鷹は舞い降りた

 早朝。

 ふと気がつくと、先程まで窓辺で賑やかに囀りながら餌をついばんでいた小鳥達が一羽もいない。読んでいた本を置いて窓に近付き、しんと静まり返った空を見上げる。不意にガリッと屋根を引っ掻くような音がして、すっと黒い影が窓の外を横切った。


 翼開長130〜140センチ前後、焦茶の翼、白と茶の胸、そして下から見上げると紅く透ける尾羽。ハシブトカラスよりひと周り大きいと言ったところか。精悍なイケメンは、バサリと一度だけ翼をはためかせると滑るように野原を横切り、五十メートルほど離れたユーカリの樹にとまった。

「鷹は舞い降りた」と言うと、ジェイちゃんが変な目で私を見た。

「それなんか違う気がする」

「じゃあレッドホーク・ダウン!」

「それも違う」


 私の頭の中では『鷲は舞い降りた』(『The Eagle Has Landed』)と『ブラックホーク・ダウン』(『Black Hawk Down』)が完全にごっちゃになっている。しかしヒトの戦争などどれも似たようなものであるように、鷲と鷹にたいした違いなどない。


 我が窓辺にしばしば舞い降りて来るのはイーグルではなくホーク。もう少し正確に言えば、赤尾ノスリ(Red-tailed hawk)だ。ワシ・タカ・ノスリとは同じタカ目タカ科で、まぁ大きいモノをワシ、小さめのモノをタカと適当に呼んでいるに過ぎず、明確な基準はない。


 窓辺に置いた餌場に集まる小鳥を狙い、我が家にしばしば出没するノスリ君。彼が現れると一瞬にして全ての小鳥達が姿を消す。皆バルコニーの隣の樹や茂みに隠れ、声ひとつ立てず、ノスリ君がいなくなるのをじっと息をひそめて待つ。

 反対に、ノスリ君の姿に騒ぎ立てる動物もいる。

 ユーカリの樹から飛び立ったノスリ君が空を旋回していると、ピーッ、ピーッ、と単調なリズムのやけに無機質な高音が辺りに響き始めた。これが何の音か知らないヒトは意外に多い。ジェイちゃんもその一人だった。

「なんか、サイレンみたいな変な音がする。大学で非常用アラームでも鳴らしてるのかなぁ?」

 バルコニーから外を見渡して首を傾げるジェイちゃん。

「あれ、地リスだよ」

「えっ?! まさか、この機械みたいな音だよ?」

「ノスリ君がいるから、警戒音発信中。ほら、あそこの石の上にいるじゃん」

 小鳥達の気配の消えた広い野原の真ん中の石の上に、ただ一匹すっくと立ち、頭上の鷹を睨みあげて鋭い警戒音を辺りに響かせる地リスくんの姿にジェイちゃんが目を剥いた。

「なにあれっ?! なんなの、あの本能に背いた自殺行為?! バカなの?!」

「バカとは失礼な。仲間に『タカの野郎がいるぞ〜、逃げろ〜』って教えてるんだよ。凛々しい自己犠牲の精神だねぇ」

「いやいや、自己犠牲とかいいから、まず自分が逃げようよ。仲間が生き延びても自分が死んで自己遺伝子残せないとか、生き物としてダメだって!」


 確かに一見すると愚かな自己犠牲にも見えるこの危険行為。

「頭に変な虫でも涌いてるんじゃないの?」(某友人説) などと言うヒトもいるくらい不思議な行為で、何故このような行動に走る動物がいるのか、生物学者達の間でも昔から様々な議論が交わされている。


「これは無私の行為だ! 己の危険をも省みぬ尊い自己犠牲の精神の存在を証明するものだ! 利己的遺伝子説では説明できない行為なのだ!」

「いやいや、違うって。こいつらって近親者でグループ作って生活してるからね、たとえ自分が鷹に食われても、自分の親兄弟姉妹子供が生き延びさえすれば、長い目では自分の遺伝子が生き残って繁栄するってことでしょ? 形は違えど利己的遺伝子説の一端だよ。その証拠に、近くに近親者がいない場合は、自分だけスタコラサッサと逃げちゃって、警戒音を発しないリスがいるよ」

「単に警戒音で鷹を脅かしてるんじゃないの? 目立つところに突っ立って大声で喚いている割には、警戒音発信中のリスが鷹に襲われる確率は低いからね」

「わざと大声で騒いで他の捕食者を呼び寄せて、そいつを鷹と喧嘩させて、その隙に逃げるって高度な戦法じゃないの?」


 どの説が本当かは分からぬが、しかし時によっては数十分に渡って鳴り響くこの警戒音。はっきり言ってウザイ。

「ちっこい地リスの一匹や二匹騒いだってたいしたことないでしょー」とか思っている貴方。超高音の目覚まし時計が耳元で数十分鳴り響くと想像して頂きたい。ジェイちゃんが大学の非常警報かと思う程の音なのだ。普通に半径数百メートル、見晴らしのいいところなら数キロ先まで届くのではないかと思う。週末の早朝なんかにコレをやられると、「あ〜、あのリスくん、鷹に獲られればいいのに〜」等の暗い想念が胸に湧く。


