ぐうたら蟻

 週末。

 ジェイちゃんが何やらゴソゴソと出掛ける準備をしている。

「どこ行くの?」

 私をチラリと見るだけで返事をしないジェイちゃん。内心ハハ〜ン、と思う私。

「ねぇ、どこ行くの?」

 読んでいた本を置いてじっとジェイちゃんを見つめる。

「……スーパーに食料品買いに行ってくる」

「それから?」

「……」

「ねぇ、それから?」

「……エンジュの餌とチュチュのウッドチップを買いに行く」

「私も行くっ」

 即座にソファーから飛び起きる私をジェイちゃんが忌々しげに見る。

「いいよ来なくて!」

「いっつも食料品とか買いに行く時来て欲しがるじゃん!」

 家から走り出そうとするジェイちゃんを逃がすまいと、奴の背中に背後霊のように張り付いてやる。私もペットショップに行きたいのだ。


 私にとってペットショップは秘境。

 ジェイちゃんにとっては魔境。


 日本のペットショップと違い、アメリカのペットショップでは仔犬や仔猫を売ったりはしない。少なくとも私はそんな所は見たことがない。しかしアメリカのペットショップはよく保健所の犬や猫を一日数時間置いておき、貰い手を探す。とてもいい事だと思う。そしてやはりペットショップだけあって、鳥、齧歯類、爬虫類、両生類、魚類などが豊富だ。日本でガラスケージに閉じ込められた血統書付きの犬猫、特に売れ残りかけている子を見ると気持ちが薄暗くなるが、魚とか蛇とかならデカくなればなるほど価値が上がって楽しいじゃん! 鳥とかチンチラとかハムスターとか、ペットショップ内で普通に繁殖してて最高じゃん! 私、シベリアンハムスター欲しいんだよね!


「言っとくけど今日は忙しいから、必要なモノ買ったらさっさと行くからね! ウロウログズグズして鳥とか見てる暇ないからね!」

 ハイハイ、と返事しつつ、ジェイちゃんが背を向けた隙に強力なアレルギーの薬を素早く飲む。コレ飲むと眠くなるんだけど、でも鳥と三十分以上遊ぼうと思うと絶対に必要だからね。

「ちょっと! どこ行くの?! 犬の餌はコッチだよ!」

 喚くジェイちゃんを無視してふんふんと鼻歌交じりに早速鳥のスペースの行く。

 むむっ、いつも私と遊んでいたオウムがいない! まさか病気で……と最悪の事態を想像して暗くなっていると、顔見知りのペットショップのお兄さんが、「あの子、一昨日買われていったんだよ〜」と教えてくれた。とりあえずほっとする。大型のインコやオウムは長生きだから、いいヒトに飼われ幸せになる事を心から願う。


 大きなケージの中のインコ達を眺める。ついつい習性で、病気っぽい子はいないか、毛並みの悪い子はいないか、尻が糞で汚れていないかなどとチェックしてしまう。病気っぽい子がいると物凄く気になる。連れて帰りたくなる。でも今日は大丈夫そうだ。


 ふと見ると、ジェイちゃんが私を探して店内をウロウロしている。インコのケージに近付いて来たので慌てて逃げる。今日はハムスターを見たかったのだ。それまではジェイちゃんに捕まってなるものか。


 ハムスターと言っても最近は大きいのから小さいのまで色々な種類がいる。ハムスターを飼っているのは子供が多いので、病気になって病院に来ると大変だ。

 小さな人間達に理解出来る様に易しい言葉で病気の説明をして、彼等の口から飛び出す思いもよらぬような質問に必死になって答える。しかしふんふんと真面目に頷く小さな人間共がこっちの言葉を本当に理解しているのかどうか、いつもどうもよく分からない。

 ハムスターのケージを眺めているとジェイちゃんが来た。

「シベリアンハムスター欲しい。白いヤツ」

「いないじゃん。みんな色付いてるじゃん」

「白いのは冬毛なんだよ。でもグレーでもいいや。ちっちゃいロシアンブルーみたいで可愛いじゃん」

 ジェイちゃんは私の猫図鑑のロシアンブルーが好きだ。

「全然違う」とすげ無いジェイちゃん。

「ほら、もう行くよっ」と言いながら私を捕まえようとするジェイちゃんの腕を素早くすり抜ける。こちとらいつもメチャクチャ素早い動物を相手にしているんだ、反射神経が鍛えられている。ジェイちゃん如きに捕まるわけがない。次のコーナーへいそいそと移動する。


