第4話

デート


 帰宅後、晩御飯を作っている母に私は鈴音ちゃんのお母さんに会ったことを話す。


「そう。うちに来ててね…。ちょっと話して帰って行ったわ。淋しいのよね。きっと。冷蔵庫に頂き物のゼリーが入ってるわよ」と言いながら、お母さんはてんぷらを揚げる。


 私は今はゼリーよりてんぷらの方が気になって、お母さんの側に寄った。


「鈴音ちゃんの付き合ってた人ってどんな人だったの?」


「…建築デザイナーで事務所を抱えてて結構、上手くしていたみたいなのよ。そこにアルバイトで入った鈴音ちゃんと…恋に落ちたんだけど。妻子がいたから…。慰謝料やら養育費やらで一文無しになっちゃって…。事業も立ち行かなくなってね。だから余計に…」とお母さんは教えてくれた。


「やっぱり…反対してたの?」


「そりゃあ、お母さんだって、絹が既婚者と恋してたら怒るわよ。そんなこと許しませんって」と言って衣のついたエビを油の中に入れる。


 いい音がして揚げられていく。


「ふーん」と言いながら、美味しそうなてんぷらを眺める。


「でもね…。由美子さん…。認めてあげればよかったって」


 伯母さんがそんなことを言うなんて思いもしなかった。


「え? 不倫なのに?」


「認めてあげれば、勘当なんてしなければ、病院だって行けたのにって。死なせたのは私だって…」と言ってため息をつきながら、菜箸でどんどんてんぷらを揚げていく。


「…食べていい?」と揚げられたエビをつまもうとすると「熱いわよ」と注意される。


「私もね。もちろん人の道を外れるなんて許されないことだから、叱るわよ。でも…由美子さんの話を聞いて、結局、わが子可愛さに…って言う気持ちも出たわよ」


 そしてお母さんは「親は子を叱らなきゃいけない一番の存在で、許さなきゃいけない存在でもあるのよね」とため息を吐く。


「お母さん。私は…大丈夫だから安心して」と言った。


「エビ、お箸で食べなさい。…湊君でしょ? いい子よね。また晩御飯食べに連れて来なさい」


「夏休み、湊と旅行に行ってもいい?」


「…いいけど。分かってるでしょ? ちゃんとしなさいよ」


「はい」と言って、私は肩を竦めて、箸でエビをつまんだ。 それから私はお母さんに湊のお弁当を作る話をして、メニューを一緒に考えてもらったりした。



 湊とのデートは動物園で暑い日だったけれど楽しかった。休憩場所として屋外に屋根付きのテーブルが置かれている。そこを陣取って、お弁当を広げた。初めての手作り弁当は何とか成功して、湊に喜んでもらえた。


「絹ちゃん…、すごい。いいの?」


「うん。甘めの卵焼きも作ったし…。後、うちの特製シュウマイも」


 何を食べてもおいしいと言ってくれて、全部綺麗に食べてくれて、私は嬉しかった。


「俺、本当に幸せで…。なんか…生まれて来てよかった」と言うから、私は思わず湊を見た。


「大げさ…な」


 湊は首を横に振って


「ありがとう」と言ってくれる。


 お弁当一つでこんなにも感動してくれるなんて、と私はそこに嬉しくなった。


「あ、夏休み旅行行ってもいいって。お母さんに聞いたから。でも湊…実家に帰るでしょう?」


「あ、うん。でも…絹と旅行もしたいから」とスマホでスケジュールを見ている。


 私も湊の横に並んで、スマホを出す。湊はバイト先が塾だから夏休みもお盆休みくらいでほぼ忙しい。


「土曜の夜に出発して…月曜の昼に帰ってくるとか…」と言いながらスマホを眺めている。


「湊先生は忙しいね」と言って、顔を寄せると、湊が固まった。


 私は何かいけないことをしたのか、と思って、慌てて離れようとすると湊が肩を抱いた。


「何?」と湊を見ると、真剣な顔で見つめている。


「絹から近くに来てくれて…嬉しい」


「あ…。そう?」


「うん。だって、絹…最近…そう言うの嫌がってたし」


 伝わってたんだ、と私は思った。


「嫌って言うか…。恥ずかしいし…それに…何だか…体だけ…なのかなとか」


「そんなわけ…な…。ごめん。そう思わせて」


「あ、ううん。あの…ごめん。慣れなくて」


 二人で空のお弁当箱を前に何だか恥ずかしくなった。しばらく気まずい空気が流れたけれど、大きなカラスがテーブルに乗ったから慌ててお弁当を片付ける。小声で怖い怖いと言いながら、片づけて、ゆっくりと立ち上がって、そしてその場を離れるやいなや、湊と一緒に駆けだした。どっちが手を取ったのか覚えてないけど、しっかりと手を繋いで走る。


