第22話

憩いの時間


 待ち合わせ場所でぼんやりしていると、知らない人に声をかけられる。夏はみんな時間があるのだろう。


「一緒にご飯行かない?」


「待ち合わせしてて」


「そっか。またね」


 案外あっさり引いたな、と思いながらどんな人から声をかけられたのかも見ていないことに気が付いた。声をかけて来た人は人込みに紛れて、誰なのかももう分からない。袖振り合うも他生の縁と言う言葉が本当なら、彼と私にも何か縁があったのだろうか。


「絹ー。さっきナンパされてたでしょ?」と桃ちゃんが駆けよってくる。


「あ、でもすぐいなくなったよ」


「そう言えば、笙さんと連絡してる?」


「…うん」と曖昧な返事をすると、桃ちゃんは柔らかい二の腕を私の二の腕にくっつけてくる。


「何かあった感じね?」


 そうしてじゃれていると、奈々ちゃんも現れた。


「わー、遅かった?」


「遅かったから、絹がナンパされてたよ」


「えー。もう、油断も隙もない」と奈々ちゃんが私の反対側の腕を取る。


 待ち合わせ場所が笙さんと同じターミナル駅で、二人にかき氷を提案してみると、興味を持ってくれた。


「何? 笙さんと出かけたって?」と二人に質問攻めにあう。


 かき氷屋さんは少し並んで待つことになった。その間に二人からあれこれ質問が飛ぶ。


「笙さん、意外とやりてなのね。研究熱心って聞いてたから、女の子とデートとか慣れてないのかと思ってた」と奈々ちゃんが言う。


「意外と付き合ってた人多そう」と桃ちゃんは言う。


「それで?」と二人から顔を覗き込まれる。


「…いい人だし、優しいし…でも好きって聞かれたら、嫌いじゃないし、好きな方だけど、お付き合いするほど、好きなのかって言われたら…分からない」


「そんなの付き合ってから考えたらいいのよ?」と奈々ちゃんに言われる。


「でも…」


「ほら、絹は…あれが苦手なのよ」と桃ちゃんが代わりに言う。


「あれって?」


「スキンシップ」とやんわり言うけれど、奈々ちゃんは眉間に皺を寄せてから、「あー、セックス」と割とはっきり言うから、恥ずかしくなる。


「セックスっていうか、お付き合いってなったら、手を繋ぐだけじゃなくて…なんかそう言うのが無理」


「どした? 湊に酷い事されたか?」と奈々ちゃんがより一層顔を覗かせる。


 慌てて首を横に振る。


「まぁ、正直、なんか…グロいってこともあるよね」と桃ちゃんは澄ました顔で言う。 


 かき氷の列が少し進んで、三人は無言になった。


「まぁね。私、まだ赤ちゃん、欲しいとか思ってないし、向こうだって思ってないのに…何してるんだろ? ってたまに思うよ」と奈々ちゃんがため息とともに言う。


「でもね、大好きな人と肌を重ねるだけでも…なんかいいなって思うことあったよ?」と桃ちゃんが言うから、思わず涙ぐんでしまった。


 やっぱり桃ちゃんもまだ前の彼が好きなんだって思う。自分から別れを決めたとは言え、好きから嫌いになんて簡単には気持ちを変えられない。


「やっぱり男女の差っていうのはあると思うなぁ。男性が望むこととズレはあるよ。でもそれを埋めていくのもお互いの努力だし…。次は遠慮せずに言いなあ」と奈々ちゃんは私の前髪を撫でてくれた。


「…うん。ほんと、最近、良くなくて。バイト先も潰れちゃうし」


「えー?」と二人そろって声を上げる。


「それはお祓いに行かなきゃ」と奈々ちゃんが言うから、かき氷食べた後は近くの神社に行くことにした。

 


