嘆き鳩

 ルールー、ルールー、と甘い声に振り返ると、窓辺に二羽の鳩がいた。鳩と言っても神社などにいるグレーのデカイ鳩ではなく、Mourning doveなげきばとと呼ばれる北米産の野鳩。神社の鳩よりふたまわり程小さく、柔らかな色合いのグレーの翼と少しピンクがかったベージュ色の胸が愛らしい。窓に近付いて写真を撮っても、首を僅かに傾げるだけで逃げようとはしなかった。


「さっきククとポポが遊びに来てたよ」と早速ジェイちゃんに報告する。

「僕も見たよ。でもあれがククとポポかどうかなんて分からないじゃん」

「でも私が近付いても逃げなかったもん。やっぱ育ての親を憶えてるんだねぇ」

「あの知能指数の低そうな鳩ごときにそんな芸当が可能とは思えない」


 ククとポポとは私が一昨年育てた嘆き鳩だ。

 私の仕事場の建物の三階では毎年鳩が巣を作る。毎年必ず同じ場所に巣を作るので、おそらく同じカップルなのだろう。問題はその鳩カップルの巣作り場所のチョイス。屋根のある渡り廊下なので雨風は防げるが、しかし物凄く安定の悪いライトの上に、お愛想程度にチョイチョイと数本の小枝を乗せて卵を産んじゃう。数日で卵は落下。可愛らしい二センチ程の白い卵が粉々になっているのを見るのは胸が痛む。しかしカップルはめげずにまた卵を産む。落下。粉々。毎年これの繰り返しだ。

 とうとう見兼ねた誰かが学習能力に欠けるカップルのためにダンボール箱で作った巣を設置した。

「かくしてバカの自然淘汰は阻まれる……」などと呟くヒトもいるとは思うが、まぁ別にいいじゃん。もしかしたらこの鳩のカップル、「何もわざわざ苦労して巣作りしなくたって、何度も目の前に卵を落としていればそのうちにお節介なお人好しが手頃な巣を作ってくれるさ」というところまで見越していたのかもしれないではないか。だとすれば天才だ。


 かくして親切なヒトのお陰で無事卵は孵り、餌をねだるヒナの様子も微笑ましい。しかし安心したのも束の間、ヒナが巣立ちに失敗した。鳩の抱卵期間は二〜三週間、その後一ヶ月程で巣立つのだが、その鳩の親はかなり早い時期にヒナを巣の外に出そうとしているようだった。

「おいおい、まだ三週間も経ってないぞ? ちょっと早過ぎやしないか?」

 スパルタ教育なのか、単に自然淘汰への道を突き進んでいるだけなのか。廊下を通る度に、頭上で繰り広げられている自然ドラマが気になって仕方無い。ルールールー、ルールールー、と少し離れた所から自分達を呼ぶ親にヒナも困った顔をしている。

 二日程して、巣の中にヒナがいないな、と思ったら、廊下の隅に二羽でくっついて震えていた。どんな鳥でも巣立った直後は羽がまだ完全には生え揃わず、色合いや毛質も親とは違うものだが、それにしてもこの二羽はまだ三分の二くらいしか羽が生えていなかった。首や肩がハゲハゲで寒そうだ。慌てて辺りを見回し、親の姿を確認して安心する。多くの鳥は巣立ってもしばらくは親が面倒をみるものだ。落下しても怪我しない程度には羽も生え揃っているようだし、まぁ大丈夫だろう。

 それにしてもルールールーとやけに何度も呼び声が聞こえるので気になって仕方無い。再び廊下に出ると、ヒナの姿は見えず、親が辺りを探し回っていた。むむむ、と唸りつつランチを買いに行こうと階段を降りかけて気付く。ヒナ、階段の途中にいるじゃん。

「おーい、君たちの子供ここにいるよ〜」とヒナを指差す私。何やら首を傾げつつ私を見つめる鳩。彼等のつぶらな瞳に私の言葉を理解する知性の輝きは……ナイ。まぁちゃんと探してるみたいだし、大丈夫でしょ、と私はオフィスに戻った。

 夕方になると呼び声は聞こえなくなり、階段にヒナの姿もなくなったので、親子は巡り合ってどこか安全な場所に移動したに違いないと思い安心した。


 ……甘かった。


 夜十時過ぎに家に帰ろうとした時、ふと嫌な予感がした。野生の勘というか、時々ぴーんと来る時があるのだ。勘に従い普段使わない二階の渡り廊下に行ってみると、いましたよ。ハゲハゲのヒナが二羽、冷たい渡り廊下の隅、それも何故か水が溜まっているところでふるふると震えていた。せめて乾いたところでふるふるしようよ。一羽はすでにぐったりとして翼をだらりと垂らし、嘴を半開きにして口呼吸している。

 急いでオフィスに戻り、ペーパータオルを敷き詰めたダンボール箱を用意する。家の冷蔵庫の中に確か野鳥のヒナ専用の特殊な餌が残っていたはずだが、おそらく賞味期限切れだろう。ジェイちゃんに電話で緊急司令を出す。

