第50話
手紙
桃ちゃんたちに会った瞬間、どうしたらいいかと訊こうと思ったけど、言葉が出なかった。
「絹? どうしたの? 顔色悪いよ」と桃ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでくれる。
「お月様来たの?」と奈々ちゃんもそっと肩を抱いてくれる。
「…ばれちゃった」
「え?」と奈々ちゃんが訊き返す。
二人にお母さんに翠さんと付き合っていることがばれたことを話した。私の顔色が悪いということで、すぐに近くのカフェに入る。今日は本当は服を見る予定だったのに、申し訳ない。
「でも…ちゃんと話をしたらお母さんだって分かってくれると思うけど」と奈々ちゃんが言う。
「どうかな…」と桃ちゃんは反対の意見を言った。
二人が真剣に話しているのに、私は何一つ意見も言えずにぐったりと座っているだけだった。注文したオレンジアイスティが汗をかいているのを眺める。
「今日、うち来る?」と奈々ちゃんが言ってくれる。
でも今日は帰らないといけないと思っている。
「大丈夫。…話してみる」と私は二人に言う。
「話す時にね、絹がどうしたいか、今後のこともちゃんと考えてから話さないとだめよ」と桃ちゃんにアドバイスされた。
「うん。ありがとう」
今後のこともなにも私は幸せとしか思ってなかったから、何も言える話がなかった。
「ケーキ食べよう」と私が言うと、二人が少し笑ってくれて、それでいつも通りのお喋りな時間になった。
服も見たけれど、まだ暑すぎて長袖を買う気分になれない。三人でプリクラを撮ったりして、帰ることにした。
「次は学校で、だね」と奈々ちゃんが言う。
「またね。辛いことがあったらいつでも連絡して」と桃ちゃんが言う。
私は二人に大きく手を振って、別れた。家に帰る前に一人で喫茶店に入る。連絡先を交換して初めて翠さんからメッセージが届いた。
『こんにちは。建築現場が暑くて大変です。でも組みあがっていく足場を見るだけでわくわくしています。しばらくマレーシアの建築を見たりして帰ります。お土産買って帰るので、絹は元気でいてください』
かわいいピンク色のモスクの写真が送られて『絹が好きそうと思って写真送ります』とメッセージが後から届く。建物内部までピンク色でかわいい。
(翠さんに会いたい)
私を想って写真を撮ってくれて送ってくれた翠さんに堪らなく会いたくなった。
『写真、本当に素敵です。ありがとうございます。私も一緒に見たかったな』と書いて送信した。
何もかも捨てて、鈴音ちゃんは翠さんのところに行った。私はそんなことはできないとずっと思っていた。でも…と私はマレーシア行の航空券を検索してみた。バイト代をかき集めて買えない金額ではなかった。
家に帰るとお母さんの態度はいつもと変わりなく普通で何も聞いてこない。ご飯を作っているようだったけれど、いつもは見に行く私はそっと自分の部屋に戻った。マレーシアに行くことについて少し考えてみた。
「もし行くなら…」と私はスケジュール帳を開ける。
バイトのシフトを考えていると階段を上がる音がした。
「絹…、ご飯できたわよ」とお母さんがドアの外から声をかけて来る。
「あ、うん」と言ってスケジュール帳を閉じた。
そして部屋から出て、手を洗ってダイニングに向かった。今日はオムレツだった。お父さんの好きなひき肉入りのオムレツ。
「いただきます」と言って食べ始めるけれど、お母さんは何も言わない。
静か過ぎて、緊張してしまう。お皿の音がやけに大きく聞こえる。
「お母さんは食べないの?」
「うん。ちょっと後にするわ」
私は箸を置いて聞いた。
「お母さんは反対?」
お母さんは私をまっすぐ見る。
「じゃあ、絹に訊くけど…、絹は鈴音ちゃんのお母さんを悲しませてもいい?」
胸を突かれた。
「…いいわけない」
「恋愛だけなら…。そうも考えたけど、絹がそんな割り切ったことできないの分かるから」とお母さんが言う。
