最終話 ミシェルは笑う、とても幸せそうに。
ラミアの白い腕が伸びてきて、わたしを包む。
「ミシェル。あなたが探してきたものをあげる」
声が耳に触れてくすぐったいのか、言葉が心に触れてくすぐったいのか。
おかしくて笑っていた。顔を離して彼女を見つめる。
「できるわけない」
「できるわ、わたしならね」
鼻先にちょんと指が触れる。
「とても簡単。さあ、よく聞いて」
——そうすれば、あなたは誰よりも強くなれるから。
❄️❄️❄️
リュシアンはアーチ状の窓から外を見下ろしていた。砂利と草地の境界線を特に意味もなく視線でなぞり、突き当りに立つミモザの根元で止まる。ふ、と息を吐き出した。
森に立つ古城は脆く、人が住むにふさわしい建物には思えなかった。風が吹くたびに壁面はもろもろ崩れ落ちそうだし、踏む石床のひびの多さときたら目を疑いたくなるほどだ。今すぐにでも廊下の先にある扉を開け、ミシェルを引っ張り出したかった。そのまま城を出、馬に乗せて脱出する。
ミシェルに恋するのは簡単だった。一目惚れといってもいい。彼の胸の中にすとんと彼女は落ちてきてすぐに収まってしまった。そしてその愛は伝わっている気がしていた。ミシェルが好き、大切。特に隠さなかった感情だから、言外に伝わっていると思っていた。
でもミシェルは何も告げずにリュシアンの元を去った。元々危うい均等の上に築いた関係だと自覚していたけれど、まさか、こうもあっさり崩れるとは思いもしなかった。何か理由がある、ミシェルの本心を探り続け悩んでいた時に届いたのが、あの一報だ。
もちろん彼女が歓喜して出迎えてくれるとは思ってはいなかった。でも確かに自分の都合の良い再会を期待していたのだろう。ミシェルの拒絶には困惑した。彼女の見せる表情、仕草、声。恐れている、嫌っている、罵声を浴びせてくる。胸の奥が痛くなり戸惑う。
あのレゾンのせいのような気がして腹が立ったが、ひとり冷静に外を眺めているうちに、彼の中で違う考えも浮かんできた。
ミシェルの過去を思えば「結婚」という言葉だけで敏感に反応してもおかしくない。ましてあの求婚は急きすぎていたし彼女の混乱に乗じてもいたのだから拒絶にあって当然だろう。
ミシェルが負ってきた傷を一つずつ丁寧に拭い癒してあげたかった。その役目は自分でありたい。だから無理やりでも、あのラミアという女から引き離したほうが良い。憎まれるだろう。でもそれで怖気づいていてはだめなのだ。
リュシアンの心には確信があった。こんな場所で吸血鬼の女と暮らしているなんて。ミシェルを本心から思うなら、一時くらい悪人に成り下がってでも行動に移すべきだ。
生涯をかけて証明し続けよう。自分はミシェルの敵ではない。そばにいて愛情を注いで。安心して微笑む姿が見られるよう、尽くし続ける。自分ならそれができる、ミシェルを愛している。
太陽の前に雲がかぶさる。辺りが陰る。
笑い声が聞こえた。ミシェルがいる、あの突き当りの部屋からだ。狂った鳥のように笑っている。彼女の声だろうか。あんな風に笑うのを聞いたことはないけれど。
リュシアンは扉を慎重にノックした。声は続いている。ゆっくり隙間をあけ、中を覗く。
「ミシェル?」
「ああっ、リュシアン、リュシアン見てよ」
嬉しげに呼び掛けてくる声に、扉を大きく開けた。彼女は灰の中にいた。無邪気な子どものように放り、落ちてくるそれを全身で浴びている。
「見て浄化の灰だ、こんなにたくさん。まだ温いんだ。リュシアンも浴びろよ」
早く、さあ早く。ミシェルは甲高い声で笑う。まるで空気を切り裂く悲鳴だ。
「ミシェル」
肩を掴み揺さぶった。彼女の瞳は彼を通り越して彼方を見ていた。
「浄化しよう、ロマランの灰より浄化できるはずだよ、まだ温い、ねえ、ほら温かいでしょう」
すくっては浴びせ、すくっては自分も浴びる。ミシェルは楽しそうだった。でも言葉なく突っ立っているだけのリュシアンに怒ったのか、彼を突き飛ばす。無邪気に笑っていた少女が一転、好戦的な青年に変わった。
「おれはやったぞ、リュシアン。レゾンを倒した。おれは強い、お前はレゾンを倒したことないだろ、でもおれはやった、おれはやったんだ。ほら、ほらほらほら!」
握り締めた灰を強く放り投げ、降り注ぐ中、顔を上向け浴びる。それからまた笑い始めた。
甲高い鳥のように笑う。低く獣がうなるように笑う。
上がる、下がる。繰り返して笑う。
「ミシェル」
彼女を抱きしめて動きを止めようとした。けれどもミシェルは笑うのをやめない。横に揺れたがる動きに合わせて足が動くと、リュシアンの足が何かを踏んだ。銀の十字架だ。
❄️❄️❄️❄️
天使さん、わたしの天使さん。
どうかこの呪われた身体から、わたしの魂をお救いください。
天使さん。わたしのミシェル、わたしの天使。
あなたの探し物が見つかりますように——。
ラミアはブラウスの前を開け、下着の紐を緩めた。膨らむ胸に銀の十字架を押し当てる。彼女は悲鳴を上げなかった。ずっと微笑んでいた。
さらさらと、彼女の輪郭が少しずつ削れていく。それから急にどしゃりと崩れ落ちた。足元にある灰の山。触ると血のように温い。すくい取り、顔を埋める。ラミアの匂いがした。
どくどくと胸の奥から湧いてくる愉快さに、笑いが止まらない。ラミアを所有した。おれのものにした。楽しい時、嬉しい時、悲しい瞬間、惨めさに耐えられなくなった、その時にも。
ラミアを思い出すだろう。彼女を心に感じ続けるだろう。
探していたのは、孤独を消す毒。そうでしょ、ねえ?
【Fin】
鮮血の薔薇が散る~中世吸血鬼愛憎譚~ 竹神チエ @chokorabonbon
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