爆弾魔

 氏より育ち、などと言うが、こと動物に関しては、生まれ持った本能としてのうじなるモノが非常に重要なのではないかと我が愛犬を見ていてつくづくと思う。


 エンジュはコヨーテと犬の合いの子だ。父親は不明だが、おそらく半野生化した野良犬。そして母親が野生のコヨーテだったので、少なくとも50%はコヨーテの血が混じる。


 コヨーテは北アメリカに広く分布するイヌ科で、狼の近縁。平均体重15kg程で狼よりかなり小さいが、狼とも犬とも交雑が可能だ。豊かな自然を必要とし、群れを組むことの多い狼に対して、コヨーテは一匹又は夫婦二匹で行動し、大きな群れは滅多に組まない。そして小柄なコヨーテの主食は地リス、モグラ、ネズミやウサギなどで、人家の近くや近郊都市でも生きてゆくことが出来る。近年ではシカゴの街中にまで進出しているらしい。


 エンジュは生後五週間程で母親を殺され、生後六週間程で私と出会った。エンジュには弟妹がいたのだが、妹はパルボウイルスに感染し、残念ながら助からなかった。弟の行方は私には分からない。

 生後五週間までヒトを知らなかったイヌ科の動物ははっきり言ってほぼ完全に野生だ。おまけにエンジュの母親は生粋のコヨーテだったので、エンジュの野生味にも拍車がかかっている。しかし初めてエンジュに出会った時、私は彼女にコヨーテの血が混じっているなど全く知らなかった。エンジュはぱっと見た感じはクリーム色の普通の仔犬で、やけに毛質が柔らかく不思議な手触りだったが、それ以外は本当にタダの犬だった。

 タダの犬じゃなかったのはその行動。三匹の白い仔犬達は異常なまでにヒトを恐れた。ヒトがケージのそばを通るだけでガタガタと震え、三匹でツミツミに積み重なってケージの奥に隠れようとする。決して声を立てず、餌も殆ど食べず、ただひたすら震えている仔犬達。成犬では別に珍しくもないが、しかし物心もつかないような仔犬でこのような行動は見たことがなかった。ものすごく異様な光景だった。

 そしてそのおかしな三匹の仔犬の中から私がエンジュを選んだ理由は唯ひとつ。エンジュが一番怯えていたからだ。


 大学で一人暮らしを始めた私は犬を飼おうか迷っていた。アパートなどの問題もあったので絶対というわけではなく、まぁいい子がいたら考えてみようかな、程度だった。その頃私は保健所でボランティアをしていたのだが、ふとこの事を口にした途端、その場にいたオフィサー達が一斉に顔を見合わせた。

「イズミにぴったりの凄くイイ仔がいるよ……!」

 連れて行かれたのは例のふるふる仔犬達のケージ。ナンデこの仔達?と思いつつ、「いいからどれか一匹見てみなよ〜」と猫撫で声で言われ、では折角だからと思い、私は一番ふるふるしていた仔犬を指差した。

 仔犬は凄い怯えようで、八十センチ程の奥行きしかないケージから出すのでさえ大騒動だった。オフィサーに抱かれ、口から泡を吹く勢いでブルブルと震えまくるおかしな仔犬。雑種でも大体犬種の予想がつくものだが、この子は全く見当がつかなかった。

 すっごいノミだらけだな〜、でも耳・口・お尻はキレイだな〜、等思いつつ、眼を調べようとして仔犬の顔を正面からまじまじと見た。と、それまでポンコツの発電機のようにガタガタブルブルしていた仔犬がふと震えを止め、大きく黒々とした瞳でひたと私を見据えた。数秒見つめあった後、不意に仔犬が短い尻尾をぱたぱたぱたと三回振った。


 ズッキューン♡


 かくしてエンジュは私の子となった。


 エンジュは初対面三十秒でイキナリ私に懐いた。仔犬を引き取る為の書類にサインするためケージに戻して部屋を出た瞬間、クワオーンキャキャキャキャキャウオーンと犬にあるまじきおかしな遠吠えをし、そして戻ってくるとサッとケージのドアに走り寄ってくる。この妙な遠吠え、実はコヨーテ独特のモノなのだが、私もまさかオフィサー達が私に何も言わずにコヨーテ犬を押し付けようとしているとは夢にも思わず、その時はなんだか妙な鳴き方をする仔犬だな、くらいにしか思わなかった。全てが発覚したのは約三ヶ月後、自分の手許にいるイキモノが絶対に純粋な犬ではないと気付き、オフィサー達を問い詰めた時だ。


 とにもかくも我が家にやって来たエンジュちゃん、他の人間が近付くとガタガタブルブルとポンコツ発電機化するが、私にだけは甘え、じゃれつく。私が机に向かっている時などはやけに悟ったさかしげな顔で大人しく一人遊びしているが、しかしふと気付くと、しんと静かな眼でじっと私を見つめている。コレが可愛くない人間がいるだろうか。

 おまけにエンジュは普通の犬とは比べようもないほど賢かった。


 エンジュ伝説はまずトイレの躾から始まる。


 家に連れて帰り、部屋の中にトイレの用意をしている最中にエンジュが早速絨毯の端でチョロっとオシッコをした。まぁ仔犬なんてそんなモノだ。私はトイレットペーパーでオシッコを拭くと、それを新聞紙の上に置いた。

