第3話

優しい人


 大学に行くと、門のところで湊に会った。


「絹、おはよー」


「おはよう。昨日はちゃんと帰れた?」


「うん。もちろん。絹ちゃんは今日も可愛いねぇ」と言って私の頭をぐちゃぐちゃとする。


「もー。それしないでって言ってるのに」


 ポニーテール結んだのが、ぐちゃぐちゃになる。ゴムを取って、もう一度くくり直そうとすると、鞄を持ってくれる。そういうところは優しいんだけど…、と湊を見る。ごめんって言いながら柔らかい笑顔を見せてくれる。その笑顔も嫌いじゃない。


「湊ー。本当にもう止めてよね」と口を尖らせて言うと「だって、髪の毛くくってるのかわいいくて見たいから」と言う。


「それでもだめ」と言っていると、後ろから湊の友達の麻友まゆに「相変わらず仲いいねぇ」と冷やかされた。


「でしょー?」と湊は臆面もなく言う。


「えー。もう、朝からうっとおしい」と麻友も笑いながら言った。


「だってさー。俺、本当に幸せなんだよ。絹と付き合えて」


「そんなこと言ってもらえる絹ちゃんも幸せよね」と肘でつつかれる。


 ポニーテールがようやく完成したから「うん」と返事をしてしまうと、麻友からさらに肘で強く突かれた。


「もう朝からバカップルに会って、落ち込むわー」と私たちを抜かして麻友は去って行った。


「あ…」と私は麻友に声をかけようとしたけれど、湊が


「ほんとだよ。絹と一緒にいられて…幸せなんだ」と言った。


 私は湊の笑顔が素敵だったから、そのまま頷いた。




 湊とは 授業も校舎も違うから、途中で別れる。


「またお昼に迎えに行くから」と言われる。


「湊…」


「ん? 何?」


「ううん。いつものところで待ってるね」と私が言うと眩しい笑顔を見せてくれる。


 先に行った麻友が「湊ー」と呼びかけている。麻友と湊が同じ学科で元々の友達だ。


「じゃあ」と湊はやっぱり私の頭をぽんぽんとして去っていった。


「もう」と言った言葉は届かない。


 私は自分の授業に向かった。




 一限の後は授業がなくて、空いていたので、友達とカフェで喋る。みんな自分の恋バナをしているので、黙って聞いていた。夏休みはどこに行くとか決めていて楽しそうだった。


「絹は? どこ行くの?」


「まだ何も…。湊は実家に帰るだろうし…」と言うと、みんなが「早く予定を決めて、旅行行くなら予約を取らないと」とアドバイスをくれる。


「ほんと、湊君って絹にべたぼれ…。って言うか、二人ともお付き合い初めて同士なんでしょ? なんか見ててピュアだわー」と桃が言う。


 桃は高校の時からの恋人で、今は社会人の彼がいるらしい。


「うーん。どうかな。ピュア…なのかな」


 私はずっと気になっていた性行為の頻度について聞いてみた。


「え? そりゃ、会ったらするでしょ?」と先輩と付き合っている奈々が言う。


「毎回?」


「毎回っていうか、ディズニー行ったとか、一日外にいる時はしないけど。何? 絹は嫌なの?」と桃も言う。


「あ、分かんなくて」と言いながら、みんなが毎回するって言うことに内心、驚いたけど安心もした。


「あー、まぁ、湊君もほら、まだ慣れてないし…。大丈夫、その内良くなる」と桃ちゃんはきっぱり言う。


「だって、初めては泣いちゃったんだよねぇ」と私の頭を腕に抱いて、奈々が良し良しする。


 すっかり奥手だった私はみんなに赤ちゃん扱いされている。


「まぁ、セックスなんてただのコミュニケーションの一つだから」と桃ちゃんはそう言って、アイスティを飲んだ。


(コミュニケーション…)と心の中で呟いて、私はそれができていない気がした。


「いいじゃん。湊君、愛してくれてそうだし。もう絹のこと大好きなのがだだ漏れだもん」と桃ちゃんは少しだけ眉根を寄せた。


「何かあったの?」と素早く奈々ちゃんは私の頭を解放して、訊く。


「…高校生の私に価値があったのかな」


「え?」と思わず私と奈々ちゃんはハモってしまった。


 社会人の彼は忙しくて、なかなか連絡が付かないらしい。それに高校の時は相手が大学生だったこともあって、まめに学校に迎えに来てくれたりしていたのに、とため息をついた。


