コッカドゥードゥルドゥー

 コッカドゥードゥルドゥーとはコケコッコーの英語バージョン。鶏の鳴き声だ。鶏の舌に果たしてDの発音が出来るのかやや疑問だが、しかし音が伸びたり詰まったりする部分などは似ていて面白いと思う。


 私が幼い頃、田舎の祖母の家には多くの鶏が飼われていた。不思議な事に、私は余り彼等と遊んだ記憶がない……と言うか、私が彼等に近付こうとすると、「アブナイッ」と叫んで祖父やトモユキ伯父、そして従兄弟達が総出で私を止めにかかるのだ。近付くことも出来ないほどアブナイモノが何故内庭で放し飼いされているのか。そもそも鶏達がトモユキ伯父を敵認定しているのは、彼が卵を盗むからではないのか。

 トモユキ伯父はよく産みたての生卵にストローで小さな穴を開け、そこへ醤油を垂らしてストローで吸っていた。

「精がつくでイズミも食え」などと言って私にも勧めてきたが、イマイチ美味しいとは思えなかった。それよりも自家製の生卵なんて、今から思えばサルモネラ菌が危ないじゃん! 百八十を超える長身でガタイが良く、殺しても死ななそうな野生児トモユキ君ならまだしも、五〜六歳の幼女にそんなモノを勧めるな。精がつく前に腹イタで死ぬわ。


 家の裏の田んぼを流れる水路には、時々ドジョウが数匹の群れで泳いでいた。私はドジョウを捕まえたくて仕方無かったのだが、彼等は意外に素早く、掴んだと思ってもヌルヌルしていてあっという間に手から逃げていく。ザルで掬えば良いのだが、残念ながら幼稚園児にそんな知恵は無かった。

 そんなある日のこと、私は偶然にも死んだドジョウが水路を流れてくるのを発見した。喜び勇んでドジョウをバケツに入れて、台所に駆け込み祖母に見せる。驚いた祖母は、「まぁ! そんなもんよう捕まえてきよ」と言いつつ水槽を用意しかけ、ドジョウがすでに死んでいることに気付くと、「まぁ! そんなもん、はよう鶏にあげてき」と言った。

 イキモノは好きだが基本的に死体には興味が無い私は、ドジョウを指先でつまんでいそいそと内庭へ行った。コッコッコッなどと呟きつつ脚で土をほじくり返し、ミミズや種などを啄ばんでいる七〜八羽の鶏達は、私が近付いても知らん顔している。さて、このドジョウをどうやってニワトリくん達にあげれば良いのだろう。手の平に置いたら、手から食べてくれるだろうか……などと迷っているうちに、指が滑ってドジョウを足元に落としてしまった。

 慌ててドジョウを拾い上げようとすると、ハッとした顔で振り向いた一羽のニワトリくんが、素早く私の足元に駆け寄ってきた。彼がドジョウを嘴で突き始めるのを見て、他の鶏達が一斉に駆け寄ってくる。平家部分の屋根の上にいた鶏も、ケーッと叫びながら飛び降りてきた。

 たかが十センチ程のドジョウを奪い合い、大騒ぎで凄まじい闘いを繰り広げるニワトリくん達。ドジョウは一瞬にしてボロボロに引き裂かれ、その存在は此の世から跡形も無く消えた。実に危ないところだった。手の平から食べさせたりしていたら、私の指も消滅していたかもしれない。


 日本昔話などで、おじいさんとおばあさんの家の庭先で餌を啄ばむ鶏の絵は長閑さの象徴のようだが、しかし彼等はそんなナマヤサシイ生き物ではない。闘鶏などと言うだけあって、ただの白い鶏でも中々凄まじい闘志を秘めていたりするので侮れない。

 私の実家は神奈川の普通の住宅地だが、私が子供の頃、近所にヒヨコから育てた鶏を飼っているお宅があった。元々は雄雌二羽のカップルで、二羽とも大人しい普通の鶏だったらしい。しかしある日、雌が野良猫に襲われて死んでしまった。そして数日後、その猫が残った雄を狙って再び庭に来た。家人がニワトリくんを守ろうとするより先に、ニワトリくんは怒りの雄叫びをあげて猫に襲いかかったそうな。

 鶏の嘴や爪は結構鋭いし、蹴りの威力もかなりのものだ。本気で襲われたら人間でも腕の皮くらい簡単に引き裂かれる。思わぬ反撃を受けた猫くんは這々の体で逃げ出し、その後二度とニワトリくんを襲いに現れるようなことはなかった。

