第47話

恋人


 海岸沿いの道路を車で走っている。海と空が青くて、今日も日差しがきつい。翠さんが眼鏡を掛けながら運転をしていて、何だか新鮮な気持ちになる。


「はー。おいしかったなぁ」と私は車の中でもまだ高級フルーツパフェの味を思い出していた。


 スイカとドラゴンフルーツがさっぱりしていて、どれだけでも食べれそうだった。約束どおり高級フルーツパーラーに連れて行ってもらって、そこからドライブに出かけた。お母さんには奈々ちゃんの家に泊まりに行くと嘘を吐いて出てきたので、奈々ちゃんにメッセージを送っておくとOKのスタンプが返ってきた。


「翠さん…。模型…できましたか」


「あ、そう。漣が来るから押し入れにしまってて。後少し。マレーシアに行く前にはできると思う」


「そっか。出来たら私も見たいので、教えてください」


「うん。そうだね。旅行行ってる間に大分できたからね。…旅行楽しかった?」


「はい。あ、そうそう。一度、翠さんのお家に泊まった桃ちゃん、覚えてますか?」


「うん。どうかしたの?」


「結婚するんですって」


「えぇ?」と翠さんが驚いたような声を上げる。


「すごいでしょ? でも桃ちゃんは客室乗務員になる夢があるし、お相手の方はアメリカの大学に留学するから、婚約? になるのかな?」とはしゃいで話してしまう。


「それはおめでとうだね」と翠さんも微笑んでくれた。


 ふと翠さんは騙されて学生結婚したということを思い出すと、あまりこんな話をするべきじゃなかったかもしれない。しかも南さんの嘘だったとはいえ妊娠させたという立場だったから、あまり歓迎ムードではなかったはずだ。


 私が突然黙り込んだから、翠さんが「どうかした?」と言う。


「あ、いいえ。あの…そうですね。おめでとうです」


「絹ちゃんは結婚したいの?」


「け…こん」


 私は運転している翠さんの横顔を見る。翠さんがどういう意味でそんなことを聞いてきたのかは分からないけれど、自分の今の気持ちをちゃんと言おうと思った。


「それはいつか…はって思ってます。まだ私は自分の夢もぼんやりだし…。何がしたいとか桃ちゃんみたいに明確に決まってるわけじゃないし。それに…」と言いかけた時


「ここでいい?」と翠さんが車を一旦停止する。


 二階建てのカフェだった。


「あ…。はい」


「それに? ごめん。話区切って」


「あ、いえ。あの…」


 続きを言えなくなってしまって、私は鞄を持って、車を降りた。


(翠さんが好きだから…なんて言えなくなってしまう)


 翠さんはもう結婚なんて考えもしないだろうな、と思う。だから私は翠さんを好きな間は結婚ができない。


「絹ちゃん、行こう」


「はい」


 自然に手を出してくれるから、私はその手を握る。


「ここのドライカレーが美味しいんだって」と翠さんが言うから「本当にカレー好きなんですね」と私は笑ってしまった。


「そうだね」と翠さんも照れ笑いする。


 私はこれからカレーを見る度に翠さんを思い出すのかな、とふとそんなことを考えたりして、でもすぐに顔を上げる。潮風が心地よくて、見上げる二階建てのカフェは白くて青い空に映えていた。


 二階の海が見える窓際の席が空いていたので、そこに座る。翠さんはドライカレーに目玉焼きをトッピングして、私はエビフライ定食を注文した。平日の少し遅いランチはお客さんも少なくて二階はほぼ貸し切りだった。


 窓からはまっすぐ水平線が見える。思わず何度も写真を撮って、桃ちゃんや奈々ちゃんに送る。


「綺麗。でもさすがにインスタにはあげれないね」と奈々ちゃんがすぐに返事をくれた。


 私のインスタをお母さんもフォローしているから今日のことは友達にメッセージを送るしかできない。


 二三やり取りをして、スマホを置いた。


「わー、いい景色ですね」


「ほんとだ。いつも画面ばっかり見てるから疲れが取れそう」


「マッサージしましょうか?」


「ありがとう。今日は大丈夫だよ」と言って、眼鏡をはずした。


「近眼? ですか」


「運転するときは眼鏡かけるようにしてる。変だった?」


「いいえ。二度おいしいです」と言うと、翠さんが噴出した。


 しばらく笑っていたけれど、翠さんが私をじっと見て言う。


「…元気になった?」


 不意に聞かれて、私は戸惑った。


「夏休み終わったら…もう来ない?」


 湊のことで落ち込んでいたという点では元気にはなったし、夏休みが終わったら、大学に行くからこんなに頻繁には来れない。


「…来ても…いいですか?」


 翠さんが優しい顔で微笑む。


「元気になっても? 来ていい?」


 そのまま頷いてくれる。


「好き…です…か?」


 私はうっかり変な事を聞いてしまう。


「好きだよ」


 カレーのことかな、とそんな考えが浮かぶ。


「…鈴音ちゃん…と建築と…カレーと…」と必死に例を私はあげていく。


 階段を上がる足音がして、翠さんの注文したドライカレーが運ばれてきた。元気のいいお兄さんで「エビフライ定食、すぐ持ってきます」と言って、駆け足で降りて行った。ドライカレーには干しブドウが混ざっていて、ミートボールもついている。


「美味しそう」と私が思わず言うから、翠さんがスプーンに少し掬って渡してくれる。


 私はスプーンを取ろうとしたら、手を離してくれない。不思議に思って翠さんを見たら「デートだから。はい。あーん」と言われた。


 顔が一瞬で熱くなるのが分かる。


 口を開けると、舌の上にスプーンが乗る。ドライカレーが口に入ってきたけれど、私は味よりなにより、今の行為に衝撃を受ける。


(恋人っぽい)


 甘い干しブドウとスパイスの効いたカレーが口の中で混じる。


「おいしい?」


(完全に恋人っぽい)


 思わず両手で頬を押さえて、何度も頷いた。そしたら翠さんが私の鼻を軽く指で押して


「絹ちゃん」と言うから「はい」と返事をした。


「好きだよ」


 私が動かないから、また指で鼻を押される。


「絹ちゃんが好きだ」


(私、恋人っぽい!)


 何か言おうとした時、軽快な足音がして、エビフライ定食が運ばれてきた。元気よく


「お待たせしました」と言われる。


 翠さんが「ありがとうございます」と言いながら受け取ってくれた。


 私はずっと動けないままで、視線を海に動かす。そしてそのままエビフライに視線を向けて


「大きいです」と言ったら、また翠さんが笑った。


 大きなエビフライが二匹並んでいる。


「私も好きです」


 翠さんに「エビフライが?」と訊かれてしまった。


 少し遅いランチはドキドキしながら、でも嬉しくて、涙が零れそうなゆらゆらした視界で海を映しながら食べた。



 青くて。空が、海が、光って。今が眩しくて。私は瞳を閉じた。

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