第59話
思い出がいっぱい
白い封筒に浮かび上がる文字は懐かしい人の手書き文字だった。開封できずにじっと眺めてしまう。
「アパートを取り壊して、土地を売ろうかと考えててたんですけどね。伯母の家に模型がありまして、それが良くできていて…同じものが作れるのかと思って。伯母に連絡先を聞いたんです。それで彼と連絡を取って、模型と同じアパートを作ることにしたんです。今はバンコクでお仕事されてるみたいで、わざわざこちらに帰ってきてもらっ
て…その時にね。この手紙を預かったんです。いつか完成した時にきっと見に来るだろうからって」
「私が? 来るって?」
「早かったですね」と甥っ子さんは笑う。
「たまたま友達が内覧しようかって聞いて、見せてもらったんです」
「割と人気で、早めに来られることをお勧めしますよ」と言ってくれる。
「長谷川さんが恋人と前のアパートで暮らしてて、そのアパートが気に入ってたから…それをモデルに新しく考えたみたいで」と私が言うと、甥っ子さんは少し首を傾げた。
「でも…『大切な人との約束だから…って。いつか見てみたいって言ってた希望を叶えられた』って言ってましたけどね? で、もしその人が来たらって預かった手紙なんですよ」
温度のない手紙が温かく感じる。
「…そう…ですか」
開く勇気がなかった。知らない人の前で号泣しそうだったから。
私はお礼を言って、席を立つ。
「本当は私が住みたいんですけど…。でも教員採用試験に失敗してしまって。後、一年は無職決定なので…残念です」と自分の事情をぶちまけてしまった。
「それは…残念ですね」と少しだけ笑いを堪えたように言う。
とりあえず、桃ちゃんたちのところへ戻ろうと、約束の夜の写真を撮って送った。
「まだ待ってるけど、どこかお茶するところに移動するね。絹、お腹空いたでしょ? 軽食も食べれるところに行かない?」と言ってくれる。
大手チェーンの喫茶店に行くことにした。そこなら食べることもできる。私は電車の中でたまらず手紙を開いた。
『絹ちゃん。
元気にしてますか? 突然、君の前からいなくなって、ごめんなさい。君はきらきらしていて、日の当たる場所が似合うのに泣かせてしまって申し訳なく思ってます。
でもあの時はあのアパートで少し休んでよかったのかな? そう思ったから、部屋に来てもらったけど、君が来てくれて、救われたのは俺の方でした。なんとなく生きてて、後は死ぬまでのカウントダウンだと思って、実際、死のうとしたけど死にきれなかったし、もう諦めて死ぬまで生きようという消化試合を一人でしてました。
好きだった建築も仕事の一つとして、ただ言われたことを図面に起こしたりして、少しも楽しいと思うこともなく、日々が終わるのだけを待っていました。
そんな時に、君は本当に小鳥が飛び込んできたみたいに、突然現れて、驚いたけれど、すごく楽しい毎日でした。
最初は戸惑いもあったけど、その内、君が来てくれるのが楽しみで、会えない日も、君が一人で何をしていたか想像するだけで気持ちが明るくなりました。
そして可愛い君に強く惹かれたものの、鈴音のことがどうしても二人の間にはあって、嫌な気持ちにさせてしまったかもしれません。鈴音を忘れることは一生ないと思います。でも絹への想いは俺にとって奇跡だったと思ってます。一緒にいて、楽しくて、建築に対する想いも蘇ってきたし、生きることへの希望も出てきました。
本当にありがとう。可愛くて、幸せでした。
どうか君がどこにいても、誰といても幸せであることを祈ってます。
きっと君はきらきら明るくて、どこにいても周りを幸せにできるから。
ごめんね。ありがとう。 長谷川翠』
電車のドアの付近で私は泣きながら手紙を読んだ。
私もあの部屋で翠さんがいなくても、翠さんのことを思って、掃除したりご飯作ることが幸せだった。きっと喜んでくれるだろうな、と思って。
窓に写る自分の顔を見ながら、私はあの部屋をどうにかして借りれないか考えたものの、先立つ資金はなかった。一月だけなら借りれるかもしれないと思ったけれど、一月だけ貸してもらえるとは思えなかった。
メッセージが届く。
「今日はオールだよ」と奈々ちゃんからだった。
桃ちゃんからは待ち合わせ場所の喫茶店のお店を連絡するメールが届いた。私はお母さんに今日は桃ちゃんたちとオールするから、とメッセージを送る。
「了解」とだけ返ってきた。
そして手紙を鞄に閉まって、桃ちゃんたちの場所に急いだ。
駅前の喫茶店ですぐに分かった。私はお店に入る前に窓際にいた二人に手を振る。二人もおいでおいでと手招きしてくれた。店に入って、すぐに二人の席に着く。メニューを差し出されて、急いで私はピザトーストとアイスティを店員さんに注文する。
「どうだった?」と奈々ちゃんが待ちきれないように聞く。
「奈々ちゃん、借りて。あの部屋借りて。人気で埋まっちゃうんだって」と私は水を飲んで一気に言う。
「え? なに? 不動産屋さんまで行ったの?」と桃ちゃんが首を傾げる。