 かき氷を食べて、夕方、少し気温が大人しくなる。神社に行くと、夏祭りのお知らせが出ていた。


「あ、これ、みんなで行こっか」と奈々ちゃんが言う。


「浴衣着て。いいねぇ」と桃ちゃんも嬉しそうに笑う。


「うん。行こう。バイトは行ってないかチェックするね」と私は携帯を確認した。


「笙さんたち、呼ぼっか」と奈々ちゃんが言う。


「え? 忙しいんじゃないの?」と桃ちゃんは奈々ちゃんに訊いた。


「まぁ、彼氏に声かけてもらう。もし忙しかったら、他の人でもいいし」と言いながら、すでに彼氏にメッセージを送っている。


「桃ちゃんは…いいの?」と私が訊くとにっこり笑って頷いた。


「新しい恋始めたいし。前の人…別れてから連絡…時々あるけど、ふざけんなって思ってる」


着信拒否ちゃっきょしたらいいのに」と奈々ちゃんが携帯を鞄にしまいながら言う。


「…うん。そうする」と桃ちゃんが言うのを聞いて、私は少し悲しくなった。


 恋人って、裸も見せあって、なんなら自分が見えないところも見られて、深い付き合いをしても、終わってしまえば二度と連絡の取り合えない二人になってしまう。他人より遠い存在になる。


「湊は? 連絡ないの?」と奈々ちゃんが訊く。


「…ない。この間、偶然会って、謝りたいって言われたけど…。謝ってもらうことなんかないし…って。でも電話の連絡は一度もないよ。もう彼女いるし…」


 さわさわと木々が揺れる。いつのまにか雨が降りそうな空になっている。


「ねぇ。そう言えば、私のおばあちゃんが、神社に夕方行っちゃいけないって言ってたの、今思い出したんだけど」と奈々ちゃんが私たちに言うから、何だか雲行きも怪しくなってきたので速攻でお参りだけ済ませて、神社から出た。


「夕立かな」と桃ちゃんが空を見上げた。


 その後、私たちはボーリングをしに行った。へたくそだけど、それが面白くて、時々、笑うためにゲームをしに行く。カラオケ施設もあるし、疲れたら歌ってもいいね、と言っていた。


 この日もみんな絶好調でかなり低レベルな接近戦だった。笑いすぎてボールが真っ直ぐ投げられない。


「笑いすぎて喉からからだよー」と言って、桃ちゃんがベンチに座った。


「何か買ってくる?」と訊くと「お腹空いてきたー」と言うから、このゲームが終わったら何か食べることになった。


 奈々ちゃんは彼氏が迎えにくるというので、ここで解散だった。本当はもっと一緒に居たかったのに、と言いながら、嬉しそうに駅に向かう。私と桃ちゃんはパスタ屋に入った。


「コースにした方が安いし、いろいろ食べれるね」と桃ちゃんが言うから、それにする。


「あー、今日は笑いすぎて頬っぺたが痛い」と私は頬の肉を指でつまんだ。


「あはは。だって、奈々ちゃん、トイレ後に隣の人のレーン間違えて入っていって…ボール投げてたよね」


「ほんと、いい人で助かったよ」とその時、慌てて二人で止めようとしたけど間に合わなくて、平謝りしたことを思い出す。


「しかもガーターだったと言う」


 何度でも笑える。


「私、ずっと彼氏とばっかり一緒だったっから…。なんか女友達って思ってたよりいいね」と桃ちゃんが言う。


「そっか。桃ちゃん、ずっと彼氏ばっかりだったんだ」


「そうだよ。だから別れていいこともあったのかな」と笑う。


「じゃあ…付き合ってたら、桃ちゃん、今日来てくれなかったんだ」


「そうだよー。だって、彼氏いる私、みんなと違うって鼻高々だったんだもん」と自分で鼻を上に向ける。


「へぇ」


「だからさ。絹が大学で初めて声かけてきたとき、驚いたもん」


「え? どうして?」


「鼻持ちならない女の自覚あったから、絹がてこてこ歩いて来て『この授業面白い?』って聞いてきたから」


「あ、それ、他の授業と迷ってて…オリエンテーションの期間、違う授業取ってたから。それに桃ちゃん美人ですごく目立つから、一緒のクラスなの覚えてて」


「そうじゃなくて、この、鼻もちならない女に授業のことで声かける人なんていなかったの。授業だけじゃなくても、ずっといなかったの。社会人と付き合ってますアピールする女に」