 動物園を走る二人は何だかおかしくて、笑いが止まらなくなった。




 その日、私は湊の部屋に行って、そういうことをした。湊は少し自制して、優しくしてくれる。


「ごめん。本当に。絹が可愛くて…つい。ごめん」


「ううん。キスして」


「キスは好き?」


「うん。好き」と私は湊の後ろ頭に手を回す。


 湊の手が私の肌の上を滑っていく。


「絹、柔らかい。名前みたいにすべすべしてる」


「女の子ならみんなそうだと思うけど」と私は湊の腕を手のひらで触った。


 塾の先生しているせいか、腕の筋肉が綺麗だ。何度も手のひらを往復させて確認する。


「…絹。抑えが…」


 結局、同じことになるんだけど、でも少しだけ湊の我慢している優しさが分かったから、少しは気持ちも凪いだ。


「湊…好き」


 一生懸命快楽を求めて動いている湊に言うと、急に止まって、抱きしめてくれた。


「絹…ありがとう」


 そこでどうして感謝されるのかはその時は分からなかったけれど、何度も求められたから、もう二度と言わないと思った。でも終わった後、湊がすごく優しくしてくれたから、許容する。


「立てない。喉乾いた」と湊に言うと、慌てて、水を持ってきてくれる。


「ごめん…。本当に」


「…もう」と言って、コップの水を飲む。


「泊まっていく?」


「いや、帰る」


 頭をぽんぽんと軽く撫でられる。でも泊まるなんて言ったら、また同じことが繰り返される可能性を考えると、とんでもなかった。


「しばらく休んで」と湊はシャワーを浴びに行った。


 男の子の性欲って本当にすごい。これでコミュニケーション取るとか、桃ちゃんたちは本当に上級者だな、と私は思っているうちに、いつしか眠ってしまっていた。




 夜中に目が覚めて私は驚いた。湊に抱きしめられながら眠っている。


「どうしよう」と起き上がると、湊も目を覚ました。


「ん? 起きた?」


「起きたじゃないよー。私、家になんの連絡もしてない」と慌ててベッドから出ようとしたら、湊に手を引っ張られた。


「もう終電ないし。連絡はついたよ」


「え?」



 私が寝ている間に家から私の携帯に電話がかかっていたらしい。湊は少し迷って電話に出て、私が疲れて眠ってしまったと伝えたらしい。そして一応起こそうとしたものの「湊君と一緒ならいいわ」とお母さんがそう言ったと言う。


「えー。絶対、怒られる」と私は頭を抱えた。


「本当にごめん。明日、一緒に謝りに行こう」


「いいよ。湊は…」と言って、布団の中に潜りこんだ。


「ごめん、ごめん」と謝る声が布団の外から聞こえる。


 私は頭を出して、湊を睨んだ。なのに湊は柔らかく微笑んで、私の頭を抱え込む。


「絹ちゃん、お泊りしちゃったね」


「もう、湊のばか。明日、朝一で帰るから」


 怒っても湊は何だか幸せそうだったから、私はもうどうにでもなれという気持ちでそのまま眠ることにした。



 翌朝、目が覚めて、すぐにシャワーを浴びる。一度家に帰って、学校に行く準備をしなくてはいけない。幸い二限からの授業なので何とか間に合いそうだった。


 シャワーから出ると湊がパンと目玉焼きを用意してくれている。


「絹ちゃん、ごめんね」と言いながら、嬉しそうだった。


「もう、もう、もう」と文句を言ったけれど、少しも気にしていない。


「一緒に謝りに行くから」


「いいよ。それは」


「…すごく幸せなんだ。絹ちゃんと朝一緒に目覚めれて」


 そう言われると、何も言えなくなる。朝日が充満して部屋は白い光でいっぱいで、湊が言う幸せが何だか分かった気がした。



 結局、朝ごはんを食べて、本当に湊は私の家まで来ると言う。二人で駅まで向かった。黙って手を繋いで歩く。私はまだ男の子の性欲に慣れてないけれど、湊が気を使ってくれているのは分るから、と思いながらアスファルトの二人の影を眺める。早朝だけど暑くなりそうな予感の日差しだった。


「ねぇ…。あの人…」と湊が話しかける。


「え?」と顔を上げると、従姉妹の恋人が向こうから歩いて来た。


「絹のこと…じっと見てるんだけど」


 確かに私を見ていた。


「…あ」と私が説明しようとした時、住宅の細い小道に入って行った。


「一緒に出てよかったよ」と湊が言うのに頷きつつも、もし一人だったらあの人に声をかけられていただろうか、と思った。


 通りかかる時に覗いてみたけれど、すでに部屋に入ったのかもう姿はなかった。


 陽射しが小道に影とのコントラストを作っていた。

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