二人にさっきの出来事を話した。すると奈々ちゃんは口に手を当てるし、桃ちゃんは目を潤ませていた。
「え? どうした…の?」
「…ロマンティックじゃない。二人で作った模型の家が…数年後に建てられたなんて」と奈々ちゃんが言う。
「それに…絹宛てに手紙も書いてくれて…」と桃ちゃんは涙を必死に堪えている。
「二人とも反対してた…のに?」と恐る恐る聞いてみた。
「してたよ。反対。でも…二人で作ったものを、いつか本当に叶えて、それで…見せたい人がいるって…。そう言うの…なんか、いい」と奈々ちゃんは言う。
桃ちゃんは翠さんと会っているから、余計に分かるところがあるみたいで、
「翠さんは本当に絹のこと好きだったと思うよ。それに救われてたんだなって思った」と言ってくれた。
「…でも私は…実感できなかったけど。今もそんなことしてたかなって。手紙でそう書いてくれて、もちろん嬉しいけど…」と言って、手紙を出す。
二人に読んでもらったら、ハンカチで涙を押さえていた。
「バンコク行ったら?」と桃ちゃんが言う。
「せっかく採用試験、落ちたんだし」と奈々ちゃんまで言う。
「せっかくって…」と思わず呟いたものの、私は確かにいい機会にも思えた。
「シンガポール航空使って」と桃ちゃんが言う。
「えー? でもまだ桃ちゃんはフライトに乗らないでしょ?」
「うん。まだ乗れないけど」
夜のテンションかもしれない。私はすっかりバンコク行きを心に決めた。ピザトーストを頬張っていると、二人が「美味しそう」と言うから分けてあげて、結局いろいろ追加注文する。
「あれ? 二人で食べたんだよね?」と訊くと
「食べたよー。でも絹が美味しそうに食べるから」と奈々ちゃんが言う。
「そうそう。あ、でもデザートは食べてない。一緒に食べようと思って」と桃ちゃんが笑う。
「もう、桃ちゃんもあのアパート借りたらいいよ。私は…借りれないけど。無職だし」と俯いた。
「絹とシェアハウスしようか?」と桃ちゃんが言ってくれるから、思わず顔を上げる。
「えー、いいなぁ。私も一緒がいい」と奈々ちゃんも言ってくれる。
「嬉しいけど、二人とも婚約者いるじゃない」と私は膨れた。
考えてみれば、二人とも婚約者どころか、職も決まっていた。奈々ちゃんは百貨店のバイヤーになりたいと言って、百貨店に就職を決めていた。
「…か、格差を感じる」と私が言うと、二人が笑った。
「ゆっくりいこ。絹は絹のペースでいかなきゃ」と桃ちゃんが言う。
「そうだよ。きっと来年は受かると思うよ。来年、講師して、お試しで働けるのもいいと思うし」と奈々ちゃんがフォローしてくれる。
「…うん」
「絹、私はシェアハウスしてもいいよ? 英さんはアメリカだし。しばらくの間は一緒にいれるよ?」と桃ちゃんが言ってくれる。
嬉しい、と一瞬思ったけれど、桃ちゃんはきっと空港に近いところがいいはずだった。
「嬉しいけど…、桃ちゃんの負担にはなりたくない。ごめん。適当なこと言って」
「えー。でも絹と過ごしたら、幸せだと思うけどなぁ」と桃ちゃんが言うと、奈々ちゃんも横で頷く。
「そうかなぁ」
「翠さんも、そう思ってると思うよ」と桃ちゃんが私に言う。
「…バンコク、着いていってあげようか?」と奈々ちゃんが言うから、卒業旅行にバンコク行こうか、と盛り上がった。
本当は桃ちゃんのシンガポールに行こうかと言っていたけど、と言うと、シンガポール経由でバンコクに行ったら両方楽しめると言う話になって、延々旅行の話になった。
話がつきないから、ずっと一緒にいて、笑ったり泣いたり、そういう時間ももう終わりに近づいているんだな、と思うと、それがまた愛しく感じる。私は二人に心の中で
「ありがとう」と言う。
「ねぇねぇ。みんなでラブホテルいかない?」と奈々ちゃんが言い出す。
「え?」と私と桃ちゃんは驚いたけれど、女子会もできるらしいと奈々ちゃんが言い出した。
「ごろごろしながら話したいし、シャワーも浴びれるよ」と言われると、なるほどと一瞬、納得したものの、検索すると思ったより高くて、結局、当日で探せるサイトで安い大型普通のホテルに三人で宿泊することになった。
コンビニで買ったお菓子やジュースを並べていると、
「あー、最高だね」と桃ちゃんが言うから、私と奈々ちゃんは顔を見合わせた。
桃ちゃんはいつも少しクールだから、そんなこと言うなんて思いもしなかった。
「え? 変な事言った?」と桃ちゃんが焦る。
「ううん。最高なこと言ったよ」と奈々ちゃんが桃ちゃんをハグする。
だから私もハグして「最高だよ」と言った。
ベッドの上でだらだら話していたけど、私はすぐに寝てしまったらしい。翌朝のモーニングビュッフェに間に合わないと起こされるまで気が付かなかった。買ったお菓子はそのままテーブルの上に飾られていた。かわいいお菓子のパッケージが並んで、まるで私たちのわくわくがずっとそのまま置かれているようだった。
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