 そう言えば桃ちゃんはいつも一人だった。


「え? 知らなかった。一人なのは…知ってたけど」


「それで話しかけてきた後はすとんって私の横の席に座るし…」


「…だって、席空いてたから」


「その後だって、ランチ一緒に食べよって言うし」


「えー。だって、桃ちゃんいい人そうだし」


 自分で言って、笙さんが言ってたことが分かった。その時、私は桃ちゃんが美人で一人でいつもいるというのは分っていた。授業のことを聞いたら、丁寧に教えてくれた。ただそれだけで、桃ちゃんと友達になりたいと思ったのだ。


「いい人って…」と桃ちゃんはため息をついた。


「笙さんも言ってた。二回会ったから、いい子だって分かるって。私、それ、分かんなくて…。でも私も桃ちゃんがいい子だって思ったから…。今、分かった」と言うとにぃっと桃ちゃんは笑う。


「私も絹のこと、可愛いって見てたよ。自分からは友達になろうとはしなかったけど」


「えー? じゃあ、一年、もったいなかったよー」


 私は一年生の時、最初のオリエンテーションで近くの席の子と一緒にいたけれど、何だか悪口も言う人たちで付き合うのに疲れていたのだった。だから思い切って、二年生では選択授業を自分で選ぶことにした。それで知り合った奈々ちゃんと桃ちゃんは本当に一緒にいて楽しかった。


「いいよ。一年の時はまだ付き合ってたから、こんなに一緒にはいなかっただろうし」


「確かに。タイミングってあるんだね」


「そーだね」


 前菜盛り合わせが来たので、二人ですぐに食べ始める。


「ねぇ、あの人…どうなったの?」と桃ちゃんに訊かれた。


 翠さんからもう来ない方がいいと言われたことを言う。


「そうなんだ。…絹は笙さんと付き合った方がいいと思う」


「え?」


 生ハムを器用に丸くまとめて、ももちゃんが言う。


「でも…気になってる人はその人なんだね」ともぐもぐと生ハムを噛みながら言う。


「…気になるっていうか…」と私は野菜オムレツを口に入れる。


 翠さんのことを思い浮かべると優しい笑顔でこっちを見る眼差しが浮かぶ。その目は私を向いてはいるが私を見てはいない。それが心地いいと思っていた。安全地帯にいる気持ちだった。


 でもあの日、顎を指で上に持ち上げられて、息がかかるくらい近くに来た時、私は翠さんを意識した。


「奈々ちゃんも私も絹には幸せに暢気に暮らして欲しいって思ってるの。だから、笙さんを選んだ方がいいって思うの。思うんだけど…」


 桃ちゃんはフォークを置いて、私を見た。


「でも絹はあの人のところに行きそう」


「…え」


 思いがけないことを言われて、私もフォークを置く。


「だからきっと辛い思いをすると思う。思うけど…さっき、奈々に言われたんだ。絹がトイレ行ってる時に、『絹が選んだことを応援してあげよ。それで泣いたら、一緒に泣いてあげよう』って」


 桃ちゃんが真っ直ぐ私を見ている。


「絹は自分で気づかないように無意識でしてるんだよ。笙さんのこととかいろいろ話してくれたけど、あの人のこと、私たちの前で言わなくなったから。ごめん。心配し過ぎて、絹の気持ちを抑えこんでたと思う。私、女友達いなかったから、絹が初めてで。それで心配で。余計なこと言いすぎてごめん」


 桃ちゃんも奈々ちゃんも私のこと本当に心配してくれる。その気持ちがすごく伝わる。


「私の好きな人は、桃ちゃんと奈々ちゃんだよ。二人が一番だから」


 そう言うと、桃ちゃんは泣きそうな顔で微笑む。


「私だって、桃ちゃんのこと心配してるんだからね」と言うと、桃ちゃんが「私、今、エンジョイしてるから。…女友達の時間」と返してくれた。


 そして二人ともしまりのない顔でちょっと笑いながら前菜を食べる。


「へへへ。美味しいなぁ」


「ふふふ。最後の一個あげる」


 今日は何よりも楽しい時間だったし、心がほわっと温かくなる時間だった。

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