいまで捨てるのを待って欲しい。生後三日以内では生き残れる確率がガクリと落ちるのだ。まぁゴミ袋に入れて川に投げ捨てられなかっただけマシと思うことにする。ヒトになど期待しても仕方無いのだ。

「ミルク飲まないんだけど」

「あ〜、はいはい」

 受け取った哺乳瓶のミルクで小指の先を濡らし、それを仔犬の口に突っ込む。仔犬が指先をチュウチュウと吸い始めたら即座に哺乳瓶と小指を入れ替える。チュウチュウと元気にミルクを飲む仔犬達。懸命にモミモミする前足が可愛い。


 ダンボール箱に入れた仔犬達を家に連れて帰った。玄関で待ち構えていたエンジュとリディアが「おかえり〜おかえり〜」と騒ぐ。

 リディアは二〜三歳のメス犬で、コーギーの雑種。やはり色々と問題があって保健所から引き取ってきて半年程になる。エンジュはまだ二歳になったばかり。凛々しく若い半コヨーテ犬。

 ダンボール箱からミューミューと仔犬の鳴き声がすると、リディアがピクリと耳を立てた。リディアがどのような理由で保健所行きになったのかは知らないが、恐らく私と会う前に彼女は一度仔犬を産んでいるはずだ。一方、エンジュは箱をひと嗅ぎした途端、なぜか物凄く露骨に嫌そうな顔をして即座に私から離れた。いつもならしばらくぴょんぴょんと私の周りを跳びはねる癖に。

 仔犬の箱をひとまずコーヒーテーブルに置いてミルクを作っていると、リディアが箱の周りをうろつきながらクンクンと鳴いた。エンジュはバルコニーの前に座って外を眺め、知らんぷり。

 仔犬達を箱から出すと、リディアは私から片時も離れず、もう本当に真剣にチビ達を見つめた。ミルクを飲ませてトイレの世話をする。産まれて間もない仔犬や仔猫は母親が舐めて刺激しないと上手く排泄出来ないのだ。あまりに真剣にリディアが見つめているので、排泄の世話をしてくれないかと期待して仔犬のお尻を差し出してみたが、彼女にはそこまでの才覚は無いらしい。

 不思議なことに、いつもなら私にべったりのエンジュが決して私に近寄ろうとしなかった。それどころか、仔犬達がミューミューと鳴いても耳ひとつ動かさない。じっと窓の外を眺め、完全無視だ。

「エンジュちゃんったら、お母さんが仔犬なんか連れて帰ってくるから嫉妬して不貞腐れてるんでしょー」とか思うヒトもいるかと思うが、そんな筈は無い。我が家に仔犬や成犬、鳥やウサギが来るのなんて珍しくない。そしていつもならエンジュは新しく家に来た動物に興味津々なのだ。仔犬と遊ぶのが大好きなのだ。ただ、これ程幼い仔犬は初めてだった。

 仔犬を箱に戻すとサッとエンジュが近寄ってきた。尻尾を振って嬉しげに私を見つめる。試しに仔犬の哺乳瓶をエンジュに差し出してみた。普段なら知らない物の匂いを嗅ぐのが大好きなエンジュが顔をしかめてフイッと目を逸らし、後退りした。ふ〜ん、面白いね。まぁ興味があり過ぎて仔犬を弄くりまわすよりイイけどさ。


 暑過ぎず寒過ぎず、丁度良い温度に仔犬を保ち、二〜三時間おきにミルクを飲ませ、下の世話をする。そして濡らした柔らかなハンカチで丁寧に顔とお尻を拭き、続いて固く絞った熱いタオルで全身をツルリと一回拭き、乾燥したタオルでくるみ、湿り気を飛ばす。ハンカチで取れない目や鼻の周りの細かな汚れなどは綿棒でそっと落とす。ミルクの汚れは皮膚病の素。下の汚れなどトンデモナイ!