「ほら、ご飯、食べてしまいなさい」と促される。
胸が苦しくて食べれなくなる。
「…明日食べていい?」
ため息をつきながらラップをかけてくれた。
「こんなこと言いたくないけど…。あの人だけは…辞めなさい」
私は返事もできずに涙が零れた。翠さんは少しも悪くないし、鈴音ちゃんだって幸せだった。それなのに、どうして、という思いと上手く伝えらない気持ちで胸がいっぱいになる。
「お風呂入りなさい」と言われて、私はのろのろを立ち上がった。
お風呂場でも考えたものの、鈴音ちゃんのお母さんもお父さんも翠さんの顔を見たくないと思っているはずだった。それを知っているお母さんも反対するのは分かる。
でも鈴音ちゃんが亡くなったのは病気で、翠さんが殺したわけじゃないのに、と思って両手で顔を覆う。
どうしたらいいのか分からない。ただ翠さんに会いたい。
ベッドの中で考える。鈴音ちゃんならなけなしのお金も全て振り絞って、翠さんに会いに行っただろうに。私はバイトのシフトやら、お母さんの言葉やら、些細な事で動けない。
その程度の気持ちなら忘れてしまえるはずだ。
そう思って閉じた目から涙が溢れる。
スマホに翠さんからメッセージが届いた。
『俺も絹と一緒に来たかった』
私は捨てれるだろうか。
身体を起こして、階下に降りる。
お父さんも帰って来て、二人で何か話していた。私がリビングに顔を出すと、お母さんが哀しそうな顔で私を見る。目が真っ赤になっている私だったから仕方がない。
「絹」とお父さんが声をかけた。
御父さんは背中を向けたまま私に話す。
「姉さんのことは気にしなくていい」
「お父さん」とお母さんが言い咎めた。
「自分で考えて、決めなさい」
こちらを一度も見ないまま話す。
「…マレーシアに行きたいの」
「そうか。お土産待ってる」と言って、そのまま立ち上がって、お風呂場に向かった。
お母さんを見たら、視線を逸らされた。
翌朝、私は早朝にリビングに降りていった。お父さんと話しをするためだ。お母さんもいつも起きているはずなのに、今日はお父さんだけだった。コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
「おはよう」と声をかけると、返事をしてくれる。
「チケット代だそうか」と視線は新聞のまま言う。
「…お父さん、どうして?」
「何が?」
「どうして…良いって言ってくれるの? 湊の時は文句言ってたのに」
お父さんは新聞を畳んで、手招きをするから私は目の前に座った。そして私が座った後、立ち上がって、戸棚から手紙を出してくる。
「これ、長谷川さんから」
「え? どうして…」
「毎年鈴音ちゃんの家に届けられるそうだ。返事は出さないそうだけど…。未だに謝罪を続けているようで…。今年はお父さん宛の手紙も一緒に入っていた」
翠さんが手紙を書いていたなんて知らなかった。
「誠実な人だとは思うし…何より、絹が…幸せそうだったから。湊君と付き合ってるときはたまにすごい眉間に皺作ってる時もあったし」
湊と付き合っていた時はたしかに私は複雑な顔をしている時が多かったかもしれない。お父さんは湊より私を見ていた。
「鈴音ちゃんが愛した人なら間違いないだろう…とも思うし…な。絹は自分の気持ちだけで考えなさい」
「でも…伯母さん」
「姉さんだって分かってるだろう。あの時は誰かのせいにしたかっただけじゃないかな」
私はテーブルの上に置かれた手紙を読んでいいか聞いてみる。お父さんは「これは俺宛てだから、絹には読ませられない」と断る。
何が書いてあるのかは分からないけれど、翠さんは一つ一つ問題を解決すると言ってたことを実際にしてくれていた。
「マレーシア、行くか?」とお父さんが訊く。
私は首を横に振った。
「ううん。待ってる」
差し込む早朝の白い光に手紙が浮かびあがって見えた。
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