「オシッコはここね」と言ってエンジュにそれを見せると、エンジュは興味深げにふんふんとトイレットペーパーの匂いを嗅いだ。

 三十分程してルームメイトに呼ばれ部屋を出て、数分後に帰ってくると、部屋からプ〜ンとウンチの匂い。何もわざわざ私がいない時にやらなくても……と思いつつ諦めて絨毯を掃除する準備をして気がついた。エンジュは大小きっちり新聞紙の上でやっていた。そしてその後、一度もトイレの失敗をしなかった。

 犬を飼ったことのあるヒトなら分かると思うが、生後たった六週間でコレは驚異的な速さだ。吹雪もシェパードだけあって賢い仔犬だったが、それでも完全に失敗しなくなるまでに三日はかかった。私が育てた他の仔犬でも大体五日から二週間はかかる。

 さらに三週間後。そろそろ外でトイレに行くのに馴れてもらおうと思い、庭に連れ出して枯葉の上で一度だけオシッコさせた。イイコイイコと褒め称え、家に入って二時間後。机に向かっている私の足をエンジュがチョイチョイと触った。振り返るとエンジュが何やらキラキラした目で私を見つめている。

「遊んで欲しいの?」

 ポイッとボールを投げてみたが、エンジュは見向きもしない。

「今、勉強中で忙しいから一人で遊んでいなさい」と言って再び机に向かう。と、エンジュはまたチョイチョイと私の足に触れた。

 エンジュは勉強中とゲーム中の違いが分かるらしく、私が勉強の為に机に向かっている時は決して私の邪魔をしない仔犬だった。なのになぜ今日に限って私の気を引きたがるのか。しばらく無視していたが、エンジュは私のそばを離れようとしない。あまりに何度も足に触れてくるのでちょっとイラッとして、「エンちゃん!」と叱った瞬間、エンジュが「アンッ」と吠えた。

 エンジュは余程のことが無い限り、声を立てない。まして、私に向かって吠えるなんてあり得ない。驚いて立ち上がると、エンジュは待ってましたとばかりにドアに向かって走り、私をチラリと振り返る。

 ドアを開けてやると、彼女は弾丸のように外に飛び出し、芝生に到達する前にジャーっと漏らした。かなり切羽詰まっていたらしい。しかし部屋の中にはまだエンジュのトイレ用の紙が置いてあるというのに、一度外でやらせたら、「トイレは外でするモノ」と心に決めたらしい。その後エンジュが家の中で意識的に粗相をしたことは一度も無い。

「この子天才だ!」と親バカ全開の私。だがしかし。

 エンジュのトイレの躾の良さにはひとつ落とし穴があった。


 興奮したり叱られて怖かったりした時に、ジャーッとオシッコ漏らしちゃう犬ってよくいるでしょう? アレだけは自律神経系の反応なので躾ではどうしようもない。なるべく興奮させないようにして、叱る前に膀胱を空にして、あとは諦めるしかない。

 エンジュは何があってもオシッコを漏らしたりはしない。

 恐怖を感じた時に彼女が漏らすのは大の方なのだ。


 怖いモノ(=人間)が近づいて来た時、エンジュは目にも留まらぬ速さで逃げる。そして走りながらボロボロと地雷を落としていく。全力疾走中にウンチ出来るなんて、お前は馬か。(馬はキャンターしながらでも大が出来ます。)

 そんなエンジュにジェイちゃんが付けたアダ名が爆弾魔ボマー

 エンジュを撫でようと近付く危険人物達は皆エンジュの落とす地雷に驚いて足を止めるので、これはかなり有効な自衛手段と言えよう。


 それでも捕まってしまった時はどうするか。


 エンジュ防衛手段第二弾・毒ガス攻撃の発動だ。

 犬は肛門の近くに肛門腺というモノがあり、糞とは違った一種独特の臭いの分泌物を出す。犬によっては分泌物が溜まってしまうので、時々手で絞ってやる必要があるのだが、これがもう凄い臭いなのだ。一滴で糞の千倍位の威力がある。

 そしてエンジュの肛門腺は常にパンパンだ。絞っても絞らなくてもパンパン。そして身に危険が迫った時、彼女は溜まったモノを一挙に放出する。

 そんなエンジュをジェイちゃんはスカンクと呼ぶ。ラッキーな事に家の中でコレをやられたことはまだ一度も無いが、しかしスカンク化したエンジュは風呂場直行となる。


 生後六週間から片時も離れず私と一緒に過ごしてきたエンジュ。彼女ももうすぐ十三歳だ。相変わらずスラリとした体型と素早い身のこなしで、獣医仲間にですら三歳位だと思われている。そして十三年間ヒトと暮らしてきたにもかかわらず、相変わらずのヒト嫌い。まぁ十年前に比べればだいぶマシになったが、それでも彼女の行動の数々は野性味を帯び、爆弾・毒ガス攻撃は止まらない。


 エンジュがばら撒いた地雷を片付けつつ、育ちより氏だよなぁ、とつくづく感心する今日この頃。

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