 コレを二〜三時間おきに毎回やるのだ。つまり私は夜中でも一度に二時間しか寝ることが出来ない。だってミルクを作る時間が必要だし、一匹目に飲ませて二匹目の世話が終わる頃には小一時間は経ってるからね。コレが生後すぐの仔犬や仔猫の生存率が落ちる理由なのだ。彼等の世話は病気でも併発しない限り特に難しいわけではない。ただ大変なんですよ、寝不足で。


 仔犬達はモカとラッテと名付けた。チョコレート色のブリンドルの雌がモカ。薄いコーヒーミルク色の雄がラッテだ。

 幸い二匹はとても健康で、ミルクもよく飲むし、お腹の具合も良い。

 四日目に風呂に入れてやる。温かなお湯の中で、仔犬達も気持ち良さげにホゲ〜としている。風呂と言っても石鹸で洗うわけではなく(石鹸・シャンプー等は刺激が強すぎるので余程の理由がない限り生後6週間以内の仔犬・仔猫にはNG)、洗面器のぬるま湯にぽちゃぽちゃと数分漬けて、落とし切れていない全身の汚れをすすぐだけ。下手にタオルでゴシゴシやるよりこっちの方が効果的だし肌にも優しい。よく肌の乾燥が〜、オイルが〜、とか言うヒトがいるが、目も開いていない動物はとにかく全身を清潔に保つ事が大切だ。まぁやり方はヒトそれぞれですな。元気に生きのびれば何でもイイのだ。

 風呂から上がった二匹を丁寧にタオルで拭き、日当たりの良い絨毯に置いた毛布の上に転がしておく。仔犬達はすっかりリラックスして日向ぼっこしながらクゥクゥと寝ている。睡眠不足さえ我慢出来れば、生後八週間の仔犬より三週間以内の仔犬の世話の方が楽だと思う。だってアイツラ、転がした場所から動かないもんね。

 と、ベッドルームで昼寝していたエンジュが欠伸しながらリビングルームにやって来た。そのままスタスタと一直線にバルコニーの窓辺のエンジュお気に入りスポットへ向かう。てっきり寝ている仔犬を避けて歩くのかと思いきや、なんと彼女は仔犬達を踏みつけていった。足下で仔犬がぐえっとかミュウミュウとか鳴いても知らん顔。ちらりとも見ず、耳ひとつ動かさなかった。

「エンちゃんっ!」 と台所から怒鳴ると、振り向いたエンジュが「あら、なぁに?」 といった顔で全く悪びれずに尻尾を振りながら台所へやって来た。その途中、彼女は再び仔犬を踏みつけた。それもワザとジグザグに歩いて二匹とも踏んでいった。

 これはもう、彼女なりの『コイツラ私の眼中にありません、ってか存在しません』アピールなのだろう。仕方無い。叱っても逆効果だと思い、放っておくことにする。しかしこれ以上踏まれて怪我させられても困るので、急いでチビ達を回収した。


 体力には自信があるが、流石に七日目ともなると私も疲れてくる。ちょっと寝たい。せめて五時間は爆睡したい。幸い私にはデリックという名の非常に親切な友人がいた。彼は親切な上に几帳面でマメで犬好きで、そして嫌と言えない性格だった。

「デリちゃ〜ん、ちょっと家に遊びにおいでよ〜♡」と電話して、何の疑いも持たずにノコノコと家に来たデリックに有無を言わせず哺乳瓶を渡す。

「はい、これね、雌がモカちゃんで雄がラッテくんね。今からモカでミルクとトイレの世話のやり方を見せるから、そしたらラッテで練習してみて。それで上手く出来て合格したら後は任せるわ」


 器用かつ親切なデリックのお陰で、私は久し振りに七時間程爆睡した。

 スッキリと目覚めたら、デリックがやけにやつれて見えた。子育てってやっぱ大変なんですなぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る