第2話
愛を知りたい
似ている従姉妹の名前を呼ばれて私はその男の人が恋人だったことを知った。あの暑い葬式の日、ずっと外で立っていた彼とは違って見えた。もちろん、あれから五年経っている。
「…すみません」と男の人は頭を下げた。
そして私とすれ違って行く。私はなぜか声をかけた。
「あの…」
でも聞こえないのか、そのまま外階段を上がって行った。
あの夏の暑い日、彼は直立で首だけ項垂れていた。黒いスーツが似合っていて、私はなぜかその姿が陽炎とともに心に残っていた。今は背も丸まって、だらしのない恰好をしている。
二番目の扉を開ける瞬間、ちらっとこっちを見たけれど、すぐに戸を開けて、部屋の中に入っていった。
――彼は家庭を捨ててまで従姉妹と恋に落ちた。そして彼女が亡くなって五年経ってもなお、だらしのない姿のまま、この家に住んいる。きっとまだ愛は冷めていない。
(あの人は愛を知っている)
その感覚はなぜか私の胸を締め付ける。
しばらく閉じられた扉を眺めて、そして駅に向かった。
バイト先はケーキ屋が経営しているカフェだった。ポニーテールをまとめて、帽子をかぶる。制服も水色のワンピースにエプロンで可愛い。セルフサービスなので、注文された品を用意するだけなので楽だった。
「いらっしゃいませ」と言うと、湊だった。
わざわざ私の最寄り駅まで友達と一緒に来たようで、どこかで飲んでいたのか顔が少し赤いし、ちょっと気分がいいのか調子が良かった。
「絹ちゃん、可愛いねぇ」とふざけて言ってくる。
「なぁに? ケーキ食べるの?」と小さい声で答える。
「うん、食べる、食べる。イチゴのやつ」
「イチゴって、三つあるでしょ? ショートケーキとタルトと、パフェ…」
「絹のおすすめでいいよ」
酔っ払いは面倒くさいなぁと思っていると、友達が「すみません。酔ってて」と頭を下げる。
夜なのでそんなに混んでいないからいいけれど、とため息をついた。なんとか注文を聞いて、準備をする。
「湊の彼女、可愛いなぁ」
「自慢しに来た」
そう言われて悪い気はしない。トレイにお皿に乗せたイチゴタルトを乗せていく。飲み物はアイスコーヒーと言っていたので、氷をグラスに入れて、冷蔵庫を開ける。作り置きがあるので、それを注ぐだけでいい。
「お待たせしました」と言って、トレイを出すと、湊が何か言いたげにこっちを見た。
「絹…。今夜…」
「だめ。そんなにお泊りできない」と言った時、お客さんが来た。
「いらっしゃいませー」とワントーン上げて言う。
湊と友達はトレイを持って、席に着いた。
お客さんは老夫婦でいつもベイクドチーズケーキを買っていくテイクアウトの常連様だ。夜の散歩がてらケーキを買って帰るのだろうか。そんなことを想像すると、心が温かくなる。今夜もベイクドチーズケーキを二つ買って帰った。二人が帰って行く背中を見送ると、あの二人も愛を知っているんだな、と思った。
それに引き換え、と私は小さくため息を吐く。
湊は体育で同じ授業を取っていて、私も湊も見学の日があった。私はひどい日光アレルギーでテニスができなかった日があり、その日、湊はヘルニアで見学していた。日陰で見学も暇だったので、二人で話をしていた。映画の話で盛り上がり、レポートを提出しないといけないのに気がついたら授業終了十分前だった。二人で焦って、何とか提出した。そして週末に見たい映画が一緒だからと、そのまま出掛ける約束をした。
映画は全然楽しくなかったけど、二人で楽しくなかった点を考えあっていたら、あっという間に時間が経って、一緒にご飯を食べて…駅で別れる時、湊にまた行こうと誘われた。
湊の頬が赤くて、私もきっと同じくらい赤くて、なんだか恥ずかしくて笑い出したのを思い出す。
閉店前に湊と友達が出ていった。軽く手を振られたので、手を振り返してから頭を下げた。
バイトが終わって、着替えて店を出る前に携帯を見る。湊からメッセージが届いていた。
「お疲れ様。バイト姿、かわいかった。愛してる。またね」
「来てくれてありがとう。私も。またね」と返して「分からない」と呟いた。
その声を自分で聞いて「何が?」と思った。
昼間は蒸し暑かったのに、夜になると少し肌寒く感じた。私は自転車に乗ると急いで家路に向かった。
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