「チンチラか……」

 チンチラはふわふわの大きめの齧歯類で、最近人気のペットだ。病院にもよく来るが、毛皮用として乱獲されるだけあって手触りもよく、すごく可愛いと思う。でも物凄く臆病で、暑さに弱く、室温を常に二十度以下に保たなければならない。寒がりの私にはハードルが高い生き物だ。


 ボールスネーク発見。

「コレ欲しい。コレ連れて帰ろう」

「いいよ」

 お、珍しい! こんなにアッサリ私の提案が通るとは、言ってみるものだ。

「チュチュをソイツの餌にするならね」

「……」

 嫌な奴だ。私に睨まれジェイちゃんが肩を竦める。

「だって仕方無いじゃん。蛇って生き餌しか食べないんでしょ? 僕はそんな残酷シーンは見たくない」

 自分だってステーキ食べるじゃないか。偽善者め。しかしハッと気がついた。

「それなら大丈夫! 蛇は別に生き餌じゃなくても、冷凍ピンキー(ハツカネズミの子供)でいいんだよ!」

「え? 本当に?」

「うん、だって視力が悪い蛇とかは温度を使ってモノを見るでしょ、だから冷凍ピンキーをコップのお湯で温めればいいんだよ。時間がない時はちょっと気を付けて電子レンジでチンしてもいいし」

「……却下。イズミのことだからどうせ冷凍庫のアイスメーカーの中とかにピンキーとか入れるつもりでしょ? それに僕の食べ物を温めるレンジでネズミの死体を温めるとか、おぞましすぎる」


「じゃあコッチでいいや」

 隣の若いアゴヒゲトカゲを指差す。アゴヒゲトカゲの英名は bearded dragon。ヒゲの生えたドラゴンなんて、名前からして素敵だ。カルシウム不足で卵詰まりを起こしたアゴヒゲトカゲの超音波検診は楽しかったな。

「ダメダメ、そんなモノ要りません」

「必要なの! 限られた人生の時間をフルに使って私は色んな動物と触れ合いたいの!」

「病院で触れ合って下さい」

「違うの! どんな動物でも寝食を共にしてみないと分からない事が沢山あるの!」


 私は自由が欲しい。

 好きなモノを好きなだけ飼う自由が。だってその為にわざわざ獣医なんぞになったのだから。なのに何故か、母といいジェイちゃんといい、私の周囲にはいつも私を動物達から引き離そうとする悪の手先が付き纏う。全くもって理不尽かつ迷惑な話だ。放っておいてくれ!と叫びたい。


「放っておいたら色々飼い過ぎて、面倒見きれなくなるのがオチでしょ! ただでさえ犬の世話してるのだって僕ばっかりなのにさ」


 そんなはずはない。エンジュと吹雪はジェイちゃんと暮らすより以前から飼っている。超忙しい獣医学校の時だって、私ひとりで全然平気だった。でも確かにあの二匹の面倒をひとりでみるとか、今ではちょっと考えられない。何故だろう……。


 少し考えて、不意にハッと閃いた。


 働きアリの巣の中で、数%は働かない『ぐうたらアリ』らしい。ぐうたらアリを取り除くと、働き者だったアリのうちの数%がぐうたらになり、巣の中のぐうたらの割合は変わらない。しかし取り除かれたぐうたらアリ達はどうなるのだろう。ぐうたらばっかりが揃えば、そのうちの何匹かが慌てて働き者になるのではないだろうか。そうか、他にやってくれるヒトがいると私はやらなくなるのだ……!


「ジェイちゃんが私をダメにする……」


「わけわかんない事ばっかり言ってないで、早く帰るよ!」

 ジェイちゃんに引き摺り出されるようにしてペットショップを後にしつつ、私は考える。コイツとの婚約を解消さえすれば私は働き者になり、自由と無数の動物達を手に入れ、人生を謳歌することが出来るのだ。しかし身に染みついたぐうたら生活も中々心地良く手放し難い。


 ぐうたらアリの脱ぐうたらは難しい。

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