「私が高校の頃なんてね、もう毎日電話は当たり前だったし、土日は絶対会ってたし…」


「だから桃、友達少ないよねぇ」と奈々ちゃんが言って、空気を吐く。


「今は土日も…疲れたとか言って、会う日が少なくって」とため息を吐いた。


 奈々ちゃんはそれは怪しいと言って、いろいろ言っていたが、私はため息をついた桃ちゃんの横顔が綺麗で見とれてしまった。恋してる顔だった。




 湊と待ち合わせてランチをする。食堂は人が多いので、コンビニでサンドイッチとお菓子を買って、のんびり芝生で食べる。今日は湿度も低く快適な気候だった。私たちは木陰に腰かけるけど、日差しを浴びながらのんびりする学生もいた。私は夏休みの予定を湊に訊いてみる。


「みんな旅行行くって言って…」


「旅行? いいね。どこか行きたいとこある?」と湊は笑顔で聞いてくれる。


「特にないけど…」


 私が言い淀んでいると、湊が私の頬をつついた。


「絹…。最近、なんか疲れてる?」


「え?」


「なんか…俺ばっかり好きみたいで」


 湊は芝生に視線を落とした。


 私はその芝生を手の平で撫でて「そんなことないよ」と言う。


「負担だった?」


 胸が縮こまる。なんて答えたらいいのだろう、と考えた。湊は優しいし、嫌いじゃない。すごくいい人だと思う。


「何もかも急だったから…。ちょっと戸惑ってるだけで」


「ごめん。絹が可愛くて。今度、ちゃんと外でデートしよう」と言うから、湊の方を見た。


 湊はじっと私を見ている。


「うん」と返事をしながら、やっぱり湊は優しいな、と思った。


「…やっぱり急すぎだった?」


 熱っぽい指が手の上に乗せられる。


「…ううん。なんか…慣れてないし、ちょっと恥ずかしいから」と俯くと、湊は「はぁ。絹ちゃんは可愛いなぁ」とぎゅっと手を握られた。


「大切にする」


 そう言われて、嬉しくないわけじゃない。


「デート…お弁当作るね」と私は言った。


「えー。マジか。嬉しい」とくしゃっと笑う湊の笑顔も好きだった。


 梅雨の合間の晴れ間で、空が明るい。私もここ最近の重い気持ちが晴れた気がして、湊に好きなお弁当のおかずを聞いてみたりする。そんなことを話していたら、湊のこと、あまり知らないんだな、と思った。




 帰りは湊と途中まで一緒だった。バイトがあるというので、乗換駅で別れた。湊は個人塾の講師をしている。お弁当のおかずを何しようかな、と思いながら、卵焼きは甘いの、と心の中で呟きながら歩く。


「絹ちゃん」と声をかけられて振り返ると伯母さんがいた。


「あ、こんにちは」


「今、帰り?」とにこやかに微笑まれるけれど、私は胸が痛んだ。


 いつも「鈴音にそっくり」と言われる。だから何だか会うとどうしていいのか分からなくなる。


「…そろそろ鈴音の命日だから、ちょっとお家に行ってたの」と私の母と話していたことを言った。


「そうですか…」


「来年は七回忌…。早いわねぇ」と少し遠くを見るようだった。


 私は曖昧に頷いた。


「絹ちゃん…。またね」と言いながら、私じゃない人に言っているみたいだった。


 そう言って去って行く伯母の後ろ姿を見つめる。


 七回忌。時間は過ぎているのにまだ少しも動けない人もいる。きっとあの人も。

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