生きる理由
やられた。
馬房に積まれた干し草の山に倒れ込み、荒い息を整えつつキツイ乗馬ブーツを脱ぐ。足の甲は既に尋常でない赤味を帯び、革靴の上からだったのに、何故か蹄鉄の形に薄皮が剥けている。足の指を動かし、指先に感覚があることを確かめ、腱と骨を触診する。何カ所かヒビがいっているだろうが、骨がズレている箇所はない。ただ甲の感覚はかなり広い部分に渡ってゼロ。まぁ仕方無い。諦めて、傷が腫れ上がる前にもう一度ブーツに足を突っ込む。
昨年の夏のことだ。美貌の葦毛ウィローちゃんに足を踏まれた。事故ではない。ウィローは百パーセント悪意満々だった。
夏休みになると乗馬クラブの馬達は子供相手の仕事が増える。小さな子供を乗せてテクテクと歩く程度なので肉体的に重労働というわけではないのだが、やはりキャーキャー騒がしいガキ共の相手は精神的に疲れるらしい。人気者のウィローちゃんは最近苛々している。そしてヒトやモノに当たり散らす。
苛々MAXのウィローが私の足を狙っていることは知っていた。気をつけていたつもりだったが、ほんの一瞬の油断だった。誰かに名前を呼ばれ、ふっと振り返った瞬間にガンッと踏まれた。
「YOU F***ing dumb S***head B****!!!!!」
聞くに耐えない罵詈雑言を喚き散らす私。しかしウィローはムッとした顔のまま足をどけようとはしない。歯を食いしばって立ち上がり、蹄の手入れをする時のようにバカ馬の足を持ち上げ、ようやく蹄鉄の下から我が足を救助した。
馬房からびっこを曳きつつ出て来た私をウィローがチラリと横目で見る。どことなく、「してやったり」 とニヤついているように見えるのは気のせいか。
「あいつ怪我したし、これで今日のレッスンは取り消しっすな。イヒヒヒン」
……ナメんなよ。鞭と手綱を掴んでウィローに飛び乗った。
家へ帰り、シャワーを浴びてベッドに転がり込む頃には足は紫と青と赤の見事な抽象画となっていた。色合いは凄まじいものの、踏まれてから三時間以上キツイ乗馬ブーツで締め付けていたため、大して腫れてはいない。馬に踏まれたらブーツは脱ぐな。その昔、超有名な老齢のカウボーイに伝授された教えを守った私、エライね。まぁそもそも踏まれるなよって話だが、誰だって油断する時はあるのだ。
ベッドに寝転がったまま、大声でジェイちゃんを呼びつけ、氷を注文する。
「も〜面倒臭いな〜、氷くらい自分で用意しなよ〜」などと文句を言いつつ部屋に来たジェイちゃんが、私の足を見て息を飲んだ。
「……病院行く?」
「行かない。めんどい」
「レッスン終わった後に踏まれたの?」
「レッスン前」
「……まさかとは思うけど、その足で乗ってきたの?」
「あったり前じゃん。ここで乗らなかったら、馬が『ラッキー、足を踏めば仕事しなくて済むじゃん』とか思うからね。いつもより高いバーをジャンプしてきたよ」
これも私が尊敬する老カウボーイの教えだ。しかし痛がり怖がりのジェイちゃんは私を異常者呼ばわりする。
因みに私、自転車事故で有り得ない方向に脱臼した足首を自分で入れ直し、病院まで歩いて行き、レントゲン撮ったら骨が折れていました、という過去がある。何の因果か突発性自然気胸を起こし、胸が痛いなぁと思いつつ一ヶ月ほど放っておいたら、何やら妙な鉄味の咳が出るようになり、仕方無く病院に行ったら片肺が殆ど機能しておらず、即入院・手術ということもあった。以来、医者は私が言うことを全く信用してくれない。「寝不足でちょっと頭痛いんですけど」 なんて言おうものなら、目の色を変えてMRIマシーンに放り込まれそうだ。
ヒトの病院じゃない病院で一応足のレントゲンを撮ったが、やはり四~五箇所ヒビがいっている程度でたいしたことはなかった。ヨカッタヨカッタ。乗馬日和の続く美しい夏に足の手術なんてしたら時間と人生の無駄だからね。
