第43話
前へ踏み出す
その週は私は翠さんの家に行って、模型作りを手伝った。翠さんが仕事をする間、指示されたように専用のボードを丁寧にカットする。外観はオフホワイとでシンプルな形。でも温かい部屋がそれぞれ詰まっている。
私は紙粘土で小さな人間を作る。ポニーテールの私と、翠さん。
(鈴音ちゃんごめん)と言いながら、あまり似てもないけど、小さな人形を作る。
そしてまだ色を塗っていない真っ白な人を建物の前で立たせてみる。子供も…犬も…。と小さいものを爪楊枝でつつきながら作ってみる。不細工な形だけれど、何となくできた。
どこから見ても幸せな家族に見える。
「この家…ペット可だったっけ?」と翠さんが後ろから声をかけてくる。
「え? 違うんですか?」
「いいよ。ペット可にしよう。足洗う場所もつくろうか」と翠さんは言う。
「えー?」
「施主の意見は大事だから」
「私が?」
「そう絹のための家だから」
決して建てられることのない家。でも私の好きにしていいって言ってくれる。
「ペットと…子どもと…一緒だったらいいなぁって」と言ってから、私は慌てて「ただの妄想です」と言う。
「いつか…そうなったらいいと俺は思うけど」
私は翠さんを見た。
「絹が…困ってること、一つ一つ、時間かけて…解決していきたいって思ってる」
…解決できるのだろうか。そんなこと少しも思わなっかった。
「仕事も…コンペが決まったから、増えて行くだろうし、頑張るから」
私は頷きながら、実感のないまま、模型の夢の部屋を見つめる。まだ空っぽの模型。いつかそんな日が来るのだろうか、と想像もできない。
それでも模型を作り続ける。昼間、私が下作業しておくと、夜、翠さんがそれを組み立てている。翌日は少し進んでいて、まるで二人で作っている感じがする。
「いつか…いつか実現させたい。だって、私…本当にこの部屋で暮らしたいです」
後ろから抱きしめられる。
「そうだね」
本当にそんな日が来たらいいな、と私は明るい気持ちになっていた。
そんな風に穏やかに二人で時間を過ごして、模型は完成間近というタイミングで私は友達との旅行の日を迎えた。
「きーぬー。久しぶり」と奈々ちゃんが抱きついてくる。
夏休みのターミナル駅はお盆が過ぎたとは言え、人込みで混雑している。背の低い私を良く見つけたな、と思った。
「わー。奈々ちゃん。桃ちゃんが見えないけど?」
「トイレ。男性陣も来てるわよ」
男子たちは三人とも売店で何か買っている。
「あ…。私、やっぱり翠さんと…」と言うと、奈々ちゃんは肩を竦めた。
「連絡ないから、そういうことかなって。いつでも慰める準備はしていたのに」とため息を吐く。
「だから…笙さんと話をしなきゃって思ってて」
「律儀ねぇ。あっちは待つって言ってんだから…。でも絹らしい」とまた頭を抱えられる。
桃ちゃんがお手洗いから戻ったみたいで、みんなで電車に乗る。二人掛けの席の特急券をもらうと、私と笙さんが隣になる。
「あ、お久しぶりです」
「うん。久しぶりだね。おやつ食べる? なんか、久しぶりにわくわくして、眠れなかった」
そんなことを言ってくれる笙さんにいきなり話を切り出すのはよくないかな、と思いおやつは何があるか聞いてみた。
「言ってた塩味饅頭と、後コンビニで買ったじゃがりこ…。濃厚ミルクキャンディ」
「えー? ミルクキャンディ? 笙さんが?」
「美味しいじゃん」と言って、手のひらの上に出してくれる。
ころんと転がるキャンディをつまんで口に入れた時、笙さんが笑いながら言う。
「話、あるでしょ?」
声が出せずに私は目を大きくするしかなかった。
「俺にとってはいい話じゃなくて…。絹ちゃんには良かったのかな?」
「ど…して?」
「…分かるよ。最初っから分かってた。勝ち負けじゃないけど、勝てないのは分かってた。絹ちゃんはきっと話してくれるだろうけど、俺に気を遣って旅行の最後かなって思って。…でもさ、絹ちゃんが俺の気持ちを考えてくれたように、俺も絹ちゃんの気持ち考えたら、この旅行、最後まで重い気持ちで過ごして欲しくなくて…」
(あ…。この人は私より数万倍の優しさを持ってる)
「だから…俺のためを思ってるのなら、俺のために気を遣わないで欲しいな」
この人に掛ける言葉を私は持ち合わせていない。
「まぁ、もうメッセージは送らないけど、万が一、辛い事があったら頼ってよ。絹ちゃんはきっとそうしないと思うけど。俺のこと、そん時思い出してくれたらいいな」
泣くのも間違えてる。謝るのも違う。
「…ありがとう」
笑え、と筋肉に命令する。突っ張っただけの私の笑顔、口には甘いミルクキャンディ。零れてしまった涙は手の甲で隠した。
それから笙さんはまったく関係のないバスケ部時代のマネージャーの話を楽しくしてくれた。私も中学時代の保健委員の話をした。怪我した人の手当とかするかと思っていたら、そんな仕事はほぼなくて、検尿の回収や、視力検査等のお手伝いだけだったと話した。
「あー、駄目だ」と笙さんは笑う。
「考えが浅はかなんです。美化委員の時もゴミ拾いするだけだったし…お花とか植えるのかと思いました」
「…絹ちゃん。ちゃんと説明あったはずだよ? 聞いてないの?」
「うーん。聞いてたとは思いますけど。誇大広告っていうんですか? 良いところしか目につかないんです」
「誇大広告」とまた笑いながら「あー、心配になること言わないで」と言われた。
「心配?」
「…うん。だから…ほんと、何かあったら連絡してよ。俺、心配で心配で眠れなくなる」
「ちゃんとしてますよ。私、大丈夫です。なんだかんだやり遂げましたから」
「そういうとこ…。だから、そうだなぁ。友達はまずいから、親戚のお兄さんだと思って頼ってくれていい」
「お兄さん?」
「日頃連絡しなくてもいいから。困ったら絶対頼って欲しい。そう約束してくれたら、安心できるから」
こんな私にそんなことを言ってくれる。
「…はい」
できないのに、嘘ついた。
「これ、食べる?」と塩味饅頭を渡される。
「あ、楽しみにしてたやつ」
「美味しいよ。これこそ、甘じょっぱいの元祖だと思う。ピンク色がいい? 白?」
ピンクをもらって口に入れる。優しい甘さと程よい塩気が口の中で混ざって溶けた。笙さんを見ると、優しく微笑んでくれる。
「美味しい?」
私は頷いて、涙の味だと思った。
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