神様の御使い達

 我が近所では、只今鹿のベイビーラッシュ。乗馬中、草原を横切る細いアンヨのバンビ達に目を奪われる。一見ひのひのと頼りなげだが、さすが草食動物。産まれて数日しか経ってないようなチビでも、実に軽やかに草原を走っている。というか、観察していると、何やら意味もなくはしゃいでいるようだ。何がそんなに楽しいのやら、ぴょんぴょんぴょんぴょんと、食事中のお母さんの周りを跳びはねている。無駄なエネルギーの消費。我が親戚のチビズに通じるものがある。


 一昨年の秋、三人の友人(キラちゃん・キース君・ジェイちゃん)と奈良の親戚宅にお邪魔させて頂いた。奈良に行く度に思うのだが、奈良の鹿ってスゴイですねぇ。何が凄いって、食べ物を売っている店の中に侵入してこないのが凄いと思う。そしてあんな一杯いるのに、皆とても大人しい。

 しかしやはり其処彼処に鹿の攻撃方法を記した看板がある。

「『噛む・叩く・突く・突進』だって。突きと突進ってどう違うの?」

 あははは、とのん気に笑いながら看板の写真を撮るキース君。この後彼は身を持って突きと突進の違いを知る。


 気持ちの良い早朝、ヤスシおじちゃんに連れられて、自転車で奈良町巡りに出た。ひと気の無い奈良公園で早速鹿煎餅を購入。

「奈良の鹿はお辞儀するんやで」とヤスシおじちゃん。神様の御使いってだけあって、行儀が良いのだろうか。それって気のせいじゃないの?と内心密かに思ったことは否めない。鹿煎餅も安くはないからね。お辞儀してくれてるとでも思わなければ、やり切れないヒトもいるのだろう。

 煎餅を買ったニンゲンを見て、早速わらわらと集まってきた鹿くん達に割った煎餅を順番に分け与える。お辞儀するかどうかはよく分からんが、しかし皆お行儀良く並んで待っている。感心感心。


 しかしのんびりと鹿くん達との邂逅を楽しむ私の背後ではアメリカ人対鹿くんの紛争が勃発していた。

 とろとろしているジェイちゃんに苛ついた鹿くんが我先にと顔を突き出す。煎餅を奪われまいと手を頭上に上げるジェイちゃん。鹿が怒ってジェイちゃんの脇腹に頭突きを喰らわす。ジェイちゃん敢え無くギブアップ。逃げようとしても追ってくる鹿に怯え、煎餅を辺りに撒き散らす。撒き餌を貪る鹿くん達。その隙に逃げるジェイちゃん。


 キラちゃんのところにはデカイ雄ジカがやって来た。可愛い子鹿ちゃんに餌をやりたいキラちゃん。しかし子鹿に差し出した煎餅はことごとく雄ジカに奪われる。そのうちに一頭の鹿がキラちゃんの袖を噛んで引っ張った。慌てて袖を捲り上げるキラちゃん。しかしなぜか数頭の鹿が一斉に上着を噛んで引っ張り出す。煎餅が無くなる頃にはキラちゃんの服は鹿の涎でべとべとになっていた。


 しかし一番散々な目に遭ったのはキース君だろう。

 わらわらと集まってきた鹿に煎餅を奪われまいと腕を上げたキース君。ジェイちゃんと同じく脇腹に頭突きを喰らい、ウッと呻きつつも煎餅を離さない。怒った鹿が立ち上がって前脚でキース君を叩こうとする。素晴らしい反射神経で横っ跳びに攻撃を避けるキース君。しかし他の鹿に背後から尻に突進され盛大な悲鳴を上げる。痔の危険を冒し、それでも煎餅を手放さない。彼は一体何と戦おうとしていたのか。


 そんな彼等を尻目に、日向ぼっこ中の鹿ちゃんと和む私。煎餅ナシでも逃げようとはせず、耳を揉み揉みされてホゲホゲする鹿ちゃん。可愛いねぇ。

 それにしてもこの態度の違いは何処からくるのか。私は別に鹿くん達を脅したりはしていない。何もしていないが、皆私の前ではお行儀よく並んで待っている。間違っても尻に頭突きを喰らわしたりしない。わはは、いーだろー、とジェイちゃんに自慢する私。


 話が逸れるが、ヤスシおじちゃんはサイクリングが趣味だ。一日数百キロみたいな距離を走り回っている。奥さん曰く、別に止まって景色を観るわけでもなく、本当にただひたすら走り回っているらしい。

 そのヤスシおじちゃんが、私とジェイちゃんを奈良の明日香村へ連れて行ってくれた。自転車をレンタルして古墳などの見物をして、最後に「ここにちょっとした山みたいなもんがあって、その上にお寺があって見晴らしがいいんやけど、イズミちゃんとジェイちゃん大丈夫か?」と言ってきた。

 連日の乗馬、月二百キロのランニング、ジムのマシーンで鍛えていた私。

「そんなのちょろいちょろい、全然平気だよ〜」などと気軽に答える。如何に外見年齢が四十前半でも、実年齢五十プラスのおっちゃんに出来る事が私に出来ないわけない、と思ったのだ。

 しかし甘かった。乗馬の筋肉とランニングの筋肉は違う。自転車に使う筋肉も然り。

 標高八百メートルとはいえ、ここは日光のいろは坂か?!と言いたくなるような山道をギアのないボロ自転車で登るとか、一体どんな罰ゲームや?!

 十月の奈良は小雨が降っていたが私はタンクトップ一枚になり、それでも半分も行かないうちに汗ダクダク。だってギアないんやで?! 頑張って漕げば漕ぐほどペダルがスカスカするんやで?!

 私にM系の趣味はない。諦めた私は自転車を降り、それを押して歩く気力も残っていなかったので、ジェイちゃんにその無駄な鉄の塊を押し付けた。自転車二台を押してゼエゼエ言いながら山を登るジェイちゃん。

「ジェイちゃん優しいなぁ、オトコを上げたなぁ」とヤスシおじちゃんが感心する。

「オトコを上げる機会をくれたヤスシさんに感謝……」と力無く呟くジェイちゃん。因みにヤスシおじちゃんは一番上まで一気に上がり、中々来ない私達を探して下りてきて、バテバテの若人共の周りを悠々と周回した後、再び上まで凄いスピードで上がっていった。完敗だ。


    ✿ ✿ ✿


 今朝、乗馬後にマイダスの背中から鞍を下ろしていた時のこと。

 ふと気がつくと、マイダスが何やら甘えた顔で鼻面を軽く上げ下げしている。怒って激しく頭を振りまわす時とは全く違い、それと見なければ分からない程の、ほんの数センチの振り。

「あー、はいはい、ごめんごめん」と言ってポケットから馬用クッキー(ミント味)を出す私。鞍を下ろす時に一個あげるようにしているのだが、時々忘れるのだ。待ってましたとばかりに鼻を鳴らしてクッキーを食べるマイダス。そんなマイダス君の姿に不意にハッと閃いた。

 この『馬の鼻面数センチ上げ下げ=おねだり』って、奈良の鹿くん達の『御辞儀』に通じるモノがあるのでは……?!

『ありがとーありがとー』というよりは『よこせーよこせー』だが、まぁ大した違いはない。神様の御使い達と奈良の人々の意思疎通、侮れないモノがある。

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