第62話
結婚式
二年後、シンガポールで結婚式を挙げる桃ちゃんの式に向かった。私は何とか一年で採用試験を突破できたので、新任教師として働いていた。奈々ちゃんたちはすでに結婚して、あのマンションではないけれど、違うマンションで暮らしている。久しぶりに二人に会えるのが楽しみで、私はシンガポールに向かった。
海外旅行が初めてで、あの時作ったパスポートがようやく役に立つ時が来た。空港まで先に来ていた奈々ちゃんが旦那さんになった裕二さんと迎えにきてくれていた。
「わー。久しぶりー」と奈々ちゃんに抱き着く。
「ほんと、久しぶりの再会が海外なんてねー」と奈々ちゃんが抱き着き返してくる。
「奈々ちゃんの結婚式ぶりだね」
「そうよ。絹が合格しちゃったから忙しくなって」
「だって、慣れなくて。仕事大変だよー」
「まぁ、中学生相手だしね」
「でも大人より全然いいよ。可愛いもん」
「確かに」と言って、迎えに来てくれた車に乗る。
「裕二さん、国際免許持ってるんですか?」
「うん。取ったよ。この後、少しいろんなところ行こっかって。あ、結婚式に笙も来るけど…」と言いにくそうに言ってくれる。
「それは…全然、大丈夫です。むしろ私が…」
「いいよ。お互い様だもん」と奈々ちゃんが笑いかけてくれる。
今日は後部座席に奈々ちゃんが私と乗ってくれた。いつもは裕二さんの運転の時は必ず助手席だったのに。
「奈々ちゃん、お腹は大丈夫?」
「うん。安定期に入ったから…。でも絹が一番最初に結婚すると思ってた」と奈々ちゃんが言う。
「うーん。まぁ…それは分かんないけど。あんまりキャリアって感じじゃないけど…。でも仕事始めたばっかりだし」
「そうそう。それでお局さんににらまれちゃった。『仕事をなんだと思ってるの?』って。でも産みたい時に産まないと高齢化しちゃうじゃん。なんかさ。日本としては『産め、産め』っていうけど、そういう制度とか、システムとか、風潮とか全然だよね。なんなら、二十代、三十代女子は婚活出産のためのモラトリアムがあってもいいと思うのー」と奈々ちゃんは言う。
「…まぁ、そうなのかな? 分かんないけど」
「折角、入社したのに、出産って…何考えてるんだって言われたけど、そう言う事言うから少子化になるわけでしょ? どうしたって働きながら産むとか無理じゃん。体が辛いじゃん。吐くじゃん。倒れちゃうじゃん。こっちだって、そんなことしたくてしたいわけじゃないし、あの時はほんと、世の中の男を恨んだからね。男であるというだけで、こんな辛い経験をしなくていいって」
奈々ちゃんはつわりが本当にひどかったみたいで、点滴を打っていたらしい。
「うん。うん。よく頑張ったね」と奈々ちゃんのお腹を撫でる。
「そう…。頑張った。ある日、突然終わったけど」
「そうなんだ」
「終わらない人もいるから、ほんと、妊娠って不思議」
「そうだよね。一つの体なのに、他の人がいるって」と私は不思議に思ってお腹を見る。
「絹は? 翠さんとどうするの?」
「翠さんと…どうするかって…。えっと…ちょっと時間が必要かも」
「時間?」
「私も働き始めたところだし…。それに…従姉妹のご両親の気持ちもあるし…。家の両親はまぁ、許容してくれてて」
「…そっか。一緒に暮らしてるの?」
「ううん。実家だよ」
翠さんが帰国するまではアパートに行って勉強したり、掃除したりしていた。でも帰国が決まると、私はそんなに行かなくなった。
二人で最近の出来事を話していると、ホテルについた。桃ちゃんの結婚式も同じホテルだった。もうすぐ着くよと奈々ちゃんが連絡してくれていたから、桃ちゃんが玄関で待ってくれていた。
「きーぬー」と駆け寄ってくれる。
桃ちゃんは一層綺麗になっていて、眩しかった。
チェックインを済ませると、荷物を置いてすぐにホテル内のスパに三人で出かける。裕二さんは英さんとのんびりすると言うので、今日は最後の女子会だった。
「なんかいいねぇ。大人になった気分」と奈々ちゃんが背伸びをして言う。
「こんな高級ホテル…日本で行くことないから、ドキドキしてしまう」と私が言うと、二人が笑った。
「二人とも来てくれてありがとう」
「えー、そんな来るよ。もちろん」と奈々ちゃんが桃ちゃんの肩を抱く。
「私もようやくパスポート使えたし」と反対側から肩を抱いた。
一流ホテルのスパは受付からいい香りがする。二人部屋はあるけど、三人は無理だというので、私だけ別で受けることになった。私はきっと寝てしまうから、と言うと二人は納得してくれた。
