砂ネズミに九生有り

 猫に九生有り。この云われは猫のしぶとさや危険を逃れる素早い身のこなしからだとか、猫は執念深くて殺しても何度も生き返るからだとか様々な説がある。しかし先日こんな話をネットで読んだ。


 お腹をすかせた猫くんがとある家にこっそり忍び込んだところ、テーブルの上に九尾の魚発見。それは貧乏な九人の子供たちの夕飯だったのだが、自己チューな猫くんは九尾全ての魚を平らげてしまった。

 いや〜、満腹満腹。腹をさすりつつ満足気に家を去る猫くん。しかし残された子供たちは餓死。

「ちょいっとばかし後ろめたいが、まぁ過ぎた事はどうでもいいさぁ」 と悪ぶる猫くん。翌日食べ過ぎで腹を壊して死亡。

 天国の入口に到着した猫くん。しかし激怒した神様に空の上から蹴り落とされる。猫くんは九日間かかって地上まで落ち、そしてお腹の中に九人の子供たちの命があるため、様々な方法で九回死なないと本当には死ねないそうな。


 なんか色んな意味で実に遣る瀬無い話ですなぁ。


 猫くんが九つの命を腹に蓄えているなら、我が砂ネズミのチュチュくんは如何なものであろう。あの食い意地と腹の張り具合から察するに十一個くらい溜め込んでいるかもしれない。そして穏やかなケージ生活のわりに、彼は着々と溜め込んだ命を使うのだ。


 一つ目の命はパイの実の箱に使った。

 彼の入手経路には色々と複雑な事情がある。彼は本当は生後僅か三週間でイラナイ子扱いされて殺されてしまうはずだった。しかし偶然私の目についた彼は、私が偶然手に持っていたパイの実の箱に入れられ我が家にやって来た。あの時、手頃な搬出手段が無ければ諦めていたかもしれない。パイの実様様だ。


 二つ目の命は吸血鬼に吸われた。

 チュチュのケージに敷き詰める木屑は滅菌されたモノをオーダーしておいたのに、ある日ジェイちゃんが私に内緒で安い木屑を買ってきた。ペットショップに売っているモノはどれでも同じだと思ったらしい。値段なんか数ドルしか違わないのに、変なところでセコイ奴だ。

 そしてケージにその安物を敷き詰め数日後。ふと見ると、暖炉の上のチュチュの様子がおかしかった。滑車の中に立ってユラユラと滑車を揺らしているが、走るわけでもなく、どことなく元気がない。暗くて遠くからではよく見えないが、やけに毛艶も悪い。数日前までは元気だったのに、どうした……? と思って近付いてじっとチュチュを見つめ、一瞬思考停止。そして次の瞬間ギャーーーーッと悲鳴を上げた。ケージの中及び暖炉の周りに幾千幾万の極小のハダニが……!


 たった数日で貧血になるほど血を吸われたチュチュくん。無論ジェイちゃんは私に怒鳴りつけられ、夜中にケージの滅菌及び家中の掃除を命ぜられた。チュチュくんは毎日薬で体を洗われ、後ろめたいジェイちゃんにおやつをタップリと与えられ、僅か十日程で前以上の体重を取り戻した。


 三つ目の命は癌に使った。

 膨らんだ腹の真ん中にデベソのように出来た体臭線の癌は、手術のみで完治。ありがたいことに一年以上経っても転移した様子は無い。(詳しくは『砂ネズミの海苔巻き』でどうぞ。)


 四つ目の命は綱なしバンジージャンプに使った。

 チュチュをケージから出して膝の上で遊ばせていた時のこと。

「シチューの鍋が沸騰しているよー」 とジェイちゃんが呼びに来た。

「オッケー、ちょっとチュチュ抱っこしてて」

 カボチャの種を食べていたチュチュをひょいっとジェイちゃんに渡した。

「ケージに戻してよ」 と文句を言うジェイちゃん。奴は実験等でネズミを扱い慣れている癖に、妙にチュチュのことを怖がるのだ。むむむ? と顔を上げるチュチュ。いきなりチュチュがぴょんっとジェイちゃんの手から飛んだ。しかし下は硬い床だ。

「あっ!」 と息を飲んだが、偶然ジェイちゃんの足元にぼんやりと突っ立っていた吹雪の頭に着地。突如頭上に降って湧いた砂ネズミに驚き、止める間も無くぶるりと頭を振る吹雪。チュチュが丸い弾丸となって宙を飛び、そして偶然着地したところにはエンジュのベッドがあった。

