小学四年生の時、理科の教材としてクラスで蚕を飼い始めた。白くて愛嬌のある蚕を一瞬にして気に入った私は、出来ることなら彼等をペットとして家に連れて帰り、もっとじっくりと楽しみたいと思ったが、しかし蚕くん達はクラス皆のモノ。そんな我儘は許されない。蚕くん達を腕や顔に這わせてうっとりとしていたのはクラスでも私だけだったが、しかし一人が欲しいと言えば他の子だって欲しがるだろう。願いを口にするのをグッと堪え、日々物欲しげに蚕くん達を見つめる私。

 そんなある日のこと。私が通っていた学校とは違う地区で小学校の先生をしていた近所のお姉さんが五匹の蚕をくれた。彼女のクラスでも蚕を飼っていたらしいが、どうやら少し余りが出たらしい。彼女が一瞬にして私のヒロイン(?)になったのは言うまでもない。

 大喜びで、早速広く浅い紙の箱に新鮮な桑の葉をたっぷりと入れて蚕くん達の城を作る。蚕は卵から孵化してから約一ヶ月かけて4回脱皮する。孵化したばかりの蚕(一令幼虫)は蟻蚕と呼ばれ、小さくて黒っぽい。

 我が家に来た蚕くん達はすでに一度脱皮した二令幼虫で、体長1センチ程で色も白っぽくなっていた。しかしその身体は細く、か弱い。ストレスを感じさせてはイケナイと、触って遊びたいのをグッと堪えて毎日公園や山へ行き、柔らかで新鮮な桑の葉を採ってくる。

「そんな毎日毎日新しい葉っぱあげたら勿体無いでしょ? 食べ終わるまで同じヤツでいいんじゃないの?」などと母は言うが、しかし蚕くん達は新しい葉を入れると、数分以内に古い葉を捨てて新しい方に移動する。そして食べる量とスピードがグンと上がる。つまり新しい葉と古い葉の違いを知っているのだ。ならば彼等が好む方をあげたほうがいいに決まっている。

 自分の判断に自信を持つ私は、母を無視してせっせと蚕くん達に貢いだ。そしてその甲斐あって、三〜四日で蚕くん達はめでたく二度目の脱皮を迎えた。


 脱皮時の蚕は「ミン」という状態に入る。桑の枝や葉の上で少しだけ上半身を持ち上げたような形になり、何やら考え込んでいるようにジッとして餌も食べない。そして半日ほどするとゆっくりと脱皮を始め、脱皮が終わってからも新しい皮が硬くなるまで数時間はジッとしている。やがてふと我に返ったように辺りを見回し、「メシメシ」と呟きつつ桑の葉に突進していく。


 二度目の脱皮を終えて三令幼虫となった蚕くん達は体長も2センチくらいになり、身体付きもしっかりしてきた。私に溺愛されていた蚕くん達は常に新鮮な餌をたっぷりと与えられ、学校にいる子達と同じ生物とは思えない程コロコロと太り、動きも活発だった。家に遊びに来た仲良しのゆっこに愛しい我が子達を自慢する私。

「可愛いでしょ。一匹いる?」

「うん、欲しい」

 ソンナモンいるか、などと言わないところが流石我が親友。こうして五匹のうち一匹が里子に出され、我が家の蚕くん達は総勢四匹となった。

 当たり前だが蚕くん達の顔の見分けがついていた私は、四匹に名前を付けた。


 身体のやや小さいチビ君。

 身体の大きさは普通だが、肌の色にやや黄色味のかかったチャーコ。

 身体が一番大きく、更に背中の三日月模様がくっきりと美しい月子つきこ。

 そして背中の三日月模様が無いシロ君。


 蚕には形蚕と呼ばれる三日月模様のあるモノと、姫蚕と呼ばれる全身が白く無紋のモノがいるらしいが、シロ君は完全な姫蚕というわけではなく、ちゃんと頭には眼玉模様があった。ただ背中に模様が無く、皮膚の色も他の子達に較べて真っ白でとても綺麗だった。そして身長は月子に劣るが、体重では勝っていた。蚕の皮膚は少しシワシワしているものだが、シロ君の皮膚はピンと張り詰め、殆どシワが無かった。それが彼の遺伝子によるモノなのか単なる食べ過ぎなのかは定かではないが、イケメンシロ君は私の一番のお気に入りだった。


 蚕は眠らない。昼夜関係なくワシワシと桑の葉を食べ続ける彼等の姿に癒され、彼等を腕に這わせて遊び、夜は彼等の飼育箱(紙のお菓子の箱)を枕元に置いて寝た。桑の香りとワシワシワシという蚕くん達の子守唄が心地良い。


 しかし三度目の脱皮を終えた後、チビ君の様子がおかしくなった。食欲が戻らず、動きも鈍くなり、ある朝起きるとチビ君は小さな身体を丸めるようにして飼育箱の隅で死んでいた。

