第6話

日曜日の午後


 湊に会えないまま、私はケーキも持ち帰ったまま家に帰った。家に帰って、冷蔵庫にケーキを入れる。お母さんがリビングに顔を出して「お風呂入りなさい」と言った。


「うん。…湊と会えなかったから、ケーキ冷蔵庫にあるよ」


「そうなの? 連絡しなかったの?」


「あ…そっか。うん。ちょっと驚かそうと思って。お風呂入るね」と力なく笑う。


 お母さんは首を傾けながら冷蔵庫を開けた。私はそのまま部屋に行って部屋着を取って、お風呂に向かった。明日は土曜日だからゆっくりお風呂に入った。


 湊はあの女の子とどこに行ったんだろう、と湯舟に浸かりながら考える。女の子はまだ少女みたいな顔だったけれど、可愛かった。私より若くて…。ぶくぶくと湯舟に顔を少し沈める。鼻先まで浸かった。


 塾の先生してたら、そりゃモテるだろうな、と私は思った。かっこいい湊は優しいし。中学生にとっては随分、大人だろう。まだそんな自覚私にはないけれど。


 お風呂から上がるとお母さんがご飯をテーブルの上に用意してくれていた。豆腐ハンバーグだった。私は食卓に着いて、作ってくれたご飯を食べようとした時、携帯にメッセージが届いた。


『お疲れ様。日曜日、デートしよう。映画でも見る?』


 湊からだった。


『今、家?』


『うん。絹は外?』


『ううん。家』と書いて、何を書きたかったのかしばらく悩んで消した。何を言いたかったのか、いろいろ考えていたら、電話が鳴った。


「絹? どこ?」


「あ…。家だけど…」と言うと、安堵のため息が聞こえた。


「びっくりした。こんな遅くに外にいるのかと思って」


「あ、ううん。あの…ケーキもらったから…。湊の家に行ったんだけど…」


「え? そうだったんだ。…ごめん。…塾で…遅くなって」


「うん。そうかなって思ったから…」と言いながら、胸が軋んだ。


 嘘つかれた。多分、湊は私を傷つけないように、あるいは本当のことを言うのが面倒くさくて、あるいは言えないことをしたのか…、ともかく嘘を吐いた。


「そのまま…帰って…き…た…の」


 涙が零れる。


「え? 絹、泣いてる?」


「あ、ううん。あ…ごめ」と言って、私は電話を切ってしまった。


 すぐに着信があったけれど、私は電話に出ることができずに電源を落とした。お豆腐ハンバーグは今日に限って塩味がきつい気がした。


 その日の夜は眠れずに空が明るくなるのをぼんやり見ていた。



 寝れないのにベッドがから出られない。九時を過ぎた時、下からお母さんの呼ぶ声がした。起きるのが面倒で寝たふりをしていたら、階段を上がる音がして、ドアが開いた。


「湊君、来てるけど? もういい加減に起きなさい」


 私は体を起こしたくなかったけど「うん」とだけ言った。


 お母さんが下りていって、私はベッドから出る。眠っていないから酷いクマが出来ている。すぐに着られるAラインのワンピースを着て、靴下を吐く。髪の毛はポニーテールにして、化粧は顔も洗っていないのにできなかった。


 階段に近づくと、湊とお母さんの明るい声が聞こえる。二人とも楽しそうに喋っている。少し立ち止まって、どうしたらいいか考えた。スマホの電源を切っていたから、湊はわざわざ家にまで来た。私が悪いけど、何だか無性に腹が立って、降りていく気がしない。階段の一番上に座って、時間を潰した。


 しびれを切らしたお母さんがもう一度来て、階段上の私を見て息を飲んだ。


「…何かあったの?」


 目の下のクマで私が寝ていないことを理解したらしい。


「会いたくない」


「…お母さん、ちょっと出かけてくるから。帰ってもらうにしても、一度話し合いなさい。昨日のこと謝ってたわよ。電話が繋がらないからってわざわざ来てくれて…。そもそも絹のサプライズだったんでしょ? 約束してたわけじゃないじゃない」


