第60話
大好きな人
私は悩んで、蓮君を友達追加する。その日の夕方には蓮君からハローとスタンプが送られてきた。少し悩んだものの、翠さんの住所を教えてもらう。すぐに送られてきたけど、
「絹ちゃん、デートしよう」と送られてきて驚いた。
「デート? ってなにするの?」
「えー? 絹ちゃんデートしたことないの?」と逆に聞き返された。
ハーフでイケメンの漣君とその上,年の差があるから周囲の目がすごいことになりそう…と思いつつ
「お茶する? ケーキ食べに行こうか?」とやんわりと回答を避けた。
「やったー。じゃあ、駅で待ち合わせしよ」とすぐに返事が来て、私は蓮君とデートとは言えない、言ってはいけないお茶をすることになった。
約束の時間に駅に行くと、教育実習の時よりさらに背が伸びたように感じる蓮君が立っている。
「あ、待たせちゃった」
「いいよー。デートって感じするよね」と嬉しそうに笑うから、少しドキドキしてしまった。
ハーフの蓮君は本当に美男子になった。
「ケーキ、食べよう」とぎこちなく誘って、私の方が余裕がなくなる。
私のバイト先じゃない、駅すぐそばのカフェに入る。
二人でパンケーキを頼んだ。席に座ると、蓮君がにっこり笑う。幼い頃の面影も残しつつ、二年でこんなに変わるなんて、本当に驚いてしまう。
「レゴ一緒にしてくれたね。あの時から絹ちゃんは優しいなーって思ってた」
「だって…可愛かったし。今は大人になっちゃって。もうレゴはしないでしょ?」
「するよ? 大人向けのレゴあるし。やっぱり、俺も…お父さんみたいに建築家になりたいって思ってるし」
「そうなの? 翠さんきっと喜ぶね」
血は繋がってなくても、二人は親子だ思った。漣君が小学生の頃、翠さんはプールに連れて行ったり、食べるものも気を付けたりしていたことを思い出す。
「そうだといいけど」
「親子二人でマレーシアってどうだった?」
「あー、暑かったなぁ。でも人が優しくて、学校も日本と違って、緩くて…。後、向こうでおばあちゃんを雇ってて…」
本物の乳母と漣君は暮らしていた。学校の送り迎えも、掃除もしてくれると言う。そのおばあちゃんは通いで朝早くから来てくれて、一緒に学校まで行った、と漣君は楽しそうに話す。
「そっかぁ…」と私はなんとなく乳母の役目を全うできなかったような悔しさを感じる。
パンケーキが運ばれてくると、漣君は写真を撮って「お父さんに送ろうっと。絹ちゃんに会ったこと伝えたら、すごく驚いてたから」と言う。
「あ、言ったんだ」
「え? 駄目だった?」とスマホを操作しながら聞く。
「ううん。駄目じゃないよ」
ただ翠さんから私には何の連絡もなかったことが哀しくなった。
「絹ちゃんは今、彼氏いるの?」と漣君に聞かれる。
「あ…いないよ。なんか…上手く行かなくて。全部、私のせいなんだけど」
「ふーん。まぁ…よく分かんないけど。良かった」と言われて、思わず漣君の顔を見る。
何だか会話がスムーズにいかないな、と思って、私は勇気を出して翠さんのことを聞いてみようと思った。
「翠さんは」と私が言うと同時に「お父さんの」と漣君が言った。
「あ、ごめん。どうぞ」と言うと、漣君はにやっと笑って、「お父さんのこと、好き?」と訊く。
「え? あ、はい」
今さら隠す必要もないし、ずっと好きだって思って生きて行こうと決めたばかりだったから、正直に言う。
「…どういうところが?」
「うーん。どういうところって言うか、全部。見た目も中身も才能も」と言うと、漣君がちょっと顔を赤くする。
「そりゃ、勝てないなぁ」
「え? 漣君はすごく男前だし、性格もいいし…」
「才能はまだないけどね」と少し横向く。
そして黙り込んだので、気まずくなって、私は黙ってパンケーキを口に運んだ。シンプルなメープルシロップとバターのおいしさが口に広がる。漣君は一口も食べていない。
「あれ? お腹空いてない?」
「うん。…ねぇ、お父さんの、見た目も中身も才能も好きなの? それだけ?」とまた聞き返す。
私は記憶の中の翠さんを思い出した。会うまではずっと陽炎の中にいた後ろ姿だったけど、今は違う。話をしたり、抱き合ったこともある。
「そう。後…声も」と言うと、漣君が顔を手で覆った。
何だか馬鹿なことを言っただろうか、と少し反省すると、漣君が私から目を逸らして、軽く笑う。
「なに?」
「お父さんの見た目と中身と才能と声が好きで、他はないの?」と繰り返す。
やけにしつこく聞くなぁ、と不思議に思いながらも、考えて答える。
「他…他にはえっと。…あった、匂いも好き」
「見た目と、中身と、才能と、声と、匂いが好きでいいの?」と確認するから、疑問に思いながら頷いた。
ぽんと左肩に温かさが伝わる。
漣君が笑っていて、私は肩の温かさのその温度と大きさでそれが翠さんだと分かった。
「…え、後…体温?」と私は漣君に言った。
「そう、体温も?」と言った人は隣のテーブルに座る。
店員さんがお冷を持ってきて、その人はコーヒーを頼んだ。大好きな声の持ち主を私は見れない。見たら消えてしまうかもしれないと思ったから。
「絹ちゃん」
名前を呼ばれる。
「はい」と言ったものの、私は前を向いたままだった。
目の前には微笑む漣君。隣には大好きなあの人。
「教員採用試験、落ちちゃったんだ」
そう言われて、私は思わず横を向いた。
ずっと想っていた柔らかい笑顔がそこにあった。
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