救えないということ

 ……またか。

 仕事場の三階の踊り場で頭上を見上げて溜息をつく私。今年も例年通り、嘆き鳩のカップルが天井からぶら下がる照明の中に卵を産んだ。このカップル、巣作りの場所のチョイスが悪く、更に子育ても下手で、毎年卵を割ったり雛の巣立ちに失敗したりしている。頭上から降ってくる卵に辟易とした誰かがカップルの為にダンボール箱の巣を設置してやったお陰で今年も雛は無事に孵ったようだが、どうも雛の様子がおかしかった。


 嘆き鳩は通常ふたつの卵を産む。雄雌交代で卵を温め、そして雛が巣立つまで夫婦で子育てする。生後数日間は素嚢そのうという消化器官から分泌されるピジョン・ミルクと呼ばれる液体を口移しで飲ませ、雛が成長するにつれて吐き戻した種などを食べさせる。お父さんとお母さんが餌を運んで来てくれるのを仲良く肩を寄せ合うようにして待っている雛の姿には心温まるものがある。しかしある日ふと気が付くと、雛が一羽しかいなかった。

 まだ巣立つにはだいぶ時間がある。下から見上げているだけではよく分からないのだが、巣から顔を覗かせている雛の横にピクリとも動かない尾羽の一部が見えているようだ。

「一羽死んだな……」

 死んだ雛は生きている雛の心身の健康の為に巣から蹴り落とすべきだ。しかし育児下手な嘆き鳩カップルにそのような才覚はなかった。

 そして一週間後。残った雛の巣立ちを待たず、親が巣に戻って来なくなった。育児放棄だ。

 残された雛は帰ってこない親を待ち、困った顔で巣から外を覗いていた。そして二日後、このままジッとしていては死あるのみと覚悟を決めたのか、エイヤッと羽をバタつかせ、巣から落ちてきた。廊下の隅にでも落ちてくれれば良かったものを、彼は三階の屋根の上に落ちてくれた。そしてそこで力尽き、屋根の隅っこでジッとしている。

 二羽のうち一羽が死に、残った方は育児放棄。つまり雛達は何らかの病気に罹ったのだろう。可哀相だが仕方無い。これも自然の掟さ……などと夜風に独り震えている雛を目前に平然と言えたら獣医になんぞならなかった。

 真夜中、仕事を終えた私は辺りにひと気の無いのを確かめ、懐中電灯片手にコッソリ屋根に登って鳩の子を救出した。


 自分の元に野生動物又は法律違反のペット動物(カリフォルニアではイタチ・ハリネズミ等)が持ち込まれた場合、獣医はその動物達に必要な医療を施す「義務」はなく、嫌なら断る「権利」がある。治療するかしないかは獣医の一存で決まり、更に治療をする場合、法律でリストアップされている伝染病等を媒介する可能性や他者に危害を加える可能性が無い限り、その違法動物の飼主を役所に突き出す義務はない。要約すると、自分の手の中の動物は必要ならばチャッチャと治療してバイバイして良いのだ。

 これはどういうことかと言うと、つまり私は自分の元に持ち込まれた動物(持ち込んだのは自分だが)の面倒を心置き無くみる権利がある。私が獣医になった最大の理由のひとつだ。


 軽い脱水症状を起こしていた子鳩にとりあえず皮下注射で点滴し(鳥の点滴は太腿と翼の付け根の皮が余っている部分がやり易い)、暖かなダンボール箱に入れて一時間程休ませる。

 すり潰した果物や穀類に水を混ぜたものを持って行くと、シリンジに襲いかかるようにして餌を欲しがった。余程腹を空かせていたらしく、子鳩くんにヒトを恐れる余裕などなかった。試しに種を盛った皿を床に置くと、自分で食べ始めた。イイ事だ。シリンジで無理矢理餌をやらずに済むに越したことはない。一応口腔内を含め全身を診たが、特に怪我も病気もなく、ただ少し痩せている程度だった。

 これなら特に心配することもなさそうだと思い、餌と水を補充して子鳩くんの避難キャンプと化したトイレの電気を消した。


 翌朝。

「おっはよー」とトイレに入って来た私を見た途端、子鳩くんは私に向かって首を伸ばし、僅かに翼を広げてぱかりと口を開けた。ごはんクレクレおねだりポーズ。そこまでは良い。良くなかったのは、彼の口は直径1ミリ程の小さな種で一杯だったのだ。

 慌ててピンセットで種を掻き出す。改めて口の中を調べてみたが、特に目立つものはなかった。鼻を近付けて口の臭いを嗅ぐ。微かにパンを発酵させたような異臭が漂った。


 C. albicans というイースト菌による感染症、いわゆるカンディタ症。ヒトも罹る病気だが、鳥、特に幼鳥や身体の免疫の落ちた動物に多い。

 口腔カンディダ症の鳥は口の中に白いカビの塊みたいなモノが出来るのだが、子鳩くんにはそれがなかったから昨晩は気付かなかったのだ。しかし恐らく彼の食道はこの白いカビの塊で詰まっていて、それで餌が飲み込めず、そのせいで親に見捨てられたのだろう。


 職場に連れて行き、綿棒とピンセットで出来る限り喉の奥を掃除して、あり合わせの道具で経口食道チューブを作ってやった。皮下注射の抗生物質と飲み薬を一日三回。鳩の幼鳥用の特殊な餌を水に溶かし、数時間おきにチューブを使って直接胃に入れる。犬猫と違って鳥の食道にチューブを挿入するのは簡単で、麻酔などなくても十秒もかからないので普通に餌をやるよりある意味ラクだ。