 そんなことで怒ってるんじゃないって思ったけど、言わなかった。


「とにかく、家を空けるから。お父さんは朝から友達と釣りに行ってるし…」と言って、お母さんは気を利かして出ていってくれた。


 ともかく私は諦めて下に降りる。なんて話をしたらいいのかまだ決められない。ドラマのように「私、見たのよ」と言えばいいのだろうか。


 リビングに湊は待っていて、私のすっぴんで酷い顔を見たら驚いていた。


「…おはよう」と私はドラマの台詞でない言葉を言った。


「絹…。ごめん。昨日…」


 また嘘つかれるのが嫌で「ホームにいたの」と言った。


「え?」


「湊と同じ電車だった」


 次にドラマの台詞を言うべきか迷った瞬間、湊がまた謝った。


「塾の子がついてきてて…。家まで送ったんだ」


 それで出て来なかったんだ。優しい湊は彼女の家まで送って行った。


「…なんか…懐かれてしまった感じで…」


「…それは塾で遅くなったってことに含まれるの?」


「…ごめん」


 大きな意味では含まれるのかもしれない。でも私は隠されたくなかった。隠すということはそこに含まれているものがある。でも湊が親切心でしたことは分ってるし、あんなに遅い時間に中学生を一人で帰すような冷たい人じゃなくて良かった。


「謝ることじゃないけど…。私も…勝手に行ったし…。湊のことだって分かってる。でも…」


 友達の話を聞いて不安で揺れていた私には辛かった。


「…ごめん。なんか、言いにくくて」


「嘘は嫌」


「うん…。そうだね」


「悲しくなる」


 また湊が謝った。そんな顔させたかったわけじゃないのに、と謝られても気分は晴れない。


「あの子…湊のこと、好きなのかな」


「え? それはないと思う」


 湊は何にも分かってない、と思って私はため息を吐いた。


「いや、そうだとしても、生徒とか駄目だから」


「駄目じゃなかったら、好きになる?」


 言っておきながら、面倒くさいな、と思った。もうこういう会話をしているのも疲れて来た。今は一人になりたい。


「なる訳ない」


 その自信、どこから来るのだろう。気持ちなんて、変わるのに。でも私はもう会話に疲れてしまった。


「…分かった」


「絹…。本当にごめん。もう嘘はつかない」


「うん。約束ね」と適当なことを言った。


「明日…」


「…あのね。明日は…少し、一人でいたい」


「絹?」


「分かってるの。湊が親切で、なんの気持ちもなく、送っていってるの。分かってるし。これからも生徒を大切にして欲しいって思ってるのも本当で。…でも気持ちが少し…落ち着かなくて…ちょっと一人で…いたいの」