 これに気を良くしたニワトリくん。彼は胸を膨らませて庭を徘徊し、門灯に登って肩を怒らせて辺りを睥睨するようになった。そしてそこを猫が通り掛かったりすると、凄まじい雄叫びと共に問答無用で襲いかかってくる。一度、のんびりとお散歩していた我が家のミルクくんが襲われかけているのを目撃したことがあるが、ミルクくんは自分に向かって雄叫びを上げるニワトリくんの姿を見た途端に尻尾を膨らませ、恐怖に顔を引きつらせながら一目散に我が家まで逃げ帰っていた。ミルクくんだけでなく、近所の猫達は皆戦々恐々として、なるべくニワトリくんのテリトリーを犯さないように気を遣っているようだった。

 

 私が小学一年生くらいの時、近所のお祭りで「ヒヨコ小屋」なるモノがあった。精々十畳程の金網の中にひしめくヒヨコ達。そしてヒヨコが触りたい子供達がケージの中でおしくらまんじゅうするという、中々壮絶な催し物だ。ピーピーと鳴き叫びながら逃げ惑うヒヨコ達とそれを追う子供達。今から思い出しても凄まじい阿鼻叫喚地獄だった。あの騒ぎの中、子供に踏み潰されたヒヨコも多かったのではないだろうか。

 そんな中、私はケージに入ると一番隅っこに行ってちょこんとしゃがんだ。そこには数羽のオトナの鶏達がたむろしていて、そんな可愛くないモノに興味の無い他の子供達は近寄ってこない……ただ単に大きな鶏が怖かっただけかも知れないが。しばらくすると、子供の魔手を逃れたヒヨコが一羽、しゃがんでいる私の足元へヨロヨロと駆け寄ってきた。素早くヒヨコをすくい取り、背中を丸めて腹の奥に隠す。ヒヨコはしばらくごそごそしていたが、暗くて暖かな膝の奥ですぐに落ち着いて動かなくなった。そして数分後、足元に駆け寄ってきた次のヒヨコをすくい取り、腹に隠す。それを繰り返し、腹の中に五〜六羽、しゃがんだスカートの下にも数羽、少し元気な子は腕や手の平に乗せた。周囲の阿鼻叫喚騒ぎをよそに、のんびりと平和を楽しむ私とヒヨコ達。

 と、ヒヨコを追い回していた少し年上の男の子が、「あっ」と叫んで私を指差した。「こいつズルイ! ひとりで二匹……三匹もヒヨコ持ってる!」

 ズルイと言われても困る。私はお前達のようにヒヨコを追い回したりはしていない。ただジッと座っているだけだ。私が丸めていた背中を少し起こすと、彼は私の膝の上で眠っているヒヨコ達の群れにギョッと目を瞠った。

「……なんで逃げないの?」と聞かれたが上手く説明できない。私からすれば、なんで他の子がヒヨコを捕まえられないのかが分からなかった。しかしその子が余りにも羨ましそうにヒヨコを見つめているので、私は無言で手に乗せていた一羽を彼に差し出した。

「……くれるの?」

 うん、あげるよ。別に私のヒヨコじゃないけど。

 男の子はとても嬉しげにヒヨコを受け取った。しかし持ち手が変わった事に気付いたヒヨコはハッとした顔で辺りを見回すと、驚いたように羽ばたいた。私が何か言う前に、慌てた男の子は両手でギュッとヒヨコを押さえつけた。あぁ、ダメだよ。逃げようとする小動物は押さえつけるんじゃなくて、しゃがんだ膝の上のような、逃げられないけど少し動き回れるスペースに入れて落ち着かせてあげなくっちゃ……。

 必死の形相で男の子から逃れたヒヨコが私のスカートの中に隠れるのを見て、彼は何やら酷く傷付いた顔をした。何だか可哀相になって、私の腕に座って和んでいたヒヨコを再び差し出したが、男の子は少し迷ってから、「やっぱりいい……」と呟き、名残惜しげにヒヨコ達を振り返りつつケージから出て行った。

 なんだ、私より年上の癖に諦めの早いヤツだな、とその時は思ったが(と言うか今も思っているが)、しかし彼がその後の人生で、「自分は動物に好かれないオトコなんだ」みたいな変なトラウマに悩まなかったことを願っている。


