第63話

お墓参り


 今日は鈴音ちゃんの命日だったから、私は後で、翠さんと一緒にお墓参りするつもりだった。シンガポールのお土産もその時、渡そうと思って鞄に入れる。


「絹…。伯母さん来たわよ」とお母さんが呼びに来た。


 私は階段を下りて、リビングにいる伯母さんに挨拶をする。


「…絹ちゃん」と優しい目で呼びかけられる。


 伯母さんは私を見てながら、いつも鈴音ちゃんを想っている。


「こんにちは。あの…伯母さんにお話ししたいことがあります」


「お母さんに聞いたの。あの人とお付き合いされてるって」


「…はい」


 伯母さんは少し瞳が揺れている。私は伯母さんの前に座った。


「今日は鈴音の命日でしょ? 私、毎年、毎年、後悔ばかりしてる。鈴音の話をよく聞けばよかった。もっとお互い話しあいすればよかった。不倫はもちろん許されることじゃないけど、もっと話を聞いていれば…」


 そうだ。もし翠さんの結婚が奥さんの強引な計画だったからすでに破綻していたと、それに子供も翠さんと血のつながりがないことを理解してたら、もっと違っていたかもしれない。


「そんなことを考えてもう…あの人のことはとうに許してるの…。いいえ。許してるっていうのは間違いよね。あの人が悪いわけじゃないもの。鈴音が最後に幸せな時間をあの人と過ごせたっていうだけで、感謝しなくちゃいけないのよね」


「伯母さん…」と私は声をかける。


「鈴音のウェディングドレス見たかったから、絹ちゃん、素敵なドレスを着てね」


 その言葉に私は涙が零れてしまった。許すことじゃないと言っていたけれど、やはりいろんな感情があるのに違いない。


「こうして年を重ねていくと、何だか自分や他の人を恨んだり、哀しんだりすることにも疲れてきてね。鈴音が本当に望んでいることを考えてみたの。人を愛して亡くなった鈴音だから。きっと今の私を哀しむわねって」


「鈴音ちゃんは本当に幸せだったと思うんです。あの…鈴音ちゃんが病院に行かなかったのは、本当は行ってたんですけど、治療しなかったのは…子どもが、赤ちゃんがお腹にいたからなんです」


 伯母さんは驚いた顔をした。


「翠さんとの子どもがお腹にいて、翠さんは諦めるように言ったんですけど、もう…ぎりぎりのところで、鈴音ちゃんは翠さんに…残してあげたかったんだと思います。自分の命の…残りを使って。でも…流産してしまって」