専用の下着まで受け取って、自分の気に入った香りを選んで、ベッドの上に横たわる。女性の優しいマッサージが心地よくて気が付いたら寝ていた。あおむけになってと言われて、何とか体を動かしたものの、またすぐ寝てしまったようだ。本当にタイムスリップしたかのように時間がワープしていた。
「え? 終わり?」とそこでしっかりと目が覚めた。
身体はすっきり軽くなってはいるけれど、驚くほど、意識がなかった。着替えて、髪を整えて、受付に行くと、二人ともお茶を飲んでいた。
「すごくよかったね」と奈々ちゃんに言われたけれど
「…寝すぎてて。気持ち良すぎてすぐ寝ちゃって…分からなかったよ」と少し悲しくなった。
「大丈夫。むくみ取れてるでしょ?」
「うん。なんか体軽い」
二人は美人度が上がった気がする。
「さー、次はアフタヌーンティーよ」と桃ちゃんが張り切って、いろいろ予約してくれていたようだった。
「あ、そう言えばお腹空いてる。マッサージ効果かな」と言うと、二人が笑った。
明るいロビーで絵に描いたようなアフタヌーンティの三段のお皿が置かれている。
「ゆっくりお喋りしながら楽しもうね」と桃ちゃんが言うけど、私はお腹が空いていたので、サンドイッチを素早く平らげてしまった。
スコーンを食べ終えると、お腹が膨れてくる。
「絹、急に食べたら、全部食べれなくなるでしょ?」と桃ちゃんに指摘された。
「大丈夫。ここからゆっくり楽しむから」と言って、二人に笑われた。
本当に二人は美人でこのホテルでも少しも見劣りしない。妊婦である奈々ちゃんもきらきらしていたし、新婦になる桃ちゃんも輝いていた。
「二人とも、結婚も妊娠も本当におめでとう。私、友達として本当に嬉しい。ずっと一緒にいてくれて、楽しかったし…こうしてお祝いできることも…嬉しいよ」
「絹…。私は絹が声をかけてくれて…友達が出来て、本当に良かった」と桃ちゃんが言ってくれる。
「そうよ。私だって、絹がいて本当に楽しかった…いや、ちょっとドキドキさせられたけど」
「え? どこが?」と奈々ちゃんに訊く。
「絹が一番、ぼんやりしてるのに、危なっかしいから」
「そうそう」と桃ちゃんも言う。
「でも今は大丈夫だよ? え? 違う?」と二人に訊くと、頷いてくれた。
「頑固だから絹が決めた道しか歩かないでしょ? だから…それでいいと思う」と奈々ちゃんが言う。
「私は…いろいろ口出したりしたけど、絹の人生だし。それでいいと思う」
二人とももろ手で賛成という雰囲気ではないのかな、と首を傾げた。
「私たちは絹が何してても、絹が幸せだったらそれでいいの」と桃ちゃんが言う。
「絹は今幸せですか?」と奈々ちゃんがフォークにスコーンを差して差し出す。
「…はい。とっても幸せです」
二人の笑顔が弾けた。
「絹が泣いたり笑ったり、桃が怒ったり、叱ったり…楽しかったよ」と奈々ちゃんが言うから「私、怒ってばっかりじゃない」と桃ちゃんが言う。
「そんなことなかったよ」と慌てて言うけど、「叱る愛情だよ」と奈々ちゃんが笑いながら言った。
「本当に二人に会えてよかった。ありがとう。今はあんまり会えなくても…私も心から二人の幸せを祈ってる」
「会おうよ」と奈々ちゃんに言われる。
「シンガポールおいでよ」と桃ちゃんにも言われる。
嬉し泣きの涙のせいで、スコーンが少し塩気が効いた。私たちは日光が降り注ぐ白いロビーでゆっくりと時間を過ごした。
夜は桃ちゃんは家族で過ごすと言うので、私と奈々ちゃんは先輩と笙さんとで出かけることになった。アフタヌーンティのおかげであんまりお腹が空いていなかったので、地元の屋台でご飯を食べることにした。久しぶりに会う笙さんは相変わらず優しかった。
「採用試験受かって…おめでとう。遅くなっちゃったけど」
「ありがとうございます。笙さんもお元気そうで」
「うん。相変わらずの毎日だけどね」と笙さんは大学で助手として働いている。
みんなで賑やかな屋台でご飯を食べる。サテという焼き鳥や、米粉のヌードルや中華料理もあって、たくさん選べる。お腹が膨れているのが残念だ。
奈々ちゃんは裕二さんと一緒にお店を見ていて、私は笙さんとお店を見ることになった。
笙さんは私が気まずくないようにバクテリアの話なんかを楽しくしてくれる。ついている教授の面白いエピソードなんかを話してくれるから、私はかわいい生徒たちのことを話した。
「絹ちゃんといると…ほっとするな」
「え?」
「今更…どうこうするつもりもないけど、なんか…幸せだったなって思い出して」
