第49話
露呈
翠さんとの休日後も私は部屋に通って、ご飯を作ったり、模型を完成させたり、ベランダでのんびりしたりした。ご飯は相変わらず上達はしないけれど、翠さんに言われてから、好きだという気持ちになってきて、漣君とデザート作ったり、その写真をベランダで撮ったりと私の楽しいことが増えていった。
そして翠さんはマレーシアに向かった。本当なら、私も行く予定だったのに、と思いながら、誰もいない部屋を掃除したり、のんびりしたりする。一人になって、私は自分のことを考えるようになった。鈴音ちゃんのボックスが一つある部屋。まるで翠さんの心の中みたいだ。決して消えない思い出がある。
でも私はこの部屋が嫌いじゃないし、好きだった。鈴音ちゃんを好きだった翠さんが好きだ。翠さんがいなくてもこの部屋に来てしまう理由だった。
翠さんがマレーシアに行く前日に二人で完成した模型を隣に住む島田さんに届けた。
「あら、素敵」と言って、少し涙ぐんで受け取ってくれる。
「私が死ぬまで大事にするわね」というきわどい冗談まで言ってくれて、翠さんまでが固まっていた。
島田さんは帰り際にそっと私に近づいて、真珠のついた金色のひよこのブローチを渡してくれる。
「え? こんな…高価なもの」
「いいの。私には残す子どももいないし。それね、主人が私に似てるって言って買ってくれたの。でも全然嬉しくなくて」
金色のひよこに小さい真珠が三つ並んでいる。
「変なデザインだし、ひよこって…。そういう時はバラとか選ぶもんじゃない?」と少し膨れた顔で言うから、思わず笑ってしまう。
「どこにもつけて行かなかったの。だから新品未使用。私、似てる?」と島田さんが真剣に聞くから、じっと見てしまう。
どことなく少女のような面影があるから、ご主人はきっとそういうところが愛らしいと思ってひよこにしたのかもしれないけれど、確かに言われて「嬉しい」とは思えないかもしれない。
「まぁ、でも癪だから、大切にしておいたのよ。でももういいかなって。よかったら、鞄にでもつけて」と言う。
「…いいんですか?」
「いいの。他にもまだたくさんあるし。気に入ったものはそれこそ、死ぬまで大切にするから」
またきわどいことを言う。
私はてのひらでひよこのブローチを包む。
「可愛いです」
「そうでしょ? 私に似てるんですって」とまんざらでもない顔で微笑んだ。
さっそくブローチをワンピースにつける。
不思議なデザインで、古さは感じさせられなかった。
「絹に似てる」と後で翠さんが言った時は私も頬を膨らませた。
幸せで、幸せで、仕方がなかった。
覚悟もないまま翠さんと付き合って、それでも私は幸せで、今が人生で一番幸せかもしれない、と思った。鈴音ちゃんが何もかも投げ出した理由が分かる。
夏休みも残り少なくて、桃ちゃんたちに会う準備をしていた。リビングでお母さんがワイドショーを見ている。私は洗面台で髪をセットして出た時だった。
テレビに翠さんが映っている。
思わず足が止まった。マレーシアで行われる万博の取材をしているらしく、日本の企業のパビリオン建設なんかを話している。
「あ」と母が声を出す。
母も翠さんを知っているらしい。
「この人…」
画面にくぎ付けになっているのは母で、私はその母を見ていた。
「鈴音ちゃんの…」
番組の画面は変わって現地のマレーシア料理が映る。女性リポーターが「辛いけど美味しいです」と汗を拭きながら食べていた。
「…マレーシア」と母が呟いて、振り向いて私を見た。
母が穏やかな、でも少しも笑っていない顔で「マレーシアって…。絹…パスポート取る時…。不思議に思ってたのよ。グアムとか韓国とか台湾とかハワイじゃなくて…マレーシアって…。ねぇ…もしかして」と訊く。
私は首を横に振って、自分の部屋に駆け上がり、急いで出かける準備をして、そして何も言わずに家を出た。
ばれた。
まさかテレビに映るなんて思ってもみなかった。きっと翠さんだってそうだ。
お母さんの顔、怒ってはいなかったけれど、受け入れられないといった表情だった。そして私の態度はそうだと認めるものでしかなかった。
空を見上げると、青さが増して高く見える。それでもまだ地上は焼かれるような暑さだった。駅までが遠く感じた。
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