第20話

好意と下心


 バクテリアの写真の後に「今日、早く帰れる! まさかと思うけど、時間ないかな?」とメッセージが続いた。


「会えます! 今から行きます!」と勢いよく返信して、自分がラーメンの懸賞Tシャツを着ていることに気がついた。


 メッセージの取り消ししようと思ったら、喜んでる様子のスタンプが届いて、待ち合わせ場所と時間が送られてくる。


 私も諦めて、承諾したスタンプを送った。



 待ち合わせ場所に時間通りに向かう。大きなターミナル駅で、人が多い。人混みの中でも背の高い笙さんはすぐに見つかった。でも何となく声をかけにくくて、じっと見ることしかできない。背の低い私はきっと見つけにくいだろうと思っても、動けなかった。すると、笙さんが見つけてくれる。それと同時に笑いかけてくれた。


「お疲れ」と声をかけてくれる。


「あ、お疲れ様です」と取り繕うことができない格好を気にして、目が泳ぐ。


 笙さんは少しも気にならないのか


「かき氷食べよっか?」と言う。


「かき氷?」


「なんか、マンゴーとかメロンとかフルーツ乗ってるやつ。この近くにお店あるんだけど、男同士で入りにくくて。絹ちゃん、付き合ってよ」と自然に誘ってくれる。


「はい」と言いつつ、やっぱりTシャツが気になったので、自分から申告した。


「あ。ほんとだー。そのラーメン美味しいよね」と言う。


 その言い方も少しも嫌味がない。私は笙さんの後について行って、かき氷のお店に行く。夜に近い夕方だったせいか空いていた。


「何しようかなぁ」と楽しそうにメニューを見るから、つられて私も見る。


「桃が美味しそうですよ」と言うと、笙さんは唸って「そうなんだよねぇ。でもマンゴーも捨てがたい」と深刻な顔で言う。


「あ、じゃあ、半分こしませんか?」


「え? いいの?」


 私も両方美味しそうだと思ったから、むしろありがたかった。そしてカウンターで注文して、二人掛けのテーブルに座る。黄色い椅子がポップな店内とマッチしていた。


「笙さん、甘いもの好きなんですか?」


「うん。まぁ。ほら、こう暑いからかき氷とか食べたくて。そしたらこのお店が気になって」と店内をくるっと見回す。


「英さんとは来ないんですか?」


「うーん。別に来てもいいんだろうけど、やっぱり、女の子と来たいよね。なんとなく。こういうところは。…ところで急に誘ったけど、大丈夫だった?」


「あ…はい。私も…時間あったので」と言う。


 少し無言になった。あのまま家に帰りたくなかった私は笙さんの提案に飛びついて来たものの、何だか男の人とふたりっきりって言うのは恥ずかしい。テーブルの上の呼び出しブザーが点滅して音がなる。


