怖がり

 突然ですが、私は怖がりだ。ヒトや生き物は怖くない。高所もジェットコースターも大好きだ。怖いのは幽霊。


 サイコパスや猛獣等の物理的危険は回避の仕様があると思うのだが、幽霊は回避の方法が分からない上に、理性的にも絶対に分かり合えない気がする。別に幽霊に会ったことがあるわけではないが、なんとなくそんな気がするのだ。

 だからホラーは絶対に読まないし映画も観ない。過去に唯一観たのはシックスセンスだけ。あれは子役が可愛かったし、ストーリー性も豊かだったからね。でも観ちゃった後はやはりトラウマで、二ヶ月ほど髪をシャンプーする時に眼が瞑れなかった。嫌な想像しちゃうんですよ。シャワーで髪を洗い流している時に自分の腕以外にもう一本腕が伸びてきて髪を洗うのを手伝ってくれるとか、湯船から顔を半分出してジッとこちらを見ている存在だとか。あーイヤダイヤダ。リングでしたっけ? あの貞子ちゃんとやらが出てくる映画、あんなのトレーラーの音楽を聞いただけで怖すぎて、アレを作った人間に殺意すら覚える。


 しかし世の中、怖がりなのは私だけではない。

 実はジェイちゃんも大の怖がりなのだ。私が怖いのは幽霊だけだが、ジェイちゃんは守備範囲が広く、幽霊も妖怪も悪魔も猟奇殺人的なモノも全て苦手。ちなみに彼奴は流血も苦手で、私が吹雪の爪を切りすぎてポタポタと数滴の血が滴るのを見ただけで貧血を起こす。

「貧血じゃないっ、ちょっと気分が悪くなっただけだっ」とか言っているが、きょとんとした顔の吹雪の隣で蒼ざめて床に横になっていたら、あんたソレは貧血以外の何物でもないのだよ。


 本や映画は選べるが、夜にみる夢は選べない。

 ホラーな夢をみて夜中にじっとりと嫌な汗をかいて目覚めた時、皆さんはどうするのだろうか。「あー、夢でヨカッタ」 とホッとして眠るのか。神経太いね〜。「ちょっと水でも飲んでから寝よう」 と起き出すのか。いやいや、私なんか真夏でも布団から足とか出せませんよ? 冷たい手で足首とか掴まれちゃったらどうするんですか。

 残された方法はただひとつ。

 コワイ夢をみて目が覚めたら、私は掠れた声で我が愛犬を呼ぶ。


 我が愛犬共は何故かベッドルームでは寝ない。二匹とも仔犬の頃から自立心に溢れ、リビングルームのソファーや廊下で勝手気儘に寝ている。夜中に時々ベッドルームを覗きに来ることがあるが、殆どの場合すぐに出て行ってしまう。


「……エンジュ、エンちゃん、エンちゃーん」

 数回呼ぶと、エンジュが階段を登ってくる音がする。しかし何故か階段の途中で止まってしまう。

「……エンジュ。エンちゃん? エンちゃんッ」

 キレ気味に怒鳴ると、ようやくエンジュが部屋の前まで来た。サッサと入ればいいのに、何故かドアの外に立ってそっと中を窺っている。

「エンちゃん、カム!」と指を鳴らすと、渋々部屋に入り、ベッドに飛び乗る。

「呼ばれたらサッサと来なくちゃダメでしょ!」

 エンジュはハタハタと軽く尻尾を振り、ベッドに座ってまじまじと私を見下ろすが、横になろうとはしない。

「エンジュ、ダウン」

 無理矢理伏せさせてふかふかの首に腕を巻きつける。本当はブランケットから腕を出すのもイヤなのだが、こうしないとエンジュは直ぐに立ち上がって部屋から出て行ってしまう。ふうーっと大きく溜息をつくエンジュ。


 エンジュの体温と柔らかな毛皮にようやく安心して、ウトウトし始める私。眠りに落ちる瞬間、そっとエンジュが立ち上がる気配がした。ハッとして目を開けると、エンジュが「しまった!」 という顔で私を見た。