 泣く泣く庭の花壇の片隅にチビ君の墓を作り、卒塔婆としてアイスキャンデーの木の棒にチビ君の名をしたためて花壇に立てた。

「やめて、そんな変なモノ花壇に立てないで」などと言って顔をしかめる母。しかしチビ君を埋葬することには何も言わないところをみると、どうもチビ君のことは花の栄養剤程度に思っているらしい。


 四度目の脱皮を終えて五令幼虫となった三匹は皆コロコロと太り、体長七センチ、月子なんて九センチ近くあった。そして凄まじい勢いでバリバリと桑の葉を食べる。あっという間に葉が消えてゆく様は何やら清々しい。何でも蚕は生涯に食べる葉の八十パーセント近くをこの時期に摂取するらしい。

 そんなある日、何の前触れも無くチャーコが突然死した。病気といった感じでも無く、シロ君と月子に変わった様子はない。

「お前が触り過ぎて死んだんじゃないのか?」と思われる人も多いと思うが、私が遊んでいたのは主にシロ君、たまに月子。チャーコには殆ど触っていない。そして私に触られまくっていたシロ君はとても元気に太っている。

 何がいけなかったのかよくわからないが、悔やんでも仕方が無い。泣く泣く再び花壇を掘り、アイスキャンデーの卒塔婆は二本になった。


 蚕くん達が五令幼虫になってから数日後、巣箱の四隅に厚紙で五センチ程の仕切りを作った。ワシワシと桑の葉を食べるのに忙しい蚕くん達がその「小部屋」の存在を知っているかどうか疑わしかったのだが、しかし彼等は私が思っていたより遥かに賢かった。


 先ず、月子が小部屋のひとつにモソモソと入って行った。ドキドキしながら見守っていると、やがて月子は口から細い糸を吐き出し、それを小部屋の四方の壁に上手く張り付け、その中心に浮くように楕円形の繭を作った。前脚をコチョコチョと動かしながら器用に繭を作る様子は中々のミモノだった。


 ところでこの繭作り用の小部屋の壁のひとつには一センチ四方の穴が空いていた。これは私が「入口」として設置した穴で、ご丁寧にドアの絵まで描かれていたのだが、残念なことに月子はこのドアを使わず、普通に壁をよじ登って上から小部屋に入っていった。(小部屋に天井は無い。)残された期待は月子がいなくなっても悠々と桑を食べ続けているシロ君だけ。果たして彼はあのドアに気付いてくれるだろうか。


 繭作りの時期が近くなってくると、蚕は身体が半透明になってくる。元々色白イケメンだったシロ君の身体はほんのりと淡くひかりを帯びて、とても綺麗だった。しかし半透明になってもワシワシと桑を食べ続けるシロ君。何か違う種類の生き物だったのだろうか、と疑わしくなる。しかしそんな彼にもとうとう繭作りの時が来た。


 えっせえっせと重い身体を動かし空いている小部屋に近付いて来たシロ君。彼はドアに鼻先を近付け、しかし私の期待を裏切り壁を登って天井から小部屋に入った。誰もあの穴をドアだと思ってくれなかった事に密かに傷つく私。まぁ仕方無い。


 しかしここで奇跡が起こる。


 器用に繭を作っていたシロ君が、繭が半分程出来たところで動きを止めた。そしておもむろに尻をドアから外に突き出した。一体何をやってるんだろう、まさかお腹が空いたから半分で辞めるつもりじゃないだろうな、などと心配している私の目の前で、ドアから尻だけ突き出したシロ君はコロリと糞をした。そして糞をすると、またモゾモゾと小部屋に帰っていった。

 賢い!とめっちゃ感動する私。綺麗好きだったのか、シロ君は小部屋で糞をするのが嫌だったのだ。そしてちゃんとドアの存在を認識していたのだ。ただし「入口」ではなく「出口」として。ちなみに蚕の糞は、ちょっと干涸びた和菓子のような綺麗な六弁の花形だった。


 そして月子に遅れること三日、シロ君も目出度く繭の中に収まった。


 月子とシロ君が繭になって十日程過ぎた。すでに夏休みとなり、私たち家族は兵庫県の祖母の田舎で夏を過ごす為、例年のごとく車で出掛けた。無論月子とシロ君の繭も小さな箱に入れられ、私と共に後部座席に乗った。

 田舎に行くのは毎年楽しみだったが、車酔いしやすい私にとってこの十数時間の車旅は地獄以外のナニモノでもない。夕方、ようやく目的地に到着すると、私はゲロゲロ言いながら車から転がり出た。荷下ろしなんて手伝うわけがない。ところで繭の入った箱は座席の物凄くわかり辛い隅っこに隠されていた。そう、私以外の誰も気付かないような場所に。そしてその後約二十四時間、私は繭の事をすっかり忘れていた。