「あ、できたみたい」と言うので、二人でカウンターに取りに行く。


 たっぷりフルーツが乗っているかき氷をそっと運んで、席に着く。私は桃のかき氷を食べる。桃の甘味も強く、そして桃の匂いが鼻に残る。


「わぁ。美味しいです。笙さんも、食べて」と言うと、笙さんは驚いた顔をしていた。


「ねぇ、これ、かき氷じゃない。なんかアイスだ」


「あ、そうですね。韓国風みたいです」


「えー? すごい美味しいんだけど」とばくばく口に運ぶ。


 私も急いで口に運ぶ。冷たさが心のもやもやを溶かして流してくれる。


「あ、ごめん。半分こって言ってたのに、結構食べてしまってる」と笙さんが慌てて私にマンゴ―の方を差し出してくれる。


「え? 桃の方が美味しいかもしれませんよ」と私も桃を差し出す。


 マンゴーのとろっとした甘味が舌の上で溶ける。


「はー、美味しい」と二人してそれしか言わなかった。


 思ったより早く食べ終えてしまった。


「…あ、どうしよう」と笙さんが言う。


「え?」


「…時間あるし…、絹ちゃんが良ければ、軽く晩御飯食べない?」


「あ、あります。今日はバイトも休みで」


「じゃ、折角だから行こう」と笙さんはテーブルを片付けて立ち上がる。


 ハンバーグの有名な洋食店に連れて行ってくれた。


「ここは英ともよく来るから…。美味しいよ」


「ハンバーグ大好きです」


 ちょっと早い夕飯時間だったから、すぐに案内された。レンガの壁にランプがかかっている。レトロな作りで落ち着いていた。


「絹ちゃん、ちょっと元気出た?」


「え?」


「待ち合わせした時、ちょっと悲しそうだったから」


「あ…。えっと。かき氷美味しかったので、元気になりました」


「そっか」と笙さんは言ってくれる。


 メニューを決めて、店員さんを呼ぶ。


「あら、可愛い彼女?」と本当によく来ているらしく、店員さんに覚えられている。


「あははは。まだ…だから」


「あらあら。じゃあ…ドリンクサービスしちゃおうかな」と店員さんが笑う。


 本当に食後のドリンクをサービスしてくれて、アイスコーヒーを頼むことにした。


「笙君、すごいね。バクテリアから、店員さんまで、みんなに愛されてる」


「変な言い方しないように」と笑いながら、首を横に振る。


 本当に気持ちのいい人だな、と思いながら私は俯く。懸賞で当たったラーメンのTシャツを着ている自分が恥ずかしくなる。


「今日…いろんなことがあって…でも最後に笙さんに会えて、ちょっと元気になりました。ありがとうございます」と私は素直に言った。


 笙さんが自然体でいてくれるから、私も素直に話すことができる。


「そっか。じゃあ、タイミング良かったね。本当はもっと早く連絡したかったんだけど…」


「バクテリアの成長過程をですか? 何回か見ましたよ。でも不思議ですね。見てると段々私まで愛着持ち始めて」と喋っていると笙さんが笑い出す。


 変なこと言ったかもしれないけれど、それは共通のネタだと思っていたから、笑われるなんて思ってもみなかった。


「まぁ、それは送ってたよ」


「はい?」


「お茶でもどうかなって送りたかったって言いたかったんだけど」


「あ…え…あ…はい」と私は言われたことをフルスピードで処理しようとする。


「話だけでも聞いてあげたいって思ったんだけど、バクテリアの合間に俺も家庭教師かてきょのバイトもあって、なかなか時間が取れなくて」


(あ、そっか。親切で…。話を聞いてくれる会なんだ)と私の計算は弾きだした。


「なるほど、なるほど」と呟いたら、笙さんが「え? 何が?」と言う。


「あ、いえ。あの、お忙しかったんですね」と私は馬鹿な回答をした。


「まあね。それで…どうして元気なかったのか聞いていい?」


「えっとそれは…」と話し始めて、私は戸惑った。


 翠さんのことをなんて説明したらいいのか分からない。黙っていると「元カレ?」と笙さんから言われる。


「あ、会いました。謝りたいって言われて…。でも…謝られてももう彼女がいるのに…。それで…悪態ついて逃げてきました」と言うと「悪態」と笙さんが笑い出す。


「元カレのことはもういいの?」


「…いいって言うか…。私にはどうしようもないし…。初めて付き合った人だし、短かったけど、思い出もあるし…。指輪ももらって…。。あ、返さなきゃいけない…ですか?」


 すっかり忘れていた机の引き出しの奥にしまわれた指輪のことを思い出す。


「いいんじゃないかな。指輪返してもらっても…困るんじゃない? でもなんか浮かない顔してるけど、まだ何かある?」


 今日は話を聞いてくれる会なんだから、ちょっと聞いてみようと思った。