 伯母さんの頬に涙が伝った。


「…そう。そうだったの」


「でもそれでも入院しなかったのは、本当に最後の時間を一緒に過ごしたかったから…だと思うんです。すごく幸せだったはずです」


「…鈴音はずっといい子で、私たちの希望で。でも言うこと聞かないなんて初めてで。知らなかったけど、頑固だったのね」と涙をハンカチで押さえる。


 私もその気持ちは分る。鈴音ちゃんは綺麗で、優等生で、私と外見が一緒でも中身が違うから、雰囲気が全然違っていた。


「はい。頑固だって言ってました」


 翠さんがふと思い出してそう言っていた。


「ありがとう。絹ちゃんがあの人とお付き合いしなければ、私は一生知らなかった出来事ね。私に孫もできてたなんて。あぁ、本当に母親失格だわ」


「失格だなんて、そんな」と私が思わず口を開く。


「あの子、一人で全部、背負って亡くなっちゃって。それなのに最後に大好きな人にも会わせずに。本当に駄目な母親だった」と手で顔を覆う。


 私のお母さんが横に座って肩を抱いた。


「今日は一緒にお墓参り行く日でしょ? 鈴音ちゃんにお話しすることたくさんできたじゃない?」と言う。


「そうね。まずは謝らなきゃね。そして…もう哀しみを手放さないとね」


「鈴音ちゃんにいつまでも心配されちゃうわよ」


 お母さんはずっとそうやって、伯母さんの痛みや哀しみに寄り添ってきたから、私が翠さんと付き合うことにいい顔をしなかったんだ、と分かった。


「絹ちゃんは鈴音の分も幸せになって」と伯母さんはまだ顔を覆ったまま言った。


「鈴音ちゃんは…充分幸せで、今も翠さんに愛されてます」


 伯母さんはゆっくりと顔を上げる。


「鈴音ちゃんの持ちもの、今も捨てずにずっと持ってます。とっても少ない荷物ですけど。何一つ捨てずに持ってます。きっと私より好きだと思います」


「絹」とお母さんが驚いて声を出す。


「鈴音ちゃんが作った風鈴も、鈴音ちゃんが買ったかわいいワンピースも、ずっと大切にしてます。私は鈴音ちゃんを愛した翠さんだから好きなんです」


「…そう…なの?」


「はい。カラーボックス一つ分に詰まってます」


 私は連れていってもらえなかったマレーシアもバンコクも翠さんは鈴音ちゃんのカラーボックスを持って行ったという複雑な思いは言えなかったけれど。


「あぁ…大切にされてたのね。本当に」


「今も、ですよ?」と少し膨れて言うと、伯母さんがくすりと笑った。


 伯母さんが初めて心から笑った。涙も零れていたけれど、初めて嬉しそうに笑ったのを見て、私も胸が詰まる。



 そうして、しばらくして、二人だけで先にお墓参りに出て行った。私は先に翠さんの家に向かう。


 電車に乗っていつもの小道を目指す。今も翠さんは鈴音ちゃんを忘れてはないし、これからも忘れることはない。一生、心のどこかを占めている。一瞬、二人が住んでいたあの古いアパートを思い浮かべるけれど、小道を抜けると翠さんが設計したマンションが見える。空室がなく満室御礼だそうだ。


 翠さんのドアの前に立って、インターフォンを鳴らす。


「おかえり」と翠さんが中から開けてくれた。


「ただいまです」と言って、私は抱き着く。


「シンガポールは良かった?」


「はい。とっても。桃ちゃんも綺麗でした。写真見ます?」と私はスマホの写真アプリを開けて、翠さんに見せる。


「ほんとだ。綺麗だね。絹も可愛いし」


「鈴音ちゃんのワンピース持って行っちゃいました。今、クリーニング中です」


「似合ってるよ。…この人、絹の横に立ってるけど」と笙さんを指さす。


「あ…えっと、元カレです。翠さんに捨てられた後の」


「…言い方。いい人そうだね」


「すごくいい人でした。翠さんのばか」と私は思わず口に出してしまった。


「馬鹿って」


「だって忘れられなくて…。結局、傷つけちゃって。私だって、大分好きだったのに…」


 何言ってるんだろう。笙さんを傷つけたのは百パーセント私が悪い。


「ありがとう」


「え?」


「忘れてくれなくて」と言って抱きしめられる。


「うーん。いつかは忘れられるって思ったのに」と私は頭を擦りつける。


 上書きしても、できなかった。初めて見た時から、ずっと好きだったから。


「お土産、持ってきましたよ」


「え? 嬉しいな」


「翠さんはカレーが好きだから、カレー味のヌードルと…」と私は鞄からカレー味のインスタント麺とマーライオンのマスコットとホテルの紅茶を取り出す。


「これ、翠さんと私のお揃いで…」と言って、白いマーライオンのマスコットを渡す。


「鍵につけるのにちょうどいいね」と言うから、驚いた。


 翠さんはシックなキーケースを使っていたからだ。


「一緒の部屋の鍵だし…」と言いながら付け替える。


「あ、今日、鈴音ちゃんのお母さんに会って…全部話してしまいました。鈴音ちゃんが妊娠してたことも。治療を拒否したことも。伯母さん…驚いてましたけど、もう哀しむのはやめるって言ってました。それより自分が悪かったって。話をちゃんと聞いてあげれれば良かったって」


「そっか…。いつも手紙を書いてたんだけど…。当然だけど返事が来なくて」


「私、鈴音ちゃんが幸せだったってちゃんと言いました。幸せに暮らしてたって。今も翠さんに愛されててって…」


「絹ちゃん…」


「それが嫌って言うわけじゃないですよ? 置いて行かれたのは嫌でしたけど」と私はまだ根に持っている。


「今…愛してるのは絹だから」と言いながら、抱き寄せて優しく背中を撫でてくれる。


「…もう少ししたら、お墓参り行きましょう?」


「そうだね」


 そして私たちは車で鈴音ちゃんのお墓に向かった。真夏だったので、車は快適だった。近くのパーキングに停めて、お寺の中に入る。お母さんたちが先に来ているからお墓は綺麗にされて、お花が供えられていた。


(鈴音ちゃん。翠さんと一緒にいることになったよ。でも私、翠さんがまだ鈴音ちゃんを好きなの分かってる。きっとずっと一生その想いは消えないから。それでも私のことも少しはいいって思ってくれてるみたいだし、大切にはしてくれてるの。だから鈴音ちゃんの分も翠さんのこと大切にしていくね)


 私は手を合わせて鈴音ちゃんに語りかける。翠さんは何を話しているんだろうとそっと横目で見ると、やっぱり想像通り穏やかな表情でお墓を見つめていた。お墓の前に鈴音ちゃんのお気に入りのマドレーヌが置かれてある。


 私の携帯が鳴るから、驚いて出てみるとお母さんだった。


「翠さん…鈴音ちゃんのお母さんがお会いしたいって…」


「うん。行こう」


 二人は近くのファミレスにいると言うので、車で向かうことにした。まだ夕方までには時間があって、空は明るく晴れている。翠さんにとっても、伯母さんにとっても新しい一日になれたらいいと密に願った。

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