毛剃りの季節

 冬。今年もまた、馬達の毛剃りの季節がやって来た。


 昨年の犠牲者はマイダスだった。

「マイマ〜イ♡」

 ふかふかのマイダスの背中の冬毛に顔を埋め、手を横腹に回す。剃られた腹の毛は柔らかいベルベットのような素敵な手触り。毛並みに逆らって撫でればジョリジョリして、それがまたなんとも言えず快感だ。ツルツル、ジョリジョリ。ツルツル、ジョリジョリ。しつこく腹を撫で回す私をマイダスが憤怒の表情で睨みつける。

「いいじゃん、いいじゃん。減るもんじゃあるまいし、ちょっと触らせてよ」


 馬は運動したり興奮したりすると大量の汗をかく。のんびりと歩く程度なら汗はかかないが、馬術や障害でガッツリ乗ると、一時間もしないうちに全身ビッショリ、水浴びしたのかと思う程の汗をかき、それが乾けば真っ白に塩を吹いて毛がパリパリになる。しかし夏場は毎日全身を水洗いしているので身体が痒くなることもない。問題は冬だ。

 多くの馬は冬になると冬毛が伸びてモフモフになる。(ちなみに脳下垂体に腫瘍が出来ると夏でもモフモフになる。)暖かくて良さそうだが、これが結構曲者なのだ。じっとしている分には良いが、もふもふ化した馬達は少しの運動でも汗をかく。しかし寒い冬の日に水洗いする訳にもいかない。更に長い毛は汗が乾きにくく、運動後に身体が冷えて風邪を引く。これを防ぐため、カリフォルニアのような中途半端な気候の土地では、冬に馬の一部又は全身の毛を剃るのだ。よく知らないが、恐らく北海道のような滅茶苦茶寒いところでは、あまり毛を剃ったりはしないのではないだろうか。ちなみに毛を剃ると如何にカリフォルニアでも夜は流石に寒いので、馬用の防寒コートを着せている。マイダス君のコートは私の趣味で綺麗なベイビーブルーだ。


 金色の毛に銀のタテガミと尻尾を持つマイダス君の剃られた横腹は白く、それがレーシング・カーのストライプの様でとてもカッコ良かった。昨年写真を撮らなかったのが非常に残念だ。

 八月に全治六ヶ月の怪我を負ったマイダス君は只今療養中。運動しなければ汗をかくこともないので、今年の冬は(残念ながら)毛を剃る必要はない。だから今年の私の犠牲者はブルックリンだ。


 ブルックリンはアンティーク・オークの家具のような艶やかな赤味を帯びた鹿毛。馬によって冬毛の長さはまちまちだが、ベルギー産のブルックリンはかなりモコモコになる。しかし見苦しいほどではなく、色合いと言い手触りと言い、ふかふかの熊さんくらい。

「マイ・テディベアちゃんモフモフ〜♡」などと言いつつ冬毛のブルックリンに抱きつく私。一月程前、私に強烈な蹴りを喰らわせ全治三週間の青痣を負わせた彼女は、性格的にはテディベアというよりヒグマなのだが、私に抱きつかれてもコメカミをピクピクと引きつらすだけで一応大人しく我慢している。

 ツルツル、ジョリジョリ。ツルツル、ジョリジョリ。あぁ、この素晴らしい手触り。人生に疲れた心が癒される。

 我慢仕切れなくなったブルックリンが首を伸ばし、ガチガチと前歯を噛み鳴らす。しかし私に向かってやったら怒られるので、誰もいない前方を向き、仮想の敵に噛み付いて憂さ晴らししている。


 毛剃りされた動物の手触りを楽しむのは私だけではない。

 犬の超音波検診、と聞くと、ジェイちゃんは目を輝かせる。奴の狙いは超音波検診の為に剃られた吹雪やエンジュの腹だ。病院から帰ってきた吹雪を捕まえ、床にごろりと並んで寝そべり、吹雪の腹を撫で回すジェイちゃん。放っておくと、ぐふふふふ、と変な笑い声を立てながら吹雪の腹に頬を擦り寄せていたりする。

「……遊んでもらっているのとは何かがチガウ……」とでも思うのか、妙に緊張したような困り顔の吹雪くん。しかし彼は非常に大人しく従順なので、多少の事はじっと我慢する。これがエンジュだとそうはいかない。

 エンジュは仔犬の頃から人間に腹をみせるのが大嫌いだ。腹が痒かったりして、自分が撫でて欲しい時だけは「撫でろ!」とばかりに露出するが、それ以外の時は決して仰向けになったりしない。私ですら彼女を無理矢理仰向けにすることは出来ない。超音波検診の時など、死に物狂いで抵抗するので両前脚・後脚を四人がかりで抑えつける必要がある。


 腹を剃られたエンジュにそっとにじり寄るジェイちゃん。その下心満々の怪しげな笑みを見た途端、エンジュはサッと立ち上がってジェイちゃんの手の届かないところへ移動。

「エンちゃ〜ん♡」などの猫なで声に騙されるような彼女ではない。しかしベッドで寝ていたところを不意打ちでジェイちゃんに羽交い締めされそうになり、思いっ切り頭突きを喰らわせていた。

「エンちゃん! エンちゃんの超音波検診代は僕が半分払ったんだから、僕にはそのポヨポヨの腹を撫でる権利がある!」

 顎を抑えて呻きつつ、訳の分からん事を口走るジェイちゃん。

 ンナコト知るか、気安く触るなバッキャローとばかりにエンジュが鼻を鳴らす。(彼女は気に食わない事があると、本当にフンッと鼻を鳴らすのだ。)それでも諦めないジェイちゃん。変なところで妙にしつこい。

 かくして毛剃りされた動物達とニンゲンの攻防は続く。



 ちなみにジェイちゃんはエンジュの頭突きで頬骨の血管が切れ、ボクサーに殴られたような凄まじい青痣になった事がある。職場で「一体それはどうしたんだ?!」と聞かれ、「DV」などと奴が答えたため、あらぬ疑いが私に懸けられた。何故か誰も「まさか!」とは言わず、口にしないまでも「やっぱり……」という表情で一斉に私を振り返った。実に失礼な話だ。

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