第1話

蒸し暑い午後と嘘


 窓を開け放しても蒸し暑い部屋で同じ大学のみなととキスをする。キスだけならともかく、手がTシャツの中を滑り込んでくる。キスをしたら、すぐにそっちに流れるのが何だか残念な気持ちになる。


「ねぇ…。湊…」


「何?」


「暑いんだけど」


「クーラー入れる」と慌ててリモコンを探す姿を冷めた目で見てしまう。


 開け放した窓も閉められる。急に世界が閉ざされる。


きぬ…」と言って、戻ってすぐに下着を取ろうとしてくる。


 私は本当に困ってしまう。彼の隠そうともしない性欲にどうしていいのか分からない。分からなくていつも流されてしまうのだけど、今日は何だか本当に気持ちが乗らなかった。


「湊…ごめん」


「何?」


「…バイト」


「え?」


「バイトのこと忘れてた」


「…休んだら?」


 性欲って怖い。無責任ですごく酷いことをあっさり口に出すなんて、と思った。私も『バイト代だしてくれるの?』と言いたくなったけど、黙って衣服を整える。


「ごめんね。夏休み近いし、お金必要だから」


「絹」とまだ抱きしめてくる。


「ほんとごめんね。また来るから…」


 謝ってまで、とにかく解放して欲しくてそう言った。バイトの時間にはまだ余裕があったから、嘘ついたことになるのかな、と謝る理由を探したりもする。


「明日は?」


「湊のバイトは?」


「夕方あるけど、それまでの間」


「時間ないの嫌だよ」と言いながら、本当に湊は私のこと好きなのか分からなくなってくる。


 友達に言うと


「そりゃ、若いからねぇ。しかも湊…絹が初めてなんでしょ?」と言われた。


 私も初めてだったけど、そんな風に思えなかった。


「男の子は大変なんだよ」と先輩風を吹かされただけだった。


 なんとか湊をなだめて、私は表に出た。湊は不貞腐れたのか、駅まで送ってもくれなかった。まだ明るい時間だし、それでよかったけど、とため息を吐く。汗ばんだ肌が気持ち悪い。バイトに行く前にシャワーを浴びてから行こうと思った。


 駅までの道に家と家の間に小道がある。その奥には古いアパートがあった。なぜそれを知っているかと言うと、昔従姉妹が住んでいたからだ。その従姉妹は私より十歳以上年上で、親の反対を押し切って、恋人と同棲して…そして病気で亡くなった。


 私と従姉妹はなぜかそっくりだった。だからお葬式の日に私を見た伯母さんに泣かれてしまった。そしてこっそり打ちひしがれている従姉妹の恋人も見た。お葬式に入らせてもらえず、ずっと門のところで立っていた姿を私は見ていた。まだ小学生だったけれど、その姿がずっと心に残っている。お葬式の日も暑くて、陽炎がアスファルトに上っていた。従姉妹が住んでいたというアパートに私は立ち寄ってみた。ただの興味本位で。


 まだ元気だった頃の従姉妹に私はこっそり会いに行ったことがある。私の母がお遣いを頼んだのだった。伯母さんが少しお金と、うちの母がちょっとした服を私に託したのだった。


 従姉妹はとても綺麗だったけれど、痩せていた。


「すごく痩せたね」と言うと、笑いながら


「ちょっと夏バテかな」と言う。


「これ、おばさんとお母さんから」と渡されたもの見せた。


「…ありがとう」と少しだけ涙を零した。


「ねぇ、どうして反対してるの?」


 中学生の私にはよく分かっていなかった。従姉妹の恋人はバツイチだったらしい。子供はいるけれど、奥さんが引き取ったと。そしてその原因が従姉妹だったなんて知らなかった。


「…絹ちゃん…。素敵な人と結婚してね」と従姉妹は私の質問に答えずにそう言う。


「うん? 結婚…かぁ。私ね、出版社で働きたいの」と話は違う方向へ言った。


 あの時、ちゃんと話を聞ける大人だったら本当に良かったのに、と少し後悔している。


 従姉妹は健康保険に入ることもなかったらしく、病気の発見が遅れて、そしてあっという間だった。伯母さん夫婦が当時の恋人に当たったのは言うまでもなかった。



 夏の日差しをアパートの前の大きな木が遮ってくれる。私は二階建てのアパートを眺めた。従姉妹は反対された相手でも幸せだったんだろうか、と思いながら、見上げる。私は特に反対もされない交際相手だけど、もし反対されてたら…家出まではしないかな、と冷静になっている自分が残念になる。


 回れ右して帰ろうとしたら、小道を男の人が歩いてきた。ぼさぼさの髪で、グレーのよれたTシャツを着ていた。その人がふと私を見て言った。


「…鈴音すずね


 それは従姉妹の名前だった。

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