第54話

再会



 大学も最終学年になるとほとんど友達に会わない。週に一度だけ、桃ちゃんと奈々ちゃんに会える日が楽しみだった。


 お互いのゼミが終わった後、大学のカフェで集まる。


 桃ちゃんはシンガポール航空とオランダ航空に残っていたからすごいと思ったけど、本人は


「アメリカは落ちたのー」と泣いていた。


 それでも前向きに夢に向かっているから尊敬する。


「絹は来週から教育実習だよね」


「うん。中学校。ドキドキしてる」


「最近の中学生は大きいから、絹は舐められないかなぁ」と奈々ちゃんが心配してくれる。


「大丈夫だよ。…多分」と言うと、二人が笑う。


「…私たち…今微妙で」と奈々ちゃんが突然切り出した。


「え? あんなに仲良かったのに?」と桃ちゃんが驚く。


「やっぱり社会人と学生ってなんか…上手くいかないのかな。向こうのストレスとか…分かんないし、こっちだってやることあるし…」


 桃ちゃんは以前、社会人と付き合っていたからこそ、奈々ちゃんの気持ちが分かるようだった。


「奈々たちは負けないで。環境違うけど…。できるだけ同じ時間を過ごして」


「うん。まぁ…仕方ないこともあるけどね」と奈々ちゃんはため息をついた。


「笙さんは? 相変わらず?」


「あ、なんか階級が上がった? とか言ってた。よく分かんないけど」と言うと、二人とも笑う。


「エリートなのに、そんな扱い」と奈々ちゃんが言う。


「え? あ、そうかな」


「英さんが言ってたよ。この間、イギリスの雑誌に取り上げられてたって」と桃ちゃんも言う。


「そうなんだ…」


 笙さんはバクテリアのお世話をしているとしか私に話をしていなかった。多分、聞いたところで何をしているのかさっぱり分からないことを理解してくれて、そう言ってくれるんだろうけれど。


 奈々ちゃんのスマホにメッセージが届いた。


「あ…」と嬉しそうに笑う。


「どうした? 良い話?」と桃ちゃんが覗き込む。


「今日は早く帰れるから一緒にご飯食べようって…」と溢れる笑顔で言う。


 その笑顔を眩しくて、そう言うのを裕さんに見せたら、きっとまた仲良くなれると思った。


「は、でも別れ話だったりして」とまた一瞬で顔を曇らせる。


「そんなことないよ」と桃ちゃんも私も応援しつつ、気持ちの上ではドキドキしてしまう。


 奈々ちゃんはそわそわしだして、夕方までにちょっと美容院行こうかな、とか言い出す。そして速攻でネット予約して止める間もなく「先に帰るね」と出ていった。


 その後ろ姿を見て、はらはらしていたら桃ちゃんが「今日、プロポーズされる日だよ」と言う。


「え?」と私は桃ちゃんを見ると「英さんから聞いたから」と言った。


「いろいろ揉めてたのは事実だけど、ほぼ奈々が勘違いしてて」


「勘違い?」


「プロポーズしたくて、頑張って働いてたんだって。デート代を節約するために会わないとか…まぁ、忙しいって言って、浮気だと勘違いしてたみたい」


「…そっか。よかったー」と私は安堵でテーブルの上に体を乗せた。


「絹は?」


「え? 私? …何もないよ」と桃ちゃんをそのまま見上げる。


「あの…。こんなこと言うの、本当に今更だけど…。翠さんのことはふっきれたの?」


 笙さんと付き合ってから、私は翠さんのことは何一つ話していない。こっそり検索したりして、何だか成功しているらしいのを知って、それを一人で喜んだりしていたけれど、そんな話をみんなにはしていない。