「ベイビーフード買ってきて! ポテトとリンゴと野菜ミックスとチキンのすり潰したやつね」

 オッケーと力無い声で返事するだけで、ジェイちゃんは何も聞かない。

 すでに動く気力も残っていないヒナ二羽を捕獲し家に帰る。ナンダナンダふんふんとダンボール箱を嗅ごうとするエンジュと吹雪を押しのけてバスルームに入る。我が家には私用とジェイちゃん用のふたつのバスルームがあるのだが、ジェイちゃん用バスルームはしばしば動物保護所と化す。

 

 タオルで乾かし、身体を暖めてやり、水を混ぜたペースト状のベイビーフードを弱ったヒナにスポイトで食べさせる。すり身のチキンを見て、「共喰い……!」とジェイちゃんが呟く。

「いいんだよ、高タンパクなんだから」

「でも絶対鳥として間違った成長を遂げる気がする」

「卵でもいいんだけど」

「それもっとダメな気がする」


 ククとポポと名付けられた二羽は数日ですっかり元気になり、自分達で種等を食べ始め、兄弟殺し及び共喰いに発展することもなくジェイちゃんを安心させた。一週間程で羽も生え揃い翼をバタつかせ始めたので、ダンボールごとバルコニーに出してやる。

 半日程バルコニーをうろついて、ジェイちゃんが皿に入れてやった種などをつついていたが、夕方になるとまずククがバルコニーの手すりに飛び上がった。ククはしばらく手すりの上を行ったり来たりしていたが、やがて意を決したようにバルコニーの横の木の枝に飛んだ。

 ククの姿が見えなくなるとポポが慌てたように翼をはためかせた。自分もククを追って出て行くのかと思いきや、ダンボール箱に戻ってしまった。


 翌朝バルコニーを覗くと、ポポはダンボール箱の隅でふるふるしていた。ヒッキー気味なポポを心配しつつ仕事に行き、昼に様子を見に家に戻ると、ポポはまだダンボール箱の中だ。

「こらこら、君も旅立たなくてはいけないよ」

 ダンボール箱を傾けると、ポポが渋々出て来た。しかしバルコニーに散乱した種を食べるだけで、全く出て行く気はなさそうだ。心を鬼にしてダンボールを潰す。ヒッキーは安心して引きこもれる家があるからヒッキーになるのだ。(よく知らないけど。)

 夜、ポポはまだバルコニーをウロウロしていた。頑固なヒッキーだ。それにしても夜はかなり冷え込む。ハゲじゃなくても吹きさらしのバルコニーは余りにも寒そうだ。仕方無い。鳥の巣状に丸めたタオルを置いてやる。いそいそとタオルの巣に潜り込むポポの姿に思わずキュンキュンしてしまう。私は可愛いモノに弱いのだ。


 ポポはそのまま全く出て行く様子を見せず、三日程経った。餌が無くなれば出て行くのかもしれないが、放っておくといつの間にかジェイちゃんが補充している。

「ポポ、君はもうここに住むかい? でも一生ボッチじゃきっとさみしいよ?」

 まぁ私がいるけど。でも私、鳥アレルギーすごいんだよね。家の中で飼うわけじゃないから大丈夫か。バルコニーが鳥のフンだらけになるとジェイちゃんが嫌がっていたような気もするが、彼の意見はこの家ではあまり重要視されない。そもそも何気に餌の補充をしているのはジェイちゃんだ。


 翌朝、キッチンの窓からふと外を見ると、雀やらフィンチやらがバルコニーに群れていた。その輪の中で一緒に餌をつつくポポ。ナルホド、バルコニーが糞だらけになるわけだ。ポポがボッチで寂しいのではないかと気を遣い、しんみりしてやった自分がアホらしくなる。

 と、バルコニーに若い鳩が一羽舞い降りてきた。柔らかなベージュ色のポポに比べ、やや青みのあるグレーの羽、丸く大きな目、アレはククだ。ヒッキーの妹に説教でもしに来たのかと思いきや、いそいそと餌をついばみ始めるクク。

 エンジュとじゃれていたジェイちゃんに、「クク来たよ〜」と教えてやった。

「え? ホント?!」

 ジェイちゃんは丸い目が可愛いククのファンだったが、ククはジェイちゃんのことなど別に好きでもなんでもない。止める間も無くジェイちゃんがバルコニーのドアをガチャリと開けた。


 驚いて飛び去る雀やククと共にポポが手すりの上に飛び上がった。

「あっ、バカッ」

 ぼんやり突っ立っているジェイちゃんを思いっきり蹴る。狭いバルコニーから広い空へ出ていくのがポポの幸せだとわかっていても、いざ行かれてしまうとなると寂しいのだ。病気になるかもしれない。タカに狩られるかもしれない。タカならまだしも、どこかのクソガキに空気銃で狙われるかもしれない。私の庇護の下なら一生安泰なのに……! と、イキナリ子離れ出来ない親化する私。


 ポポはその後二時間近くバルコニーの手すりで往生際悪くウロウロしていたが、ふと目を離した隙に飛んでいってしまった。手すりにはポポの存在の証、二時間分の糞がしっかりとこびりついていた。



 我が家の窓辺には嘆き鳩が来る。

 近付くとすぐ逃げてしまう鳩達の中で、時々逃げずにじっと私を見つめる子がいる。

 自称育ての親の私。しかし彼等と過ごしたのはたった十日程だったので、ハッキリ言って成長した鳩はどれも同じに見える。


 でも、あの逃げない子達はククとポポなのだと信じている。

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