 後はただひたすら安静に、暖かなダンボール箱の中で休ませる。野生動物は人に触れられることがストレスとなって病状が悪化したりするので、触る回数を最小限に抑えるのだが、この子鳩くんは妙に私に懐いてしまい、箱に戻すといつまでもゴソゴソと落ち着かなかった。そしてタオルごと膝に抱いてやるとやっと落ち着いてクークーと眠る。しかし私だって仕事がある。いつまでも子鳩くんを膝に抱えて座っているわけにはいかない。試しに同僚や獣医学生に押し付けてみたが、匂いが違うのか、子鳩くんはすぐに目を覚まして騒ぎ出す。騒ぐことにエネルギーを消費して欲しくないので、忙しい時はダンボール箱に黒布をかけて机の下に置いた。それでもゴソゴソしていたが、鳩の子は大人しくて鳴き声を立てないだけマシだ。


 カンディダ症は中々良くならないが、悪くもなっていない。とりあえず餌をたらふく食べて、子鳩くんは満足気だ。このまま少し成長すれば自然と免疫力も上がり、完治する可能性もある。などと微かな期待を抱いたところで肺炎を併発。事態は一進一退というより一進二退だ。


 そんなある日、子鳩くんは痰を喉に詰まらせ、ジェイちゃんの手の中で白目を剥いてバタバタと数回羽ばたいた挙句、呼吸を止めてクタリと動かなくなった。

「あ、あ、あぁっ」と悲鳴を上げるジェイちゃんの手から子鳩くんを奪い、嘴をこじ開けて痰を取り、グローブを脱ぎ捨て親指と人差し指で小さな輪を作り、そしてそれを自分の口と子鳩の嘴の間に当てて息を吹き込んだ。Mouth-to-mouth ならぬ mouth-to-beak。二回息を吹き込んだところで子鳩はカッと目を見開き、ブワッと全身を毛羽立たせ、そして辺りを見渡すと何事もなかったように餌を要求した。

「不死鳥フィニックス……」

 ジェイちゃんが呆然と呟いた。そしてその日から、ジェイちゃんは子鳩をフィフィと呼んだ。

 ジェイちゃんはこの一件によって「イズミが獣医であることを初めて心底信じた」などとのたまいた。

「いっつもソファーでゴロゴロしてるだけだから、実は獣医とか嘘かと思ってた」失礼な奴だ。

「口中カビだらけの汚い鳥に人工呼吸するなんて信じられない。やっぱり獣医ってフツーじゃないんだね」

「ちゃんとグローブを取った綺麗な手で指一本分の隙間開けてたし、その後うがいしてたの見てたでしょ。そもそもカンディダ症は日和見感染だから、普通の健康体なら大丈夫なんだよ」

「それでも咄嗟にあんなことするとか絶対フツーじゃない」

「あのね、私が獣医学生だった時、世界的に有名な心臓外科の教授のところでロテーションしてたんだけど、待合室でいきなり心室細動から一気に心停止した老犬がいたんだよね。それでその場で即座に心臓マッサージとか始めたんだけど、その教授が気道確保のために気道チューブを挿入しようとしたら、吐いたモノで気道が詰まってたのよ。そうしたらその教授、一瞬の迷いもなく気道チューブから吐瀉物を自分の口で吸い出して床に吐き捨てながら気道チューブ挿入して、犬を蘇生させたんだよ。アレに比べたら、私なんかずっとマシだね」

「……どちらも似たようなもんだと思う」


 当たり前だが、どんなに手を尽くしても救えない命はある。しかし手を尽くすことが問題なのではなく、どこまで手を尽くすべきかが問題なのだ。

 手の施しようもないほど全身転移した骨肉腫で動くこともままならず、意識が朦朧とするほど強力な痛み止めなしでは食べることも眠ることも出来ない十五歳の老犬。毒物による腎不全で一日おきの人工透析または腎臓移植が必要な四歳の猫。前者の場合、いくら手を尽くしても苦しみを長引かせているだけで救いがないのでは、と思える。後者の場合は金銭的な余裕があるなら腎臓移植も辞さない。

 ならば感染症を起こしている野生の子鳩は? 誰かのペットでもなく、絶滅危惧種でもなく、どこにでもいる小さな鳩。かなりアグレッシブな治療なら僅かながらも助かる可能性がある。その数パーセントの可能性に賭けるべきか。でも何の為に?


 フィフィのダンボール箱を寝室に置き、常に呼吸をモニターして、夜も三時間毎に投薬した。しかし羽も生え揃ってきた二週間後、フィフィは肺炎が悪化し、呆気なく死んでしまった。


 ジェイちゃんと二人、樹の下にフィフィを埋葬しながら考える。

 結果的に私はフィフィの苦しみを無駄に数週間延ばした。あの日、私が屋根に登ってフィフィを助けなければ、彼は翌朝までには飢えと寒さで死んでいただろう。そうすれば、彼はその後数週間に渡ってヒトの手で弄くられずに済んだのだ。注射も不味い薬もチューブで無理矢理餌を食べさせられることもなかったのだ。私がもっと早くに彼に手を出していたらどうだっただろう? 雛と親の様子がおかしいのは薄々気付いていたのだから、親が帰って来なくなった日に、いや、初めの一羽が死んだ時点で手を出していれば、フィフィは助かったのだろうか。


 私はどこで、なにを間違えたのか。

 なにが正しいのか。

 何処まで、何を為すべきかの線引きは難しい。


 人はよく死にたい、と言う。生きて幸せになる可能性が僅かでも残っている時に、死にたい、と願う動物はいるのだろうか。


 答えのない問いを胸に、小さく冷たい子鳩の躰に土をかけた。

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