「…うん」


「今、間があったよ」


「ないよ。大丈夫」


 マレーシアで働いている人と私には何の接点もない。


「マレーシア航空は…受けなかったの」と桃ちゃんが言う。


 航空会社は必ず毎年、募集がかかる訳じゃないので、募集がかかったら、どこでもとにかく受けるのが必勝法だと桃ちゃんは言っていた。


「募集…あったんだ」


「うん。でも…」


「いいのに。そんな気を遣わなくても」


「遣うよ。絹が…」


「私が?」


「会いたくなるでしょう?」


「…会いたいよ。今でも」と顔をテーブルで隠す。


 でも私は置いていかれた。思い出の一つも持っていかれずに。結局、鈴音ちゃんには適わなかった。


「でも…今はちゃんと笙さんのこと大好きだから」と体を起こして桃ちゃんを見て笑おうとして涙が零れた。


 桃ちゃんがそっと肩を抱きしめてくれる。


「ごめん」と謝ってくれるから「ううん」と慌てて首を横に振る。


 きっといつか思い出に変わる、変えられるから、と私は思った。


「絹が辛い思いすることないのに」


「辛くないよ、別に」


 いつか優しい記憶になる。




 笙さんと久しぶりに会った。駅前のカフェで私はフルーツパフェを食べていた。


「裕、プロポーズしたんだって?」と言うから、奈々ちゃんから聞いたテンションが高い内容を話す。


 その日の夜遅くに私に電話があって、すごく驚いてたし、喜んでた、と言った。


「奈々ちゃん、かわいいから美容室まで行ったんだよ」と私はパフェのバナナを皮を剥きながら言う。


「そっか。…ごめんね。絹ちゃん。ちょっと待っててね」


「え?」と向いた皮を紙ナプキンの上に置いて、笙さんを見る。


「もう少し成果が出てから」


 笙さんが何を言おうとしているのか、聞くのが少し怖くて、話を急に変える。


「あ、でもなんかイギリスの雑誌に載ったって聞いたよ? すごいねぇ。さすが…というか」と私が言うと、笙さんが笑う。


「そうそう。権威ある雑誌に載せてもらった」


「すごーい」


「バクテリアのお世話で」


「バクテリアのお世話で?」


「うん、そう」


「じゃあ、ノーベル賞に一歩近づいたね」と私は微笑む。


 笙さんが上手くいくことは私だって嬉しい。


「一歩ね。後…百万歩くらいあるけど」


「…まぁ、でも残り百万歩だから」


「頑張る。…絹ちゃんも来週から教育実習でしょ?」


「そうなの。緊張しちゃう。みんないい子だといいなぁ」と言うと本当に優しい表情で「頑張って」と言われた。


 そう。笙さんだって、頑張ってるんだから、と私も頷いた。




「時間大丈夫?」と訊かれたので、頷いた。


 お互い実家暮らしなので、笙さんとはホテルを使う。窓も塞がれていて、閉塞感が半端ない。でも私はそれでいい気がしていた。笙さん以外、何も考えなくていい。


 キスも何度もする。


「絹ちゃん…」


 名前を呼んでくれる。キスをしているのに、素肌に触れる瞬間、わずかに一瞬、間が開く。笙さんも私も少しだけ躊躇いがある。


 口には出していないけど、笙さんも聞いてはこないけど、私の気持ちを図るように僅かな空白がある。


「好きだよ」


「私も」


 嘘じゃない。絶対に嘘じゃない。それなのに後ろめたい気持ちになるのはどうしてだろう。胸が苦しい。


 優しいキスも温かい体温も気遣うような愛撫も全て私の良心を締めてくる。


「痛い?」


「ううん。胸が」


 涙にキスされていた。


「きゅっと…」と言いながら、私はごまかすように背中に手を回した。


 笙さんの汗ばんだ背中を手で辿りながら「好き」と言う。


 本当に本当だから。


 思う存分、求めて欲しい。全部、全部、笙さんだけにしたいから、私も揺れた。




 行為が終わった後、笙さんが私を抱きしめながら言う。


「絹ちゃん…今日はどうしたの?」


「え? なんか…変だった?」と聞き返す。


「積極的で…良かったけど」


「え? 恥ずかしい」と顔を笙さんの胸に擦りつける。


「うん。可愛い」と私を甘やかす。


「笙さん…。もう一回」とごまかすように手を首に回す。


「え? 今日は本当に…どうかした?」


「好き、好き、好き」と呪文のように繰り返す。


 こうして笙さんで埋めていくときっと幸せになれる、と目を閉じた。



 教育実習初日、職員室で挨拶をして、担当教室に連れて行かれる。挨拶をそこでもして、初日は先生の授業を見学するだけだった。二個目のクラスで私は息が止まった。


 名簿に「長谷川漣」と言う名前があって、返事をしたのはあの漣君だった。

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