 私の通う乗馬クラブは広い農場の中にあるので地リスや鳥が多く、彼等を狙うノスリ君の姿をしばしば目にする。がっちりと筋肉隆々の肩、太い足、鋭く曲がった嘴に精悍な横顔。いつ見ても赤尾ノスリ君は凛々しくて素敵だ。距離にしてほんの四〜五メートル程のフェンスの上にとまっているので写真を撮ろうとするのだが、車を止めて窓を開けると、ジロリと私を睨みあっという間に飛び去ってしまう。


 ところが先日、道の真ん中に陣取り動かないノスリ君に会った。私が近付いても振り向かず、何やら足元を覆うように翼を半開きにして肩を怒らせ、首を低く構えている。ノスリ君の足元には首の無い鳩があった。そして数メートル離れたところでじっとそれを窺う二羽のカラス。どうやらノスリ君の獲物を狙っているらしい。

 鷹の獲物をくすねようとは太々しいが、しかし農場近辺に出没するカラス達は日本のハシブトガラス並みの大きさがある。広げた翼の長さは1メートル前後。ノスリ君の方がひと回り大きく、一対一の戦闘能力でもノスリ君の方が上とは言え、相手は複数。油断ならない。

 カラス達を威嚇すると、ノスリ君がガツガツと獲物を食べ始めた。途端にぴょんぴょんと近づいてくる図々しいカラス達。怒って翼を広げるノスリ君。それを面白がって眺める人間ワタシ

「ったく、どいつもこいつも、せっかくの朝飯が不味くなるだろうがッ」 とノスリ君の眼が怒りに燃える。そうこうしているうちに車やらヒトやらが来て、ノスリ君はとうとう獲物を諦め飛び去っていった。


 昨年の初夏のこと。

 ミャオミャオミャオ、と喉の潰れた猫のような鳴き声に頭上を見上げると、電柱に赤尾ノスリがへばりついていた。「へばりついていた」と言うのはそのノスリ、やけにバランス悪くへっぴり腰で電柱にとまり、背中を丸め、あろうことか翼を不器用に広げて、足元の電柱及びそこから延びる電線に掴まるようなおかしな格好なのだ。電線に足か翼が引っ掛ったか、それとも怪我でもしているのかと驚いてつくづく眺めたが、どうやらそういう訳でも無いらしい。

 ミャオミャオミャオ、とノスリが再び喚いた。と、一羽のノスリが隣の電柱に舞い降りた。新しく来た方は、鷹らしく胸を張った凛々しい姿勢で電柱にとまっている。間違っても翼でバランスを取るような無様な真似はしない。

 不恰好なノスリ君とカッコいいノスリ君を見比べて、ハハ〜ンとニヤつく私。

 二羽は同じくらいの大きさだが、不恰好な方はよくよく見れば、頭や首の周りの羽が何だかぼそぼそモコモコしている。決して汚いわけではないが、もう一羽のように艶やかではない。つまりこれ、シャープな方が親で、垢抜けない方が巣立ちしたばかりの雛なのだ。

 親が来て安心したのか、ミャオミャオと情けない声で泣き喚くのをやめた子ノスリ。しかし電柱から飛び立つ勇気はないらしい。そのまま小一時間電柱にへばりついていた。その隣でじっと辛抱強く我が子を見守る親。急かすわけでも、見捨てるわけでもなく、ただひたすらじーーーっと我が子が動くのを待つ。私だったら、「ちょっとここまで飛べたんだから大丈夫だって! お腹も空いたし、もう行くよ!」とか言って電柱から蹴り落とすであろう。


「こいつ、もしやここまで飛べたのは半分マグレで、実は本当に動けないんじゃ……」 と心配になった頃、ようやく子ノスリがへばりついていた電柱から体を起こした。そして決死の覚悟を窺わせる横顔でむむむ、と前方を睨み、エイヤッと電柱を蹴って飛び立った。

 バサバサバサバサ、と鷹にあるまじき姿で翼をバタつかせ、30メートル程離れた樹の枝に無事到着。一時間かけてたった30メートル、おまけに電柱よりも高度の下がった枝にとまったのが、彼の飛行技術の低さを物語るようでやや気になるが、しかし当の子ノスリ君は「どんなもんだい!」 と何やら得意気に首の毛を逆立て、辺りを睥睨している。

 やれやれ、といった表情で我が子の後を追う親ノスリ。巣立ってからも、自立して狩りが出来るようになるまでは親が面倒をみなくてはならない。


 オトナになればどんなに凛々しい生き物でも、子供時代はやっぱりちょっとアレなのね、とほのぼのとした朝でした。

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