「…分かった。ごめん」と立ち上がった湊を玄関まで送る。


「駅まで行けなくてごめん。すっぴんだし…ひどい顔で」


「そんなこと…。でも気にしないで。じゃあ…月曜日に」


「うん。ごめん」


 意味なく謝った。


 扉が閉まったのを見て


「私、見たんだから」と呟いた。


 色白で黒髪の綺麗な女の子だった。


 寝不足で目の下にくまを作ってイライラしている私とは全然違う。そしてあの子はきっと湊が好きだ。



 私はバイトが夕方からなのを良い事に、もう一度ベッドに潜った。何も考えたくないと思ったら、すぐに眠れた。



 バイト帰りに珍しく桃ちゃんからメッセージが届いた。


「日曜、空いてる? 空いてないか」と一人完結したメールだった。


「空いてる! 暇!」とすぐに送ったら「遊ぼ」と即レスが来た。


 合コンはどうだったのか気になるし、私は久しぶりに桃ちゃんと日曜日を過ごすことにした。



 二人で特に行きたい場所もなかったけれど、繁華街のカフェで待ち合わせした。早めのランチ時間だったので、すんなり入れる。


「珍しく日曜日に絹が湊君と会わないなんて」と早速、桃ちゃんには何かあったかとばれてしまう。


「桃ちゃんこそ、日曜はずっとデートしてきたのに」


「そう、それな」と言って、メニューで顔を隠す。


「合コンは…?」


「まぁまぁ。良さげな人もちらほら」


 私たちはメニューで美味しいものを考えながら、別のことを考える。


「…あっちはね。多分、もう自然消滅を考えてる」と言いながら桃ちゃんはページを捲った。


「え?」


「ちゃんと振ってくれたら、合コンだって、全然、進めるのにさ」


「連絡…ないまま? 折り返しも?」


「ない。透明人間になったのかなっていうくらい、反応なし」とさらにページを捲る。


 インスタ映えしそうなデザートが並んでいる。


「なんなら合コンの人の方が連絡くれる」


 スマホの電源切って、家まで来てくれた湊に私は腹を立てていたけれど、何の反応もない桃ちゃんの彼氏は最低だ。


「もう…いいかなって思ってた。思ったのよ」

 ついにドリンクのページまで捲られている。


「あいつよりいい大学の人もいたし、かっこいい人もいたし、おしゃれな人もいた…のに」


 メニューが最終頁に行くと、ぱたんと閉じられてしまった。


「完全に別れたって分からないと、希望を持っちゃう。だって、それまで付き合いが長かったから。より良い人なんて、山ほどいるのに。動けない」


 もうメニューは捲られることもないように両手で押さえられていた。


「うん。…じゃあさ。今日はにおわせインスタごっこでもしよう」と提案すると、桃ちゃんは笑い出した。


「何それ、面白そう」


 そして私たちはたくさん注文して、桃ちゃんのインスタにデート風景みたいな写真をアップした。すぐに奈々ちゃんがコメントをくれる。


「なになに? 合コンの人?」


 それにうんとも言わずに、どんどん上げていった。画面に入らない私がスプーンを持って、あーんって桃ちゃんにさせている写真をメインからデザート、映えるドリンクのツーショットまで。写真を撮り終わったら、今度はフードファイターのようにご飯を食べた。おかしくて、二人で笑いながら食べた。


「食べ終えたら公園で写真撮ろう」


「いいね」と言って、笑う。


 公園でもわざわざ花を買って、プレゼントしているように見える写真を撮ったりしていた。


「あー、ちょっと手が入ったら、女性ってばれるから、ここ切るね」と桃ちゃんのスマホを操作していたら、メッセージが入る。


『合コンって何?』


「…桃ちゃん…。これって…」


「…あ、つ、し…だ」と彼の名前を言う。


「どうする?」とスマホを返す。


「そりゃ…今更って感じだけど」


「自然消滅を本当に狙ってたのか、本当に忙しかったのか…でもメッセージくらいできるよね」と私が言う。


「ほんと、それ…」


 でも桃ちゃんがちょっと嬉しそうだった。


「返事返していいよ。それに…もしこの後会うなら…。私帰るから。気にしないで」


「…絹。絹は本当にいい子だね」


 桃ちゃんのスマホに『今から会えない?』とメッセージが来ていた。



 桃ちゃんと別れて、私は家に帰ろうかと思ったけれど、やっぱり湊の家に行こうと思った。今度はサプライズじゃなくて、メッセージを入れる。すぐに着信が鳴る。


「家にいるけど…。来てくれるの?」


「うん。…会いたくなって」


「じゃあ、駅まで行くから」


 そう言った言葉通り、駅で湊が待ってくれていた。


「絹…。ほんとに来てくれた」


「…ごめん。なんか…態度悪くて」と謝る。


「ううん。仕方ないし…。それに…ちょっと嬉しかった」


「え?」


「嫉妬してくれたんだなって」


「もう」と言って、私は湊の胸を何度も軽く叩いた。


「絹ちゃん、可愛い」と言って、少しも怒らない。


 改札出たところで人が多いのに、湊に抱きしめられる。恥ずかしさと、でも同時に湊の体温の安心感を感じてしまう。


「不安にさせて、ごめん。来てくれてありがとう」


 湊は本当に優しい。私は湊の腕の中で頷いた。


 腕を解いて、歩き出す。


「晩御飯はどうする?」


「たくさん食べて…お腹いっぱいなの。湊は何か食べたいよね?」


「スーパー寄っていい?」


「あ、カレー作る? そしたらしばらく困らないでしょ?」


「絹ちゃんは、優しいなぁ」と言って髪をくしゃくしゃと手を動かしそうになるけど、我慢してくれて、そっと撫でるだけで終わってくれた。


 スーパーに寄って湊のマンションまで行った時、後ろから女の子が声を上げる。


「あー! 先生」


「え? 島田?」


 金曜日、ホームで見た女の子がいた。女の子は駆け寄って、湊の腕を掴む。


「来ちゃった!」


「な…んで?」と湊が驚いて聞くと、にっこり笑顔で


「先生の鞄にGPS入れた」と悪気なく言う。


 私も湊も言葉を無くした。

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