 実に危なかった。肥満体型のチュチュがあの勢いで壁か床に激突していたら、脳震盪・骨折・内臓破裂くらい起こしていただろう。チュチュも突然の飛行体験に驚いたらしく、しばらく呆然と辺りを見回していた。ケージに戻したら何事もなかったように、即カボチャにむしゃぶりついていましたが。


 そして今、チュチュが五つ目の命を使おうとしている。


「チュチュって何才になるんだっけ?」

「もうすぐ四才だよ」

「えっ? もうそんなになるっけ? ってか、ネズミの寿命って二年くらいだよね? つまりチュチュももうソロソロ……」

 ジェイちゃんの無神経な言葉にムッとする私。

「砂ネズミはラットやハツカネズミに比べてずっと長生きなんだよ! 三~四才は普通だし、個体によっては五年以上生きるんだから!」

「……でもそれってギネス的に稀なケースだよね?」 と獣医仲間に冷静に突っ込まれる。

「大丈夫! チュチュは元気だから七年くらいイケる! こんなヒトデナシ達の言うことを真に受けちゃいけないよ!」 とチュチュを励ます私。

 わかったからカボチャくれ! とおねだりするチュチュ。


 そんなある日。

 朝のおやつにリンゴの皮を持って行くと、チュチュの様子がおかしい。腹這いのまま、後脚を二本ともダラリと後ろ向きに伸ばしている。嫌な予感がした。犬猫でこのスタイルを見たら、答えはひとつ。

 チュチュの前方十センチにリンゴの皮を置く。チュチュが前足だけで体を引きずるようにしてリンゴに向かって突進する。後脚は全く動いていない。


 嫌な予感的中。脊髄卒中だ。


 慌ててケージから出して脊椎反射などのテストをする。上半身は問題ないが、下半身は殆ど麻痺していた。しかし食欲もあり、排泄も行えるようだし、幸い頭はしっかりしている。しばらく様子をみることにした。


 文献を調べてみたところ、高齢の砂ネズミの脊髄卒中は珍しくないらしい。おまけに何やら他の動物に比べて回復率が高いそうな。しかし古い文献のケーススタディしか見つからないので本当のところはよく分からん。私は脳神経外科専門を目指しているので(もちろん動物のね)、脳腫瘍や脊髄損傷のケースと関わることが多い。しかし流石にこんなに小さなネズミの脊髄卒中に出会うとは思わなかった。それも自分のペットの……。


 ヒトでも動物でも身体が麻痺すると鬱になる生き物は多いが、チュチュはそんな精神的デリケートさとは無縁だった。ふんふんと頑張って動かない下半身を引き摺って這いずり回り、元気に飲み食いする。下半身が麻痺していてもちゃんとグルーミングしている。実に逞しい。一体誰に似たのか。

 最初の三週間はケージの中で大人しくさせ、数日おきに反射テストをする。二週間を過ぎた辺りから、僅かながらも反射が戻ってきた。マジですか? 回復半端なく早いんですけど。

 三週間を過ぎた頃からケージから出して、関節が固まらないように後脚を曲げてマッサージしてやる。一ヶ月を過ぎると後脚がピクピクと動くようになり、そして僅か一ヶ月半で後脚を使ってヨロヨロと立ち上がった。初めのうちはバランスも悪く、時々ぽてっと倒れたりしていたが、やがて歩き始め、直ぐにトテトテッと短い距離なら走れるようになり、あれよあれよと言う間に滑車を回し始めた。無論元通りというわけにはいかないが、しかし驚異的な回復力だった。


「絶対あり得ない。信じられない」

 チュチュはもうダメだとのたまいていたジェイちゃんが、滑車をヨロヨロカタカタと走らせるチュチュの姿に目を見張る。

「チュチュってもしかして不死なんじゃ……」


 燃え上がる炎の中から幾度も蘇る不死鳥ならぬ不死鼠チュチュ。

 膨らんだ腹に溜め込んだのは脂肪でなくて命のスペア。不死鼠チュチュの伝説はまだ始まったばかりなのだ。


 四歳の誕生日を迎え、彼は今日もカボチャの種を求めてケージ越しに元気に仁王立ちしている。

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