ヒビの入った足で一日も休まず乗馬する私をジェイちゃんが白い眼で見る。
足が治りかけた頃、今度はスニッカーズで落馬した。
早朝に乗馬していたところ、立派な角を持った雄鹿が突然馬場に乱入してきた。驚いたスニッカーズが暴れ、ジャンプ用の大きな樽に突っ込んだ。スニッカーズが樽を飛び越える様子を見せたので、私も咄嗟にジャンプの姿勢に入りつつ、「あれ? スニックってこの高さジャンプ出来たっけ?」と一瞬思った。
ハイ、出来ませんでした。
ジャンプに失敗したスニックから転げ落ち、しかも真下に樽があったせいで受け身も取れず、肩から地面に突っ込んだ。服が破けて右肩ズリ剥け。しかし幸いスニックに負傷無し。落馬した時のコツは間をおかず即座に馬に飛び乗ること。時間が経てば恐怖心が湧き、馬に乗れなくなるヒトは多い。無論私は即スニッカーズに飛び乗り、走り、幾つかジャンプをこなした。
しかし受け身が取れなかったダメージは大きい。家へ帰り着く頃には全身の筋肉がバキバキ。大量の痛み止めと筋弛緩剤を飲み、さらに湿布を背中に貼りまくったが、翌日背中が曲がらず靴下が履けなかった。
「身体が痛い〜、どこが痛いかも分からんくらい全身が痛い〜」
「も〜、仕方ないなぁ」
我が前に跪きし下僕ジェイちゃんに靴下と靴を履かせて貰い、ちょっとした女王様気分を味わう。背中の十枚の湿布の臭いがやや気になるが。
二度あることは三度ある。背中の痛みが治まって一週間後、今度はカウボーイ君で落馬した。落馬など何年もしたことなかったのに、ホント続く時は続くんですよ。
カウボーイ君は何もないところで自分の足に躓き、いきなり横倒しになってくれた。かなりの速度で
こんな事を書いていると、何やら頻繁に怪我をしているドジなヒトのようだがそれは誤解だ。私は滅多に怪我をしないし、風邪なんて最後に引いたのがいつかも思い出せない。反対にジェイちゃんと同僚のSさんは頻繁に風邪を引き、いつも二人で仲良く病原菌を交換しつつゲホゲホしている。あいつら手を洗ってないんじゃないかと私は常々疑っている。ちゃんと手を洗っている私は真冬の雨の中で乗馬してもヘッチャラだよ!
「和泉さんって元気ですよね……」 ゴホゴホと咳をしつつ青白い顔でSさんが呟く。
「うふふ、若いからね!」
「…………」 返事をしてくれないSさん。
「Sさんもさぁ、もっと食べて運動しないと。乗馬楽しいですよ〜」
「…………」 無言で腹を撫でるSさん。最近腹周りが微妙に変形しつつあることを気にしているのだ。
「それにしても、やっぱり乗馬って危ないですね」 私の赤剥けの肩に目をやったSさんが溜息をつく。
「ホントだよ、こんな大きな傷を作って、これ絶対痕が残るよ!」 鼻声でブツブツ言うジェイちゃん。
たかが肩の傷痕くらいでウルサイ奴等だ。顔が裂けたとか言うなら私だってびっくりするが、それでも乗馬は辞めないだろう。私の知り合いは落馬事故で背中に鉄板プレートが入っているが、彼女は今でも障害ジャンプを続けている。
確かに乗馬は一般的なスポーツよりも怪我をする確率が高いかも知れない。しかしどんなスポーツでも、いや、たとえスポーツなどしていなくても、生きていれば怪我や病気くらいする。
生きるのに大層な理由はいらない。私のような大雑把な人間でも年に数回、「生きるってつまんねぇな」とか「いま死んでも別にいいかな」とか思うことがある。しかし踏まれても、噛まれても、蹴られても、振り落とされても、馬と過ごす時間は何にも代え難く、「やっぱり生きていてヨカッタなぁ」そして「明日も馬に会いたいから、もう少し頑張って生きよう!」と思わせてくれるのだ。
お前が単純なだけだと言われたら全くもって返す言葉が無いのだが、しかし単純な私は時折筋肉痛に悩まされつつも、日々楽しく生きている。
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