 膝に抱いたヒヨコ達全てとは言わないが、せめて一羽くらい家に連れて帰りたかった。しかしそんな事を我が母が許す訳がない。

「そんなモノ、すぐに大きくなっちゃうし、雄だから卵も産まないし、ダメダメッ」

 自分は子供の頃に河原に捨てられていた雄のヤギを拾って飼っていた癖に、子供心のわからないヤツだ。仏間にポロポロと糞を落とし、生えかけの角で人に頭突きを喰らわせるようなヤギなんかに比べれば、人畜無害とは言わないが、鶏の方が余程マシではないか。


 お祭りで貰われていったヒヨコ達(100%に限りなく近い可能性で全て雄)はその後どうなるのか。先にも述べたように鶏は一歩間違えばかなり闘争的だし、刻を告げる声も騒がしい。田舎ならまだしも、都会では持て余す人も多いのではないだろうか。そして可愛いヒヨコ時代からペットとして育てた鶏を潰して食べるような剛胆な都会人は滅多にいないような気がする。

 飼えないけど自らの手で殺すのもイヤ。かと言って、代わりに飼ってくれる人を見つけるのも面倒臭い。こうなったら無責任な人間に残された安易な手は唯ひとつ。姥捨山だ。


 私の実家は山の上のわりと閑静な住宅地にある。御近所さんは皆知り合い、みたいなのんびりとしたところだ。そんな住宅地の端にある公園に、ある日三羽の鶏が出没するようになったと母が電話で語った。

「アレって絶対に誰かが捨てていったのよ。三羽とも雄だけど、いつも仲良くくっついてるのよ。朝の散歩に行くと、三羽で並んでこっちを見てるの」

 成長しきった三羽の雄鶏を襲う猫もいなかったが、しかし公園などでは餌に不足する。可哀相に思った一人のおばさんが、朝の散歩のついでに彼等にパンの耳をやるようになった。鶏に餌をやり始めて数週間後、ある日三羽は家に帰るおばさんの後をトコトコとついて来た。

「あら、ついて来てももうパンはないわよ?」

 おばさんの家は公園からかなり離れている。しかし三羽は家の前までついて来て、おばさんが家に入ったのを見届けると、しばらく考えてから回れ右して来た道をトコトコと帰っていったそうだ。


 そして翌日。しょぼしょぼと小雨が降っていたので、おばさんはその日は散歩に出ないことにした。しかし朝の六時過ぎ、いきなりコケコッコーと凄い声が響いた。驚いて外に出ると、三羽の鶏が玄関に並んでおばさんを見上げている。

「まぁまぁ、ご飯を貰いに来たの?!」

 慌てて餌をやるおばさん。ニワトリくん達が家に居着いたりしたらどうしようかと心配したらしいが、餌を食べ終わった三羽はのんびりと元来た道を戻って行った。しかし翌日からニワトリくん達はおばさんの家へ日参するようになった。しかも来る時間が段々と早くなってくる。六時が五時半に、やがて五時、そして四時半……。鶏は早起きなのだ。ニワトリくん達が騒いで朝っぱらから近所迷惑になってはいけないと、ヒヤヒヤしつつ餌を用意するおばさん。御近所の皆さんは無論気がついていたが、「あらあら、賢いわねぇ」と公園とおばさんの家を行ったり来たりするニワトリくん達の姿を微笑ましく眺めていた。

 そんなある日のこと。おばさんが夜明け前に玄関に出ると、ニワトリくんが二羽しかいない。

「あら、一羽いないじゃないの。もう一羽はどこにいっちゃったの?」とおばさんが尋ねると、二羽は顔を見合わせ、まだ餌を貰っていないのに、元来た道をトコトコと戻って行った。そして数分後、おばさんが玄関で待っていると、今度はちゃんと三羽でトコトコとやって来た。どうやら道草を食って迷子になっていた一羽を探しにいったらしい。

 賢い野良ニワトリ達は密かに住宅地のアイドルと化し、我が父など「面白いから僕も餌をやろうかな」などと言い出し母に叱られていたが、冬が来る前に姿が見えなくなった。病気か、猫にやられたか、誰かが保健所に連絡したのか。捨てられた動物達が自力で生きてゆくのは難しい。


 ♢ ♢ ♢


 ちなみに祖母の家で冷蔵庫の中の卵をいそいそと取り出して、自分の腹で温めていたのは私です。

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