第33話
好きだから
電話の相手はやはり桃ちゃんの元カレだった。桃ちゃんはスピーカーにして通話していた。
「今日、桃と話したかったのに、逃げられてショックだった。もう一度だけ会いたい」と相手が言ってきて、桃ちゃんは断った。
「いなくなって、本当に大切なことが分かったから」と苦しそうな声が聞こえる。
「遅いよ。私は私を大切にしてくれる人に時間を使いたい」
「…本当にごめん。甘えてた。仕事覚えるので大変で…って言い訳だけど、ちゃんと会って話がしたい」
「私はしたい話なんてないよ。どうしてもって言うなら、友達連れていっていい? じゃないと行かない」
「分かった」
待ち合わせの時間と場所を決めて、私も翠さんも付き合うことになった。
急遽、三人でファミレスに行くことになった。翠さんが車で連れて行ってくれる。私と桃ちゃんは後部座席に座った。なんとなく。
「すみません」と桃ちゃんが頭を下げる。
「シュークリームもらったからね」と翠さんが言う。
桃ちゃんは大きくため息をつく。
「本当は…私、絹と別れて欲しくて…」と運転席に向かって言うから、私は驚いた。
「そっか」と言って、平然と運転を翠さんはしている。
私は桃ちゃんの二の腕をつついて、耳元で「付き合ってないから」と小声で言う。
「え?」と桃ちゃんが私を見る。
「勝手に押しかけてるだけだから」とこっそり言う。
「…で…も」と桃ちゃんが動揺する。
「いいの。それで」
「絹…」
「だから…何も言わないで」と私は桃ちゃんにお願いした。
すると眉間に皺を寄せて、桃ちゃんはその後すぐに笑いだした。
「え? なに?」と私は桃ちゃんを見ると、桃ちゃんが耳に口を近づかせる。
「きーぬー。押しかけ女房なのに、友達の恋愛始末まで相談してるのずーずーしすぎ」
そう言われれば、そうだ、とはっとする。
「あ。ごめんなさい。翠さん」と突然言うから、翠さんが「え? 何が?」と言う。
「えっと…急に来て、こんなことまでお願いして…」
「いいよ。来てくれて嬉しいし」とさらっと言った。
「え…でも」と言ったら、桃ちゃんにほっぺをむにゅっと掴まれて「ありがとう、でしょ? そこは」と言われた。
「ありがとうございます」とほっぺを掴まれたまま言う。
バックミラーに映る翠さんの顔が少し笑っていた。
ファミレスに着くと、もう桃ちゃんの元カレは来ていた。翠さんを見て、不安そうな顔をする。桃ちゃんの新しい彼氏だと思ったのかもしれない。
座り方が難しくて、桃ちゃんは元カレの前に座って、私はその横に座ると、翠さんは元カレの隣に座るしかなかった。桃ちゃんが一通り紹介してくれるけれど、翠さんにいたっては私の友人ということになった。
「桃、本当にごめん」と頭を下げる。
「もういいよ。何度も聞いたし。謝ってもらっても…」
息が詰まる。私は桃ちゃんの気持ちも知っているから、苦しい。
「許してくれるのなら、やり直ししたい」
「どうして? …振られた?」
私は思わず桃ちゃんの横顔を見た。もちろん元カレは固まっていた。
「私、知ってたよ。新社会人で浮かれてるの」
「え? 何の…」
「
連絡が来ないから、桃ちゃんは元カレの友達に近状を聞いていたのだった。
「…それは…大げさに話してた…」
「大げさに話す? 会社の人とホテルに言ったとか? どう大げさに話すの? 入ってないのに、入ったとか? 入ってもしてないのにしたとか? そんなことどうでもいいよ。一時期、私に気持ちのなかったって事実には充分傷つけられたから」
「…桃。じゃあ、俺のこと好きなんじゃん」
そうだよ。桃ちゃんはずっと好きだったんだよ、と私は元カレを見た。
「好きな人だから…許せない」と桃ちゃんは言った。
「でも…心入れ替えるから。もう一度チャンス」
元カレは少しも分かってない。桃ちゃんがどんな気持ちでいたのか。
「馬鹿にしないで。私は全部を賭けてもいいくらい好きだったから。だからこそ、やり直せない」
なぜか私が涙を零してしまう。奈々ちゃんと合コンに行った桃ちゃん。みんなで海に行った桃ちゃん。楽しそうにはしゃいで、前を向かなきゃって言いながら、どこか寂しそうだったのを私は知っていたから。明るく振る舞いながら、遠くの記憶を見ている横顔を見て来たから。
「今度こそ、大切にするから」
ちっとも伝わらない駄々っ子のように元彼氏は復縁を繰り返す。
「…それなら…本当にそう思うのなら」
元彼氏の期待する目を見た。
「次、付き合う人を大切にしてあげて」
どれだけ桃ちゃんは自分の心にナイフを突き立てているんだろう、と私は思った。きっとこのどうしようもない元カレのこと、まだ好きなんだ。それでも心を鬼にして、自分の心を切っている。
「そん…」と言葉を失くす。
「もう付きまとわないで。二度と会いたくない」
桃ちゃんが私を促した。翠さんも伝票を持って立ち上がる。翠さんが全部払おうとするから、桃ちゃんが店員さんに「あの、一人まだ席に残ってて」と言って、元カレの分を差し引いて、残りをさっさと払ってしまった。
「付き合ってくれたお礼」と桃ちゃんは手をひらひらさせる。
そして泣いている私の頭をぽんぽんとして「今日はお泊りしよっか」と言う。
「え? カラオケ行く?」と聞くと「翠さん家」と言う。
「私がアリバイ人になってあげるから、絹は翠さん家に泊まったらいいよ」と私に家に電話するように言う。
「でも…」と言ってる間に、桃ちゃんは私のスマホを鞄から漁り、顔認証を勝手に使って、家に電話を掛ける。
「あ、お母さん?」と私はつながってしまったスマホに向かって言う。
するとすぐ横にいた桃ちゃんが「あのー、いつもお世話になっております」から始まって、流暢な言葉で、相談事があるので、自分の家でお泊りさせてくださいと言った。もちろんお母さんは承諾してくれた。
「付き合ってくれたお礼第二弾」と桃ちゃんは誇らしげに言う。
でも私は今、一番悲しいのが桃ちゃんだって分かってるから、横から抱き着いて「今日は離さないって言ったでしょ? カラオケ行こう」と言った。
「絹、カラオケのオールするお金、もうないでしょ?」
「おろしたらあるもん」
私たちの言い合いを見ていた翠さんが車の扉を開けて
「うちで二人とも泊まったら? 俺、急ぎの仕事あるし」と言った。
「え? 急ぎの仕事?」と私たちは顔が青くなる。
「寝る予定だったけど、寝ずにしたらできるから。早く乗って」と言われて、慌てて乗り込む。
車内ではひたすら二人で謝った。
「いいよ。別に」と笑う。
気が抜けた私は桃ちゃんに抱き着きながら、気が付いたら眠っていた。
良い匂いのする桃ちゃんに膝枕されていた。そして頬を指でつつかれている感触がする。目を開けようとした時、桃ちゃんが軽く笑う。
「赤ちゃんみたい。…翠さん。絹のこと、どうするつもりなんですか?」
そんな桃ちゃんの声が聞こえたけど、翠さんの返事は聞こえなかった。目を開けるタイミングを失い、私は寝たふりをしなければいけなかった。
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