声フェチ
突然だが、私は声フェチだ。
時々いるでしょう、姿形からは想像出来ないほど声の低いヒト。それが艶やかなバリトンだったりすると、そのヒトに対する好感度は少なく見積もっても二百倍くらい跳ね上がる。我が母も同じ事を言っているので、どうやらこれは遺伝子レベルの現象らしい。反対に、映画などでもガッチリと筋肉質なイケメンが妙に甲高い声だったりすると、「こいつ吹き替え使えばいいのに……」などと気になってストーリーに集中出来ない。
そんな私に友人が、篠○愛ちゃんというグラドルが歌っているビデオを見せてくれた。オンナの御多分に洩れず、背が高くほっそりと筋肉質で中性的なモデル系女性を好む私にとって、篠○愛ちゃんは全く好みではなかった。しかし彼女はそのルックスからは想像し難い、かなり低めの綺麗な声だった。歌も上手かった。一発でめろめろになる私。
「ねーねー、この子超絶可愛いと思わないっ?!」と妻子持ちのSさんに無理矢理同意を求める。
「いや、イマイチ俺の趣味では……」
「そんなキョドりながらあからさまな嘘つかなくていいから。ちょっと彼女が『異邦人』を歌ってるビデオとか見よーよ。あの声で好感度千倍だから! 顔もなんか小動物系で凄く可愛いと思うんだよね! 」
仕事の合間にSさんの洗脳に精を出す私。一応断っておくが、私にはそっち系の趣味は無い。しかし可愛いものは可愛いのだ。小動物系が嫌いなヒトなんて、ヒトじゃないのだ。Sさん、嘘つきはドロボーの始まりだよ!
私は一体何の話をしようと思っていたのだろう。あぁ、声の話か。
ヒトの声の良し悪しは実際に聞いてみるまで分からない。喉仏の大きさなどからある程度推察出来るが、いくら低くても酒で潰れたおっさんのダミ声なんぞは趣味ではない。しかし此の世には百発百中の高確率で私好みの美声を持つ生き物がいる。
大型犬だ。
地を這うような唸り声も、切ない遠吠えも、激しく吠えまくっている時ですら、大型犬のバリトンは耳に優しい。小型犬のけたたましいキャンキャン声には殺意が湧くが、大型犬の唸り声には思わず頬が緩み、よしよしと褒めてやりたくなる。
我が家での評価はあらゆる面において『エンジュ>>>吹雪』だが、声に関してだけは圧倒的に『エンジュ<<<<<吹雪』なのだ。
仔犬の頃から十一匹兄弟の中で一番背が高く、最終的には肩までの高さが84センチ(普通は55〜60センチ)というシェパードとしてはあり得ない大きさに膨れ上がった吹雪くんは、首も太く、物凄く低くて痺れるような良い声だ。
当然だが我が家の犬共に無駄吠えという悪癖はない。では吹雪の哀切漂う遠吠えが聴きたくなったらどうするか。私のPCにはyoutubeのパトカーのサイレンがブックマークされている。音量を最大にしてビデオをオン!
慌てて背筋を伸ばしてきちんと正座し、サイレンに合わせてウヲォォォ〜と遠吠えする吹雪。その姿を携帯のビデオで撮影し、夜勤中などに癒しを求めて聴く私。私がイヤホンをつけてうっとりしていたら、聴いているのはショパンでもモーツァルトでもなく、愛犬の遠吠えだ。
吹雪くんはウルフトークも得意だ。ウルフトークとは、犬や狼が唸るわけでも吠えるわけでもなく、「ヲウヲウヲウヲウ」と喋る事をいう。吹雪は仔犬の頃から朝に私が「おはよう」と話しかけてやると、「ヲウヲウヲウ」と低い声で答える。朝っぱらから超絶萌える私。あんまり可愛いから、「トーク」というコマンドを教えた。
私にトークと言われると、吹雪はしばらく考え、そして「ヲウヲウヲウううう」と喋る。御飯前やトイレに行きたい時などだと懸命にヲウヲウ言うが、しかし特に話題が無い時は本当に困った顔で何を言うべきか考えあぐねていて、それがまた笑える。一生懸命考えた挙句、「ヲウ」と一言呟く吹雪くん。
「だめだめ、もっと長い文章喋って」
「……ヲウヲ」
「もっと」
「…………」
ふうーっと困り顔で溜息をつく吹雪くん。
あまりしつこくやっていると、突如「ヲウヲウヲウウワワワワワ」と長い文章を喋り出す。
「もう勘弁して下さいよ。マジで話したいコトとかないっスから」
吹雪にトーク・コマンドを教えようとしていた時、そばで見ていたエンジュは素早くそれを理解し、私が「トーク!」と言った途端に吹雪の代わりに「ウキャキャキャキャキャ」とお喋りしてくれた。しかし彼女はコヨーテ独特の鼓膜が破けそうな鋭い声なのだ。決して甲高いわけではないのだが、とにかくやけに響く声で耳が痛い。
「エンジュうるさいっ」と私に怒鳴られた彼女は、何やらムッとした表情で吹雪を睨んだ。
「この血の巡りの悪い馬鹿の為にワタシが代わってやったのに、なんで怒られなくちゃいかんのだ」
そして私が再び吹雪に「トーク」と言うと、う〜んと懸命に考えている吹雪の耳にガッと噛みついた。
「サッサとしやがれこのウスノロがっ」
吹雪くんの犬生には色々と理不尽なことが多い。
一昨年の秋、二年振りに日本へ帰った時のこと。エンジュと吹雪は心優しいSさんが我が家に住み込みで世話をしてくれていた。数日後、「ちょっと凄いことがあって!」と興奮気味のメールがSさんから入っていた。
「吹雪がね、『おはようようようよう……』って朝挨拶してくれるんだけど!」
その夜、Sさんが日本で所属している研究室に遊びに行き、教授連に「Sはどうしている?」と聞かれた。
「ああ、今日丁度Sさんからメールがあって」
「あいつは元気にやってるか?」
「はい、なんか私の犬が喋るってコーフン気味のメールが入ってましたよ。でもビデオに撮ろうとしても上手くいかないって悶えてました」
あいつは一体何しにアメリカに行ってんだぁ?! と教授達が喚くのを尻目に、私は高級ワインと美味しい寿司を楽しみましたとさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます