好き嫌い

 青い陶器のお猪口に小匙一杯分のヒエ・アワ、ヒマワリの種一粒、カボチャの種三粒、ブルーベリーひと粒、セロリ一欠片、キュウリ一欠片、塩抜きした極小煮干し一匹。普段はダイエット用固形完全栄養食しか貰えないチュチュ君の週に一度の晩餐だ。ケージの中ではチュチュが期待に目を輝かせてハヤククレクレと懸命に手を伸ばしている。

「はい、これチュチュにあげてきて」

「い、いやだっ」 ジェイちゃんが後退りする。「奴はお猪口に襲いかかってくるからコワイッ」

「だからお猪口をケージに入れる前にまずチュチュの尻尾を掴んでおけばいいじゃん」

「イヤダッ! そんなことしたら絶対噛まれる!」

 デカイ図体をして情けない奴だ。チュチュのケージへ行き、ガラス越しにお猪口へ飛びつこうとするチュチュの尻尾を捕まえ、お猪口をケージの隅に設置。チュチュの意識は前方のお猪口に完全集中。尻尾を掴まれたまま、フゴーッと鼻息荒く必死で前足を掻き掻きしている。振り返って自分の前進を阻む指を噛もうとか、そんな余裕は無い。指を離すと、ゴムを巻き過ぎたチョロQのように前へ飛び出したチュチュが勢い余ってケージの壁に激突する。齢四歳にして、我が砂ネズミのチュチュ君は一向に衰えを見せない。

 お猪口を掘り掘りして、カボチャの種を探すチュチュ。普通のネズミはカボチャよりも油っぽいヒマワリの種を好むのだが、チュチュは何故か全長3センチの仔ネズミの頃からカボチャの種が一番好きだ。まぁ、万年肥満体型のチュチュにこれ以上の脂分は必要無い。

 三粒のカボチャの種を食べ終えると次はブルーベリー。続いてヒマワリの種。そして煮干し。好きな物から順番に食べていく。実に分かりやすい。あっという間に好物を食べ終えたチュチュ。

「よく探したら、もうひとつくらいカボチャがあるかも……」とお猪口を掻き回す。残念ながらそのような幸運には見舞われず、チュチュがやや不服気にキュウリをガジガジと齧る。半分食べてポイっ。再びお猪口に頭を突っ込み、セロリを掴み出すと忌々しげに投げ捨てる。チュチュはセロリが嫌いだ。

「やっぱり誰にでも好き嫌いってあるんだねぇ」と感心するジェイちゃん。

 チュチュと共に万年肥満体型の道を歩むジェイちゃんは、最近ダイエットと称してセロリにピーナッツバターを付けて食べている。

「ソレって絶対ダイエットになってないって」と言うと、奴は、「ピーナッツバターはタンパク質が豊富だからイイんだ!」とのたまいた。

 昨日はセロリにブリーチーズをのせて食べていた。

「チーズはカルシウムが豊富だからイイんだ!」

 私が目を離した隙に、ジェイちゃんがトロトロのブリーチーズを付けたセロリをチュチュにやる。しかし案の定、チュチュはチーズだけを丁寧に舐め、セロリはポイ捨て。ここまで来ると、最早清々しい。チュチュの辞書にダイエットという言葉は無いのだ。


 馬の好き嫌いは、ある意味チュチュより激しい。

 ニンジンの嫌いな馬は見たことがないが、面白いのはリンゴ。リンゴなら赤い富士リンゴでも緑のグラニースミスでも喜んで食べる馬と、赤いリンゴしか食べない馬がいる。馬は緑や青は見えるが、赤色は見えない。なのに何故緑のリンゴは嫌なのか。色のせいか、味のせいか。

「甘いよ〜」などと言いながら馬の前でひと囓りしてから差し出してみたが、ふんっとそっぽを向かれた。白雪姫なんぞより馬の方が余程賢い。いや、私は別に毒リンゴを勧めている訳ではないけどね。


 乗馬後のエネルギー補給にバナナを食べていると、甘い匂いに惹かれたらしく、我が愛馬二号ウィローちゃんが羨ましげに鼻を鳴らした。

「ウィローも食べる?」

 バナナの欠片をとても美味しそうに食べるので、試しに皮もあげてみた。しかしやはり皮は苦かったのか、一旦口に入れてドロドロになったものをぺっぺっと吐き出してくれた。以来彼女は私がバナナを食べていると必死になっておねだりするが、皮だけは決して食べようとはしない。

 愛馬一号のブルックリンもバナナが好きだ。しかしどうもこの二頭の嗜好は特殊らしい。他の馬にもあげてみたところ、皆最初は甘い匂いに釣られて食べてみるものの、直ぐにドロドロねとねとのバナナを吐き出す。そして、「なんちゅー気味の悪いもんを喰わせるんだ」といった表情で睨んでくる。


 ある日の事。早朝にブルックリンを連れ出して歩いていると、ふんふんと私の乗馬パンツの匂いを嗅いだブルックリンがいきなり太腿を舐め始めた。

「ブルック、何やってんの?」

 不思議に思いつつも放っておいたら、歩きながらずっと舐めている。歩きにくい。辞めさせようと叱っても、もう何やらうっとりとした恍惚の表情でベロベロしちゃって、乗馬パンツがあっという間にドロドロになった。どうやら彼女は私がパンツにこぼしたミルクティーの匂いがお気に召したらしい。馬は鼻が良いのだ。


 私がよく買う馬用クッキーには、バタースコッチ味、アップル味、ミント味があるのだが、私の馬達の間ではミント味が最もポピュラーだ。ブルックリンなど、バタースコッチ味だと不満気に鼻を鳴らし、私のポケットの匂いを嗅いでミント味が無い事を確かめてから渋々バタースコッチ味を食べる。グルメなのだ。

 こんなにミントが好きなら、と家で育てているミントの葉をブルックリンにあげてみた。ブルックリンは物凄く興奮して鼻を鳴らしながらミントを食い尽くし、そして数十秒後、何だか妙な顔をすると、長い舌をベロンベロンと口から出し入れし始めた。どうも生のミントだけというのは強烈過ぎたらしい。何事も程々がいいのですな。


 コヨーテ犬エンジュの好物は刺身に納豆。なぜかワサビも喜んで舐める。日本贔屓のコヨーテだ。ポメロというグレープフルーツに良く似た柑橘類は好きだが、オレンジは食べない。プチトマトは食べるけれど、普通のトマトは食べない。コヨーテ犬の基準はよく分からん。


 硝子の胃腸を持つシェパード吹雪くんは処方箋を必要とする特殊な餌しか食べることが出来ず、オヤツは氷。人生は諦めが肝心だと知っている彼は、エンジュがクッキーを貰っていても、チラリと横目で見るだけで決して欲しがったりはしない。しかしジェイちゃんがカクテルを作ろうと冷凍庫から氷を出す音がすると、大慌てで台所に飛んで行き、期待に満ちた眼差しでジェイちゃんの手元を見つめる。ジェイちゃんから貰った氷をパリパリと嬉しげに吹雪が食べているところにエンちゃん登場。

「お、なんだお前、私に内緒で何イイもん食べてんだ?」

 エンジュにグルル、と凄まれ、吹雪が慌てて氷を吐き出し、後退る。ふんふんと氷を嗅いで、ペロリとひと舐めしたエンジュが妙な顔をする。

「……コレってただの水じゃん」

 興味を失くしたエンジュが立ち去ると、吹雪が慌てて氷を飲み込む。

 たかが氷と馬鹿にしてはいけない。小さなモノに楽しみを見出すことこそ人生ならぬ犬生謳歌の秘訣。吹雪くんは犬生の達人なのだ。


 同じ屋根の下に生きながら、享楽に耽るチュチュとジェイちゃんに吹雪を見習う様子は全く無い。あんたらいつか後悔するよ!

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