「それは私も…すごく優しくしてもらって…本当に幸せで。すごく大きな人だなって」
「大きな人?」
「本当の愛は、好きな人のところに行かせることって言ってて。そんなこと言えないなって」と言うと、笙さんは笑った。
「言えてなかったよ。思っただけで。いや、思ってもなかったな。ずっと側にいて欲しくて、君が違うところ見てるの分かってたのに…。知らないふりして、優しく君の視界を閉ざしてた」
笙さんは正直に話してくれる。私だって、その世界でどれだけ救われてたか分からない。
「ごめんね。バクテリアと付き合い過ぎて、愛し方がバグってたな」
本当に優しい人だ。
「ううん。私が…駄目なだけで。でも本当に笙さんのこと好きだったよ」
「ありがとう」
「ありがとうは私が言わなきゃ…駄目なのに」
「まぁ、二年も一緒にいて、上書きできなかった自分の能力の低さに落ち込んだけど…」と笙さんはあの頃のように柔らかい笑顔で私を見た。
「そんなこと…」
「まぁ、バクテリアともう少し仲良くなるべきなんだなって思って。今は一層研究に励んでるよ。そろそろ何食べるか決めない?」
「あ、そうだね」
お店を見て回ったけど、私はお腹いっぱいで、サテとスイカジュースを頼んだ。笙さんは海南チキンライスをオーダーしていた。
私は確かに笙さんを好きだった。気持ちが穏やかに救われていった。それなのに辛い想いをさせてしまったと苦しくなる。
チキンライスを手にした笙さんが振り向いて
「でも絹ちゃんに会えて、恋人になって良かった。この先、結婚するかも、しないかもしれないけど、でも素敵な時間を過ごせて良かったよ」と言ってくれる。
涙を零すのは違うと思いながら、やっぱり零れてしまった。
「こちらこそ。本当に幸せだったから」
「人生ってさ。何か達成できれば、そりゃいいけど…。失敗だって価値があると思うんだ」
「達観してる」
「そう思わないと、実験なんてやってられないからね」と笙さんは微笑んだ。
「そっか。笙さんの強さはそういうところだね」
「ありがとう。仲でも一緒に過ごせた時間は本当に色鮮やかに思い出すよ」
少しでもいい思い出として残っているのなら、私も救われる。
「さ、戻ろう。二人が心配してる」
私は頷いて、二人を探した。四人で他愛ない話をしながら、夜が更けていった。
翌日、朝から眩しい太陽の光が降り注いでいる。昼からの式だけど、桃ちゃんはしたくがあって、会えなかった。奈々ちゃんとホテルのプールで遊んでいると突然のスコールにあったりと、大変だった。雨の激しさが日本とは違って、プールから上がって、五分もかからずにバケツをひっくり返したような雨だった。
「わー。大変」と私たちは慌てて部屋に戻る。
「天気よかったのに」と言うと、奈々ちゃんが「すぐに止むよ。雨降って、地固まるって言うし、良かったよ」と笑う。
お化粧もし直して、ワンピースに着替えて髪も奈々ちゃんが綺麗にしてくれる。持ってきたヘアアイロンでゆるくカールをつけてくれて、それでアップスタイルにしてくれた。
「わー、可愛くしてくれてありがとう」
「絹は可愛いから、何しても似合う」と奈々ちゃんは言ってくれるけど、奈々ちゃんはかなりの美人だ。
私は鈴音ちゃんのワンピースを借りて来た。赤い金魚のようなふわふわで、奈々ちゃんも喜んでくれた。
「なに、これ、可愛い。金魚みたい」
「でしょ? これ、従姉妹のワンピースなの」
「あ、あのそっくりな」
「うん。これを着て…翠さんと結婚式したかったって」
「そっか。絹も幸せになるんだよ。その従姉妹さんの分もたっぷりとね」と抱きしめてくれる。
奈々ちゃんはいつも私に優しい。私は幸せだと思った。翠さんとのことがなくてもこんなに優しい人たちに囲まれて。
「さあ、桃ちゃんの結婚式に行こう」と奈々ちゃんと一緒に部屋を出た。
スコールは止んで、ガーデンウェディングの道は濡れてはいたけれど、それがまた綺麗に太陽の光を反射してきらきら光っていた。南国の花を手渡され、教会から出てきた二人にフラワーシャワーをする。桃ちゃんのドレス姿は本当に綺麗で絵画のようだった。
「おめでとう」
「おめでとう」
誰も彼もがお祝いを口にする。花が二人の上に降り注ぐ。青空と光が眩しい。南国の緩い風が吹いて、ふわっと桃ちゃんのベールを空に浮かばせた。だれもかれもが最高の笑顔の一日だった。
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