 翌日の夕方、不意に繭の事を思い出した私は蒼ざめて悲鳴を上げながら後部座席に駆け込んだ。日向に停められていた車の中は夕方でもムッとするほど暑く、日中の地獄のような暑さを偲ばせた。


 後悔に慄きながら繭を見ると、何やらべっとりと茶色く汚れている。今から思えば、中で羽化した蚕蛾が出した尿だったのではないかと思うのだが、その時の私にはそれが生きたまま煮られた月子とシロ君の吐いた血反吐に見えた。

 茶色く染みた繭を前に一時間ほど悩んだ挙句、一か八か、繭を切って蚕蛾救出作戦を決行することにした。

 実家が養蚕家だった祖母などは、「そんな勿体無い……煮たろうか?」などと言って鍋を用意してくれたが、彼女の申し出は完全に無視された。


 ドキドキしながら繭にハサミを入れて数分後。立派な蛾になったもふもふ月子がそっと顔を覗かせ、ゆっくりと這い出てくるとクリーム色の羽を伸ばした。意外な程元気そうなその姿に安心し、シロ君の繭にもハサミを入れた。

 輪切りにされた繭からシロ君がにじり出てきた。その顔を見て、思わずハサミを取り落とした。

 月子よりも繭を作るのが数日遅れたせいであろうか、シロ君は完全には蛾になり切れていなかった。羽もあり、身体つきも蛾だったのだが、顔が半分蚕のままだったのだ。正確には、目元は蛾なのだが蚕の口がついていた。

 しかしそんな顔にもかかわらず、シロ君はとても元気だった。羽化に失敗というよりは、食い意地の張っていたシロ君は単に口を手放せなかっただけなのかもしれない。蚕蛾には口がなく、餌が食べれないのだ。イケメンシロ君のあまりの変貌に最初はびっくりしたが、見慣れてくると昔の面影があって中々可愛い。我が母などはシロ君の顔を見た途端に、「うわ、何それ気持ちワルッ」などと失礼なことを言っていたが。


 蛾と蝶には明確な区別はなく、蛾も蝶も全て同じチョウ目の昆虫だ。しかし一般的に蛾というモノのイメージはかなり悪い気がする。毒がいけないのだろうか。私だってチャドクガなんかとお近付きになるのは御免蒙りたいが、しかし日本にいる蛾で毒があるものなんてほんのごく一部だ。

 蝶は明るい陽の下で飛び回るが、殆どの蛾は夜行性だ。ヒトは往々にして闇を恐れる。夜行性ってのが物の怪じみていて良くないのだろうか。でも蛍だって夜行性だ。鈴虫やコオロギだって夜に鳴くではないか。

 確かに洋服等の繊維や穀物を食べてしまう蛾もいるが、しかし全部が全部そうではない。大人しく花の蜜や樹液を飲んで夜中にひらひらと飛んでいるだけで、「ヤダ気持ち悪い!」などと言われれば、蛾だってムッとするだろう。

「ムシの癖に毛が生えているのがイヤ」というヒトがいた。「毛=もふもふ=萌」の方程式は何故蛾には当て嵌まらないのか。不公平ではないか。更にアップで見ると、実は蝶よりも蛾の方が顔が可愛いことが多い。


 ところで今ネットで調べてみたところ、蚕蛾は飛べないと書いてあって驚いた。そんな馬鹿な。夜は自由行動を許され巣箱から解放されていた我が子達は夜中にブンブン飛び回っていたぞ? 顔が蚕のシロくんは流石に飛ぶというよりも羽をバタつかせながらゆっくりと落下しているだけのようだったが、しかし月子はよく従姉妹のあーちゃんの顔を掠めるようにして飛び、彼女に悲鳴を上げさせていた。

 豆電球のぼんやりとした光の輪の中を飛び回る我が子達の影と柔らかな羽音に癒されつつ眠り、そして朝になると壁やカーテンに張り付いている彼等を探し、巣箱に回収する。

 二匹共私が手を差し出すと決して逃げず、自ら指に登ってきたので回収は簡単だった。幼少期から育てて懐いているから当たり前だとあの頃は信じて疑わなかったが、今から考えれば不思議な話だ。それとも蚕蛾とはそういったモノなのだろうか。

 残念ながら卵は産まなかったものの、月子もシロ君も二週間近く生きて、空飛ぶもふもふとして私を楽しませてくれた。


 カマキリ、セミ、クワガタ、トンボ、黄金虫、蟻地獄、蜘蛛、蛍、コオロギに鈴虫。幼少期から現在に至るまで様々なムシ及びムシモドキ達と遊んだが、蚕くん達ほど心が通じ合ったモノはいない気がする。

 機会があったらまた飼ってみたいなぁ、と思う今日この頃。

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