「笙さんは…あの…キスしたいって思うのってどんな時ですか?」


 思い切って聞いてみたら、固まっていた。


「あ、ごめんなさい。なんか、プライベートな質問でしたよね」


 笙さんは驚いた顔のまま聞き返してくる。


「キスしたい時? 彼女に?」


「あ、彼女じゃないです」


「彼女じゃない…人にキス?」


「…そう…です」と言って、相当おかしい事を聞いてると分かる。


「…それは…しちゃ駄目なんじゃないの?」


「ですよね」と笑ってごまかす。


(じゃあ、なんで翠さんはあんなことを?)と言う言葉を頭の中で浮かべる。


「…絹ちゃん、されかけたの? 元カレ?」


 さすが、鋭い、と思ったけど「元カレじゃないです」と言う。


「じゃあ、誰?」


「誰って言うか…」としどろもどろになっていると、鉄板の上に乗せられたハンバーグが運ばれてきた。


 目玉焼きが乗っていて美味しそうだ。


「熱いから気を付けてね」と店員さんが言ってくれる。


「ありがとうございます」と私はにっこり微笑んで会話が途切れたことに感謝した。


 手を合わせて「いただきまーす」と言おうとしたら、笙さんがこっちをじっと見ている。私は掴んだフォークとナイフを戻した。


「男の人って、好きでもないのにキスとかできるんですか?」


「好きでもないって…嫌いな人とはできないから、好きでもなくても、そこに何らかの好意はあるんじゃないかな」


「好意?」


「かわいいとか…そういう程度の」


「かわいい…」


(あぁ、そうか。鈴音ちゃんに似てるもんな…。その程度の好意はあるかも)と理解する。


「それでキスされそうになったってこと?」


 笙さんは頭がいいので会話も流されてくれない。私は肩を竦めてため息をついた。翠さんの話を説明しようと試みた。従姉妹のお葬式の話から、今、居場所として通っていることも。


 全部話てみたけど、うまく説明できなかったようだ。


「…理解できない」と笙さんに言われた。


「食べましょう。せっかくの熱々ハンバーグが」と私はフォークを再び持ち上げた。


 しばらく無言で食べる。店内は混んで来たからか、さっさと食後のアイスコーヒーも運ばれてくる。


「…絹ちゃん、その人のこと好きなの?」


「え?」


「その人のこと好きで、近くにいるの? それとも同情?」


「うーん。同情? …かな」


「それならまぁ…いいけど。でもその人は絶対、絹ちゃんを好きにならないと思うよ」


 前に桃ちゃんにも同じことを言われた。笙さんにまで言われてしまう。


「分かってます。キスだって…鈴音ちゃんの代わりだってことも」


「それでいいの? 誰かの代わりなんて」


「良くないです。良くないですけど…。でも…」


「でも?」


(あの人の力になりたいって、あの日、それができなかった想いが残っていた)


「愛されなくても…ちょっとだけ元気になってもらえたらいいなぁって」と私が言うと、笙さんはため息を吐いた。


「絹ちゃん、正直応援できない。冷静に考えてみて。彼は誰一人幸せにできなかった男だよ? 奥さんも子供も。そして絹ちゃんの従姉妹も。それに彼が自分で克服すべきことなんだから」


 笙さんの言うことは最もだった。でもどうしてか、翠さんと笙さんが思っている翠さんと剥離している気がする。


「…もう来るなって言われたから。行くことはないです」


「そっか」


「はい。だから大丈夫です」と言って、自分で(何が?)と思わず突っ込みそうになった。


 もちろん目の前の笙さんも同じことを言いたそうにしていた。


「絹ちゃん。…母性本能が強すぎるんじゃない?」


「母性本能?」


「頼られると好きになるとか、困っている人にシンパシーを感じるとか」


 それはよく分からないけれど、ただあの人のことがどうしてか心に残っていたのだ。湊と付き合って、初めて湊の家に行った時、鈴音ちゃんのいたアパートと同じ駅で驚いた。そこからあの小道の奥が気になってどうしようもなかった。


「そんなに優しい人間じゃありません」と私は目を逸らした。


「そうかな」


「それだったら笙さんだって、たった一回会っただけの、友達の彼女の友達の話聞いてくれるなんて、すごく優しいじゃないですか」


「優しくないよ」


「優しいです」


「優しくない」


「だって」


「幾ばくかの好意と下心があるから」


 言い合いが止まった。


 私はそれがどういう事なのか、考えようとして、フリーズしてしまった。アイスコーヒーの上澄みが水になって透明に近くなっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る