「……行っちゃダメ」と言ってエンジュの首に腕を巻きつける。ふうーっと如何にも迷惑気に溜息をつくエンジュ。恐らくベッドは暑くて嫌なのだろう。でもダメダメ。食っちゃ寝ばかりしてないで、たまには役に立ちなさい。


 一方、ジェイちゃんはコワイ夢をみると必ず吹雪を呼ぶ。エンジュは夜中にジェイちゃんに呼ばれても無視するが、忠実な吹雪は直ぐに馳せ参じる。そして優しい忠犬は朝までジェイちゃんに添い寝してやるのだ。


 私が忠犬吹雪ではなくて気儘犬エンジュを呼びつける理由は唯ひとつ。エンジュは体臭が全く無いのだ。遺伝子学者のジェイちゃん曰く、体臭線の欠落は彼女がコヨーテと犬の間の子であることが関係していると思われるが、はっきりした理由は不明。

 普通の犬はたとえ家の中で飼われていても、三週間ほど風呂に入らなければ、どうしても毛が脂っぽくべとべとして犬臭くなるものだ。エンジュの場合、毛はサラサラふかふかのまま全く臭いがしないので、時々風呂に入れてやるのを忘れ、ハッと気付くと三ヶ月くらい経っている。そんな時に彼女の匂いを嗅ぐと、彼女が好んで座る古いソファーの埃っぽい臭いがする。決して動物臭ではない。実に不思議な子なのだ。


 というわけで、私の添い寝の役目はエンジュ、ジェイちゃんには吹雪というのが我が家のディフォルトだった。しかし最近そのバランスが崩れつつある。


「エンジュってば、僕が外でいくら呼んでも無視して耳すら動かさない!」 とジェイちゃんがぷりぷり怒ることが多くなった。

「そんなのいつものことじゃん」

「違う! 最近ますます態度が悪くなって、あんまり無視するから後ろから近付いてお尻を叩くと、『あれ? なあに?』ってびっくりした顔をするんだ。聞こえないフリして、更にあんな演技するなんてヒトを馬鹿にするにも程がある!」


 しかしエンジュはジェイちゃんを馬鹿にしていたわけではなかった。(いや、馬鹿にしているんですけどね。) 中年になった彼女は突然聴力が落ちてきたのだ。突発性難聴だが、他に悪いところはないし、これは原因不明なので治しようもない。まぁ仕方無い。


 問題は夜。

 呼べど叫べど、耳が遠くなったエンジュは部屋に来ない。仕方無いから吹雪を呼ぶ。多少犬臭いが背に腹は代えられぬ。しかし私が吹雪を必要とする時に限ってジェイちゃんも悪い夢をみるのだ。吹雪を呼ぶジェイちゃん。負けじと呼び返す私。私とジェイちゃんの部屋を行ったり来たり、ウロウロと落ち着かない吹雪。片方に呼ばれて部屋を出て行こうとするともう片方に怒られる。困った吹雪は二人の部屋を挟む廊下で寝る。


 ある晩、いくら呼んでも吹雪が来ないからおかしいと思ったら、ジェイちゃんめ、ベッドルームのドアを閉めて吹雪を自分の部屋に閉じ込めて独り占めしていた。翌朝気づいて大喧嘩。


「吹雪は元々は私の犬なんだから、勝手に部屋に閉じ込めたりするなっ」

「で、でも、面倒みているのは全部僕だもん!」

「そんなの関係ないっ! 閉じ込めておくものが欲しいなら、チュチュのケージを自分の部屋に置けば?!」

「イヤだっ、奴は夜行性だから、夜中にぼりぼりモノを食べたり滑車を回したりしてうるさくって眠れない!」


 吹雪が自分の部屋に居つくように、彼のお気に入りの犬用ベッドを密かに部屋に持ち込むジェイちゃん。一方私はステイ・コマンドを駆使する。吹雪は私にステイと言われたら、「よし」と言われるまでその場から動かないように訓練されているのだ。無論ステイと言った後に私は寝てしまうので、「よし」は永遠に来ない。


 かくして吹雪を巡る私とジェイちゃんの攻防は続く。


 最近朝起きると、何やら吹雪がぐったりしてみえるのは気のせいか。

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